平成25年3月末、会社退職!認知症が治った母の生活は?
私は結局、平成25年3月末に退職した。
苦労して手にした職だったが、命には代えられない。
我慢して仕事を続けていれば、いずれ自殺願望に襲われる気がしていた。
そこまで苦労して仕事を続ける意味はないと思った。
母の認知症が劇的に治っただけで充分だ!!
今は自分の心と体を休め、再起を期すべきと決心した。
母は多い時では週4回もディサービスに通う様になっていた。
1人で電車に乗り、一人で田舎に帰れる様になった。
1人で田舎でしばらくは暮らせるようになった。
もう、これで充分だ!!
後は焦らずに自分の心と体を治そう。
一度だけ母に聞いた事がある。
「昼間から、俺が仕事にも行かずに家にいるのが気にならないのか?」と・・・
母、曰く「干渉しないようにしている」とだけ答えた。
私は何も言う気力がおきなかった。
一つ屋根の下に暮らしているのに、干渉するもしないもないだろう。
無関心でいられる神経が分からなかった。
母の道楽みたいな父の墓参りにはもう同行すまいと誓った。
以来、母とはますます口を利かないようになった。
世帯は同じだが、赤の他人と大差ないなと感じた。
これがここまで心と体をおかしくし、介護した人間に言える言葉なのか?
母の態度には以前から失望していたが、この時からその思いが一層募った。
昨夜は完全におかしくなった。
脳みそがグルグルと回っている様な感覚になった。
原因は良く分からないが、かなり、おかしい。
無職となり、僅かばかりの年金生活になってしまった。
子供に小遣い銭もやれなくなったのが情けない。
妻が色々と調べてきて、どうやら自立支援医療制度を受けられる事が分かった。
この認定が通れば心療内科でかかる費用が無料になる。
随分と助かる。
信頼していた医師ではないが、この制度の適用が受けられるまで治療に通うことにした。
睡眠薬を貰うだけの事だ!
この医師に多くの事は期待していない。
診断書を書いてもらうために、今ここで医者を代える訳にはいかなかった。
自立支援が受けられるまでの辛抱だ!と我慢した。
認定には2~3ヶ月かかる様だ。
自立支援の書類は油汗を流しながら書き上げた。
たいした書類でもないのに・・・
この頃はちょっと面倒な書面を見るだけで、頭がクラクラしていた。
そして何もしなくても腹だけは減る。
恨めしい話だ!
だが、食欲があるだけ、まだましなのだろう?
本当におかしい時は食欲も無くなり、考えが支離滅裂になる。
自殺願望の危険性さえ出てくる。
失業保険の受給延長申請や自立支援医療制度の申請も終わった。
パニック障害というやつか?
おかしい・・・何かおかしい・・それが良く分からない。
言葉にならない、できない。
精神安定剤を飲んでやり過ごす。
それでもダメな時は抗うつ薬を・・・しかし治まらない。
苦しい・・・
ひと頃の母みたいではないが、一人で頭の中で童謡を歌っている時があった。
完全におかしい。
娘が妻と出かけスマホを購入してきた。
自分だけ時流に取り残されている気がした。
私だけまだガラ携だ!
アイフォン、スマートフォン、アイパッドの違いなどが良く分からない。
過眠と不眠を繰り返している。
朝、起きると腕、腕の付け根、太もも、腰骨の付け根が痛い。
6月の中旬だというのに窓から吹き込む風に足が冷える。
かなりの冷え症だ。
7月に入ると訳も分からず、1人でのたうち回る時があった。
抗うつ薬も精神安定剤も効かない。
ダメだ!
人前に出ると胸苦しくなる。
気持ちが悪くなるほど気分が落ち込んでしまう。
やり過ごすしかない。
やはり、鬱病なのか?
このまま消え去りたい様な衝動に襲われる。
自分で自分の気持ちに説明がつかない。
どうしようもなく気が滅入ってゆく。
耐えられず、たった一人の友人宅に電車に乗って出かける。
世間話をして帰って来ただけ・・・自分の心と体の事は話せない。
しかし、少しは胸のつかえが下りる。
線維筋痛症治験のチラシをみて思わず電話を入れる。
自殺を図った事があるか、と聞かれ思わず笑ってしまった。
後で、ネットで調べて分かった。
死にたくなるほどの激痛に襲われる病気らしい。
私の体中の痛みはそこまで深刻ではなかった。
しかし、体中が痛い。
幾つもの整形外科病院へ行くも原因が分からない。
投薬と湿布薬だけ貰って終わり・・・。
この頃は病院通いばかりだった。
レントゲン代もバカにならない。
MR検査に至っては・・・もうため息しかでない。
病名を告げられても対症療法だけ・・・
根本的解決にならない、治らない!
夏の暑さは図書館に行くことなどで乗り切った。
何か、資格でも取ってまた、再就職を目指そうか、などと考え本を開くが全く頭に入ってこない。
無理をするとまた鬱状態が酷くなってしまう。
途中で断念した。
今度は右手が良く握れなくなった。
また、頭を鷲づかみされるような不快感に襲われることがある。
何かを考えようとするが、まとまらない。
悲観的な方にばかり考えが行ってしまう。
11月6日(水)、妻の父親が亡くなった。
弘前での葬式には出席できなかった。
頭を鷲づかみされるような不快感が去らず、眠れず長距離の移動が困難な時期だった。
済まないと思いながら、妻には一人で葬式に行ってもらった。
私はとても泊まり込みで、外出できる様な状態ではなくなっていた。
妻が葬式に出席するために弘前に出かけた翌日に、母は「田舎に行って来ますからね。行って来ます!」と大きな声をだして元気に出かけて行った。
正直、助かる。
私は母の食事の世話をするのも面倒な状態になっていた。
右手のマヒは「へバーデン結節」と診断された。
診断結果は出ても治療法はないとの事。
病名ばかりを知っていても頼りにならない。
ネットで調べるが確かに原因、治療法も良く分かっていないらしい。
中年の女性に多いらしいが、病名などどうでもいいから早く治してほしい。
切なる願いだ!
途方に暮れる。
自然治癒力に頼るしかないか。
こうして平成25年は散々な結果のまま終わった。
母の認知症が劇的に治っただけでも良しとせねばなるまい。
どうやら自分の心と体は自分の力で治すしかないらしい。
医者や薬も真に頼りにはならない。
根本的解決にならない。
自分の力を信じるしかない。