茹でた後、つるんと一皮剥ける様な爽快感をお届けしたいです。

髭男爵・山田ルイ53世!一発屋芸人からもの書きへの道を切り開く

 
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「一発屋」芸人の髭男爵・山田ルイ53世さんは昨年、本を3冊も出版。「死んだ」「消えた」と言われ続けた“一発屋”を経て、物書きとしての活躍の場を切り開く。難関私立の中学校受験に成功してからの引きこもり。芸人としてブレークしてからの『一発屋』。浮き沈みの激しすぎる男爵さんは、さてどんな人なのか?

 

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Contents

髭男爵:山田ルイ53世(やまだルイ53せい)のプロフィール

 

本名:山田 順三(やまだ じゅんぞう)

1975年4月10日生まれ(43歳)。

身長168㎝、体重120kg、血液型はO型。

所属 サンミュージックプロダクション

 

主にツッコミ担当。

男爵キャラとしてはパリ・シャンゼリゼ通り出身、ソルボンヌ大学卒業を自称。

実際は兵庫県三木市出身で、六甲中学校に進学するが、中学2年生の夏頃から引きこもりになり、中途退学。

 

引きこもりは20歳まで続く。

大学入学資格検定を経て愛媛大学法文学部の夜間主コースに入学。大学時代に友人と漫才コンビを組むも解散、大学2年の途中で退学し上京、東京NSC3期生となる。

 

NSC時代の相方ははいじぃ。旧芸名は「ピュアぞー」。単独で『R-1ぐらんぷり』にも出場している。2011年8月8日、一般女性と結婚。8月8日が「髭の日」だったことから、夫人からの提案で8月8日に結婚することが決まった。翌年7月4日に長女が誕生。2014年夏より女性アイドルグループ「まどもあ54世」のプロデュースを手がける。特技は「勇気」とある。

書店に並ぶ自分の本を前にポーズをとる髭男爵・山田ルイ53世さん

 

『3冊の書籍』とは?

 

1.ひげぼん(グラフ社、2008年9月)

山田と親しいどーよのテルがイラストを担当。

 

2.ヒキコモリ漂流記(マガジンハウス、2015年8月)山田単著。

 

3.一発屋芸人列伝(新潮社、2018年5月)山田単著。

『新潮45』連載のルポルタージュを単行本化。

「第24回 編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞受賞。

 

多分、この3冊だと思うけど、何で急に一遍に出版することになったのだろうか?

不思議と言えば不思議だ。

 

コラムの連載や、新聞・雑誌への寄稿など、ここ数年“書く仕事”をいただくことが増えたという。
うち1冊は、“受賞”とか“ノミネート”といった話題にも恵まれ、有難いと素直に語る。

 

インタービュー時には複雑な心境を語る。

お陰様で何かと取材をして頂く機会が増えたらしいが。

 

しかし、コスプレキャラ芸人の一発屋と文筆の取り合わせがよほど意外なのか、取材者の表情や口調は冒頭から「沢山の本を読まれてきたのですか」等々の質問が多いという。

「そういうバックボーンでもなければ、納得できぬ!」

と言わんばかりであると語る。

権威ある文学賞に選ばれるものや、何十万部の大ヒットを飛ばすものもザラにいるのに。

 

「いやー、良いゴーストライターの方に巡り合いまして……」
と皮肉を込めた冗談で応戦するのが精一杯であるという。

 

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引きこもりの中学時代

 

『難しい本を読む子供』を演じていただけのことと語る。

此方も芸人の端くれ。空気は読む。インタビュアーのお気に召すかと、「子供の頃、スタンダールの『赤と黒』とか、ドストエフスキーの『罪と罰』、あと、ゲーテの『ファウスト』なんかも読んでましたねー・・・」と“いかにも”なエピソードを披露することもあるとか。

 

父は高卒の一公務員。裕福ではない。拾って来た文学全集がインテリアとして棚に飾ってあっただけらしい。家族の誰もそれらの本を読んでいるのを見たことがないという。

 

親が親なら子も子であると正直に語る。図書館には良く通っていたらしい。厳格な父だったらしく、TVはダメ、時代劇やNHKしか見れず、民放のバラエティなど論外。

 

ファミコンやキン肉マン消しゴム、ビックリマンシール等々、当時子供たちの間で流行ったありとあらゆるものに、縁が無かったという。

 

歴史や偉人について描かれたマンガ、「ためになる」と言い訳の立つものの場合は目をつぶるという、暗黙のルールの存在があり、歴史や偉人については無駄に詳しいという。

 

振り返れば、中学受験を突破したころの僕は、「勉学の世界でのし上がろう!」とボンヤリ考えていたが、とあるキッカケで14歳の夏から不登校に。(登校中にウンコをもらし、そのまま洗って授業に出たらしい。臭いに気づかれ自分から逃げ出したらしい。)

その後、一念発起し、20歳手前まで続いた引きこもり生活に終止符を打つべく、大検を取得。なんとか地方の大学に潜り込んだが、これもほどなくドロップアウトした。

夜逃げ同然で上京し、お笑い芸人を志すが、正統派の道では鳴かず飛ばず。結果、シルクハットを被った"貴族"として世に出る羽目になった。一度だけ少々売れはしたが、長続きはせず今に至る。言ってみれば、負けては逃げの繰り返し。

まるで、焼き畑農業のような人生である。大体、バラエティー番組で活躍し、毎日のようにテレビに露出していれば、第二の道など模索する必要などない。

負け続けた結果、辿り着くキャリアもあるといったところか。

    

中学校時代の写真

 

今回の講演先は、かつて通っていた中学校

 

昨年の暮れ、僕は母校の中学を訪れた。2学期の終業式の日、全校生徒を前に、何か話をしてくれとの依頼を受けたからである。

実際に通った期間を思えば、僕に“母校”と呼ぶ資格があるのか甚だ疑問だが、何と言っても30年ぶり。
流石に、感慨深いものがあった。

 

それにしても、文筆の御利益、霊験のあらたかなることよ。
10年前の"売れっ子"時でさえ縁が無かった講演会なる仕事が、コラムを書いたり本を出したりした途端舞い込むのだから。

実際、近頃この手のオファーは多い。

一発屋が講演などと、もはやギャグの領域だが、話のネタになればとなるべくお受けしている。

本番。
司会役の先生が、「えー、今から皆さんの大先輩である、髭男爵・山田ルイ53世さんが、お話をしてくれます!えー、山田さんは2008年頃ブレイクされ・・・」僕のプロフィールを交えながら前説をしていると、

「10年前!?」
「古っ!」
"2008年"のところで、会場がザワつき始め、軽く笑いが起こった。(これは、ちょっと馬鹿にされてる感じやなー・・・)

 

先生の話が終わりステージに飛び出すと、およそ60分間怒涛のトークで大いに盛り上げ、講演は無事終了した。自分で言うのもなんだが、正直、ウケた。

 

その証拠に、東京へと帰る新幹線の車中で、SNSを眺めれば、「いや、髭男爵さんって、今日の話も面白かったし、全然一発屋じゃない!」「“普通に”面白かった!」「一発屋とはいえ、やっぱりプロ!凄いなー!!」と賛辞の声が溢れている。

ともかく満足して頂いた様なので、ホッと胸を撫で下ろす。

 

髭男爵さんを招いた「世界一受けたくない人生相談」 を 1/22(火)19時渋谷ヒカリエで開催。

 

超進学校からの引きこもり、そして一発屋に……。

貴重なセカンドキャリア論。

詳細はこちら(https://peatix.com/event/584897/view)

 

これは受けるかも・・・ね!?

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