日ハム・斎藤佑樹がTVで見せた涙の訳?チームメイトへの熱き想い
日本ハムの斎藤佑樹投手(30)が1月3日(木)、午後9時からのTBS系「消えた天才」のTVに出演し涙した。番組では2006年、夏の甲子園で初優勝したときの早実野球秀才軍団の面々を取材していた。あれから12年も経つ。斎藤投手の涙の訳は?
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日ハム・斎藤佑樹TVで見せた涙の訳?チームメイトへの熱き想い!
2006年に夏の甲子園初優勝したときのチームメートを思い、「(チームメート)それぞれ活躍していると聞いているので、恥じないプレーをしたい」とその瞳から大粒の涙を流した。
番組では決勝を戦った当時の早実メンバーの現在を追う。その中で、斎藤は一緒に高校日本代表に選手され、早大野球部に進んだ5番の船橋悠左翼手を回想する。
「彼はセンスマン。一緒にプロに入りたかった」と当時を振り返って答えている。
船橋さんは1年生の冬に「野球部を辞めようと思うと言われた。必至で引き留めたが、1年の終わりに辞めた。すごくショックだった。一緒にやりたいと強く思っていただけに、自分が止められなかった悔しさが・・・」と振り返ると、斎藤の頬に涙が流れた。
2006年:夏の甲子園の熱戦
背番号「1」をつけていた早稲田実業の斎藤は、2006年夏の甲子園決勝戦で、現ヤンキースの田中将大投手がエースを務めていた駒大苫小牧と対戦。斎藤佑樹は輝いて見えた。
延長十五回を戦うも、引き分け再試合となり、翌日の再戦では、早実が4-3で逃げ切り、初優勝を果たした。当時はマスコミでハンカチ王子として注目され、進学した早大から日本ハムにドラフト1位で入団した斎藤だけがプロ入りした。
しかし、プロ入り後は鳴かず飛ばずの成績仕舞い。正直言って、あの時、夏の甲子園での熱戦から振り返ると物足りなさだけを感じる。あの8年前の熱気は一体何だったのだろう?
ポジション | 投手 |
投打 | 右投右打 |
身長/体重 | 176cm/76kg |
生年月日 | 1988年6月6日 |
経歴 | 早稲田実 – 早稲田大 |
ドラフト | 2010年ドラフト1位 |
プロ入り後の成績は以下の通り。
はっきり言って、もうプロ失格の一言!
8年間で、たった15勝しか上げられていない。言訳が通用しない。結果がすべてだ。
田中将大投手との差は、嫌でも歴然としている。
栗山監督は、「僕が悪いんです。」と2年前、日本外国特派員協会での記者会見の中で平謝りしている。「特別な能力があるのは分かっている。もう少し時間を下さい」と再生への熱き思いを語っているが・・・もう球団の好意に甘えていられる歳ではなくなっている。
現在のチームメイト達の現在は?
斎藤佑樹が想い、涙した船橋さんは、現在、転職支援会社の代表取締役を務めている。
「野球部での4年間を想像したときに、とてもじゃないけど、ドラフトで指名される選手ではないと自分の実力を感じたので辞めた。プロになりたかったが実力が足りないと」と野球から離れた理由を明かしている。
さらに斎藤が涙を流しているシーンをVTRで見せられると、「斎藤が泣いているのは甲子園で優勝した時ぐらい。きっとどうでもいい人なら涙は流さない。そこまで思ってくれていたという気持ちですね。あの甲子園での優勝は今すごく熱くなれている。その熱い気持ちで経営ができている」と振り返った。友情なのかな?そう思いたい。でも同情ならば、もう終わりだよ。
番組でほかの斎藤のチームメートの現在を紹介していた。
4番でキャプテンの後藤貴司遊撃手は、斎藤とともに早大野球部へ。
社会人に進むも、2015年に引退し、現在は日本製紙で営業マンとして働いている。
当時の甲子園1位タイの8犠打を記録した2番の小柳竜巳三塁手は早大進学も野球部には入らず、現在は大手広告代理店・博報堂に勤務。「野球以外に好きなものができると思っていたが、野球以上のものはなく、もう一度野球に戻りたいなと。2020年に東京五輪があり、スポーツイベントに関わりたい」と奮闘している。
ほかでは1番の川西啓介中堅手は電通。
3番の檜垣皓次朗一塁手は、三井住友海上。
7番の内藤浩嵩二塁手は、住友商事。
斎藤の女房役を務めた8番・白川英聖捕手は早大野球部から会社員となっていることが明かされた。
まとめ
斎藤佑樹投手よ!
今年が最後の年だと思って、きっと努力していることだろうと思う。
でも、今年2桁勝利出来なければ・・・パッとした成績を残せないなら引退すべきだ。
かってのチームメートは各々活躍の場を得て、溌剌としている。
君だけ飛べないバッタのままで野球人生が終わろうとしている。
羽ばたくには、飛び立つには、もう遅すぎる歳になってしまった!
「消えた天才」のTV番組に出てくる様じゃ、もう過去の人と烙印を押されたのも同然だ。
去り際が爽やかでないと・・・晩節を汚してしまうよ。
「ハンカチ王子」の言葉が今では懐かしい限りだ。
寂しいが、引導を渡すのは自分自身でなければならない。
球団の好意に甘えていて良い歳ではないはずだ。
仕方あるまい。8年間で15勝では!?・・・先が、もう見えている。
ボロボロになり、再起できないほど野球を続けるのは愚かだ。
去り際を爽やかにしてほしい。せめてもの想いだ・・・まだ若い。
新しい人生がきっと開けるはずだ。球団に残るという選択肢もあるはずだ。
早い方が良い。かってのチームメイトのことを思い出して涙するにも分からないではない。
しかし、まだ昔を振り返り涙していい歳ではないのだ。
こんなことで涙する君に、もう「悔い」という言葉を感じてしまった。
才能に見切りをつけるのも才能の内だ。
「ハンカチ王子」などという言葉はもう聞きたくもないはずだ。
遠い昔の話の出来事なのだ。良く分かっているはずだ。
自分の才能に見切りをつけないと・・・
君の才能は甲子園での力投でもう失くしてしまったのだ。
もう伸びしろはない。無理だ。