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母の認知症は劇的に回復に向かった!その方法とは?

2018/12/21
 
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平成24年8月頃には、母は1人で兄の所へ行き一日泊まり、翌日には埼玉の実家に戻ってゆける様になっていた。

認知症発症から9ヵ月目、即ち平成24年6月頃から意識もかなり正常に戻って来ていた。

 

認知症発症と同時に速攻の対応が功を奏したらしい。

半ば強引に東京に連れ戻し、皆で介護に当たったのが正しかった。

ショック療法が見事に当たったのだ!

 

皆が皆、この方法で治るとは思えないが、我が家の母は間違いなく、この強引とも思えるやり方で成功した。

長期入院で急激に認知症を発症した場合、即対応に当たれば治ることもあるという極めて稀なケースだったと思う。

 

あのまま田舎に一人で置いておいたら、きっと重症化していたと思われる。

しかし、その引き換えに払った代償はあまりに大きかった。

 

私の方が完全におかしくなってしまった。

鬱に近い状態に陥ってしまった。

 

行きつけの心療内科の医者は睡眠薬が効くように大量の「ベゲタミン剤」ばかりを投与してよこす。

ネットで調べてみると、今どき「ベゲタミン」ばかり投与する医者はもうあまりいないみたいだった!

 

今は確か、投与は禁止されているはずだ!

 

睡眠薬の効き目は良くなるが依存性が高くなり、常習化する弊害があり治療としては極めて安直なやり方だという事が分かって来た。

医者への不信感が募る。

 

駅前にあったから行き易いので安易に通っていたが、こんな医者では私の不眠症と鬱状態は治らない。

 

この男もやはりヤブ医者だ!

何よりも勉強不足だ!

 

まだ、50代に届くか、否かぐらいなのに・・・

何にも専門医療を研究している感じがしない。

 

お調子ばかりが良く、私の症状が好転しないと、ころころと薬の種類ばかりを変えてゆく。

そして大量の「ベゲタミン剤」投与!

 

患者が来ないときは時々、診察室で下手くそなギターを弾き、これまた聞いていられないぐらいの下手くそな歌を歌っていた。

 

聞くに耐えない。

医者を変えねばならない。

 

渋谷区の地域医療担当課に電話をし、事情を話した。

我家から近くの区民センターに精神科医が来てもらえることになった。

相談に乗ってもらうと、やはり最近では「ベゲタミン剤」投与はあまり行われていないとの旨。

 

「4錠も投与されている」と言うと驚いていた。

医者を変えた方が良いと言われたが、どこの医者が良いかは言わなかった。

 

「医者の間にも仁義があるのかな?」と勝手に想像していた。

地域医療の相談員に他の医師を教えて貰い、代えることにした。

 

平成24年8月頃では仕事の疲れから、睡眠薬なしでも時々はまだ眠れていた。

しかし、12月頃には完全にダメになった。

 

過眠と不眠が交互に起こるようになった。

退職しなければ、本当に鬱病になってしまう気がしていた

 

妻と子供二人が妻の実家のある弘前市に帰省すると母と二人きりになる。

母とは会話があまりできなかった。

 

もう母の事を思いやる余裕など全くなかった。

仕事の疲れと睡眠不足・・・頭が冴えない。

新しい事が覚えられない・・・いつも頭がボーッとしている。

 

昼間は生あくびばかり・・・

不安に襲われる。

 

精神安定剤を飲む・・・悪循環・・・。

焦りが募る。

 

この頃、飲んでいた「イリコロン」という睡眠薬のせいか?

しかし、薬の量を減らすと夜中に何度も目が覚めてしまう。

 

今度は「ミンザイン」という薬に変わった。

何にも変化はない。

早く医者を替えねばならない。

 

仕事には何とか出かけていた。

しかし、物忘れが酷くなり、メモをしっかり取っていないと2~3週間前の事などすぐ忘れてしまう様になった。

 

脊椎管狭窄症で腰も痛い。

太ももに力が入らない。

若い時と比較にならないぐらい体力が衰えている。

 

不安に襲われると精神安定剤を飲むしかない。

仕事の事を考えると胃がキリキリと痛むようになった。

 

幸いなことは母が認知症から奇跡的に回復したことだけだった。

この時の私はもう認知症患者の介護など到底できる状態ではなかった。

 

仕事から戻ると疲れのため風呂にも入らず眠ってしまう事が何度もあった。

遅刻と早退を繰り返す様になってきてしまった。

 

63歳の誕生日はこれまでの人生の中で最悪だった。

胸の動悸、息切れ、吐き気・・・間違いなく鬱症状だ!!

 

自殺願望がなかったのは生来の負けん気の強さだろう。

しかし、限界が近づいていた。

 

自分で「認知行動療法」を試みる。

自己催眠に近い・・・頑張っても心が晴れない。

 

結局、診断書を添えて休職届を提出する。

図書館に行き「心の晴れるノート」などを読み認知療歩を再度試みる。

 

続かない・・・「鬱病を治す関係の本」が読めない。

根気が続かない!

 

友人が心配して家まで来てくれた。

12月7日(金)又、東北を震源地とする地震があった。

東日本大震災を彷彿させられる。

 

平成24年はこんな調子で終わってしまった。

悔いだけが残った。

 

心療内科の医者は「男の更年期障害ではないか?」などと言い出した。

ダメだ!

この医者を替えないと治らない。

 

昨日の出来事が思い出せない日が多くなった。

腰痛も酷い・・・腰痛体操をしても治らない。

朝、極端に早く目覚める様になってしまった。

 

体調は最悪になった。

母は「私がものぐさでちっとも田舎に行こうとしない」「米も田舎で買った方が安いのに・・・」などと妻に愚痴ったらしい。

 

人の置かれた状況が分かっていない。

認知症が劇的に治ったとは言え、他人の事を思いやる気持ちなどは持ち合わせていない様だ。

 

さすがに、妻も頭にきて「今、体がおかしいのだから田舎になんか行ける訳ないでしょう!」ときつく母を諫めたみたいだ。

 

私鬱状態になった原因の一つは母の介護に当たった事だ。

それは間違いない。

認知症になった母の介護だけが原因ではないが、少なくとも私の鬱状態を作りだすきっかけの一つにはなっている。

 

しかし、母は自分が原因の一つであるなどとは露ほども思っていない。

この無神経さに腹が立つ事が多々あった。

 

下の娘の大学入試試験と重なり、どこに入れるか、その進学費用は幾らぐらいかかるのか、心労が尽きない。

幸いにも早稲田大学に推薦入学が出来た。

 

ホッとしたのも束の間で、今度は帯状疱疹にかかり体が酷く痛くなった!

一錠500円の薬を一週間も飲む羽目になった。

一万円以上の治療代にビックリする。

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