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9/1#私は追悼します!関東大震災と朝鮮人大虐殺&コロナ禍の自粛警察について!

 
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9月1日は「防災の日」です。今から97年前の大正12年(1923年)9月1日の昼頃に起きた大地震によって関東地方は壊滅的な被害状況に…。この関東大震災の日に因んで9月1日は防災に備える日となり、各地で防災訓練などが行われています。しかし、この日の夜から9/2朝にかけて、多くの朝鮮人が民間の自警団などにより殺害されました。大混乱の中で起きた朝鮮人大虐殺事件とコロナ禍での自粛警察とがダブルのはなぜでしょうか。同レベルの問題と捉えて良いのでしょうか。

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9/1#私は追悼します!関東大震災と朝鮮人大虐殺

虐殺された朝鮮人の正確な犠牲者数は不明で、立場によって推定で数百名~約6000名と、非常に幅広い差があるのが特徴的です

南関東域では今後30年以内に大規模な地震が発生する可能性が高いといわれています。これを機に、家族や地域で日頃の備えについて話し合うのは勿論大事なことですが、それと同時にこの事件を風化させないために、もっと国民的な議論がなされるべきなのでは…?都立横網町公園

推定で190万人が被災、10万5,000人あまりが死亡あるいは行方不明に(犠牲者のほとんどは東京府と神奈川県)。建物被害においては全壊が約10万9,000棟、全焼が約21万2,000棟。

東京の火災被害が中心に報じられているが、被害の中心は震源断層のある神奈川県内で、振動による建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波による被害が発生。

この大混乱の中で、朝鮮人大虐殺が起こったのはなぜ…?防災の日ばかりが強調され、日本人が朝鮮人を追悼する気持ちが年々希薄になっているのでは…?日本人さえも訛りから朝鮮人だとして殺されているというのに…。

 

正確な虐殺者数が今更明らかにできないとはいえ、数百人~6000人と極端な差がありすぎるのが議論されつくされていない証拠なのでは…?

関東大震災朝鮮人虐殺事件  とは、1923年の関東大地震によりもたらされた関東大震災の混乱の中で、民間の自警団などによって少なくとも233人(司法庁調査)(朝鮮総督府官憲調査では813人)の朝鮮人が殺害された事件である。その他に朝鮮人に間違えられて日本人58人、中国人3人が少なくとも殺害されている。また、軍によって殺害された人数は少なくとも朝鮮人39人、中国人200人、日本人27人である。当時の朝鮮寄りの朝鮮総督府官憲調査でさえ813人なのに平成になり、いつのまにか虐殺犠牲者数が6000~7000人と言われるようになっている。

日本人にとっては、9月2日は、朝鮮人虐殺に因んだ「痛恨の日」としなければならないだろうというツイッターを見ました。台所の包丁、鋭く削がれた竹槍、大工仕事のあらゆる道具、農作業に使う鍬、鍬、庶民の馴染みの道具が、庶民の手で殺人のための凶器に…以下の証言を見ると、…

例えば上野では、…「朝鮮人を1人つかまえたといって[上野の]音楽学校のそばにあった交番のあたりで、男たちは、手に手に棒切れをつかんで、その朝鮮の男を叩き殺したのです。わたしはわけがわからないうえ恐怖でふるえながら、それを見ていました。小柄なその朝鮮人はすぐにぐったりしました」(女優・清川虹子『恋して泣いて芝居して』主婦の友社、1983年)という証言があり…

神楽坂では、…「[神楽坂警察署の前で]突然トビ口を持った男が、トビ口を高く振りあげるや否や、力まかせに、つかまった2人のうち、一歩おくれていた方の男の頭めがけて振りおろしかけた。わたくしは、あっと呼吸をのんだ。ゴツンとにぶい音がして、なぐられた男は、よろよろと倒れかかった。ミネ打ちどころか、まともに刃先を頭に振りおろしたのである。ズブリと刃先が突きささったようで、わたくしはその音を聞くと思わず声をあげて、目をつぶってしまった」(フランス文学者・中島健蔵『昭和時代』岩波書店、1957年)という証言が…。

こうした有名無名、老若男女にかかわらず、集めた証言は1100を超えているものとあるという。これら一つ一つの証言には、体験した本人にしか語れない“具体性”があり、こうした証言からのみ、朝鮮人虐殺の実態が皮膚感覚として伝わってくるように思うという鋭い指摘がある。

しかるに、何らの具体的な反証事実を掲げず、推論だけで「朝鮮人大虐殺」「南京事件」「従軍慰安婦」などなかったと断言する無神経さに、同じ日本人として怒りを禁じ得ない。以下の動画。

あまつさえ、朝鮮人が大震災の混乱に乗じて日本人へ乱暴狼藉の限りを尽くしたという極論に至っては語るべき言葉を持ち合わせません。上記のYouTubeの酷さはどこから…事実を積み上げた?

日本が中国や朝鮮で滅茶苦茶な乱暴狼藉の限りを尽くしたのではありませんか。それをまったく否定して、都合よくでっち上げの反論を作り上げるとは…人間として恥ずべき行為なのでは…?

強制的に日本に徴用工などで日本に連行された来た朝鮮人が組織的なテロ活動を行える余力があったなどと誰が思うのでしょうか。圧倒的な警察力で反政府主義者を容赦なく弾圧してきたのが日本の真実の姿なのでは…?

朝鮮人大虐殺&コロナ禍の自粛警察について!

地域の安全を住民の手で守ろうとする動きがエスカレートしたらどうなるか、ということを指摘する人がいる。大地震の混乱に乗じて朝鮮人が日本人を殺そうとしているとのデマが拡散し、民間の自警団や憲兵によって、朝鮮人や朝鮮人と誤認された日本人が多数殺害されたことと共通点がある。

大震災に際して政府が発した1本の通達。その影響も大きかったという。宛先は各地の警察。治安維持に努めるよう指示する中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が記載されていたというのだ。

「関東大震災のときの自警団は、最初のころ、行政が治安維持に利用しようとしていたわけです。ところが、自警団に加わった住民の行為をだんだん行政は止めることができなくなった。そして虐殺に至るわけです。戦時中の隣組にしても、戦時体制にからめ取られていく中、“非国民になりたくない”という力学が発生し、威力を持つようになった。配給などで『食料をあげない、もらえない』みたいな事態になれば、個人の生活が損なわれるからです。だから、誰も後ろ指を刺されたくない」

こうした「社会の暴走」はもちろん、日本だけのものではない。「第2次大戦中のドイツにおけるユダヤ人に対する密告は日本の比ではありませんでした。アメリカでも黒人へのリンチが歴史上何度もあったし、今も起こっています。いつの時代も、どの国でも、ちょっと方向を誤ったり、変なふうに火がついてしまったりするだけで、たやすく社会は暴走します」

「コロナ関係で自粛警察なる動きをする人々についても、その心情は『よかれと思って』でしょう。国が呼び掛けている方針に『みんなで従いましょうよ』というのが出発点。

 

でも、かつての隣組が『配給食料をやるか、やらないか』という些細なことで人権弾圧みたいなのものを発生させたように、あるいは関東大震災後の自警団が虐殺に手を染めていったように、簡単にエスカレートしていく危険性がある。

 

過去から学ぶことは重要で、今は何をすればいいのか。

「政府や地方自治体の自粛要請をめぐる対応がどう行われ、その結果、どういう効果や弊害が生じたのか。きちんと記録に残すことが第一歩です。その記録を基に、議論することが必要です。政府の専門家会議などが議事録を作っていないことは、その意味でも非常に問題があると思います」

自粛要請に反して営業しているお店に貼り紙して脅したり、公園で子どもがマスクをせずに遊んでいる、橋の下でバーベキューをしているといったことを110番して取り締まりをさせようとする。

 

千葉県の休業していた駄菓子屋に「コドモアツメルナ オミセシメロ マスクノムダ」という貼り紙、東京都のライブバーに「安全のために、緊急事態宣言が終わるまでにライブハウスを自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます。近所の人」という貼り紙。

 

営業中の店舗に嫌がらせが続出。長野県では「コロナ」の名を付した飲食店に3月から無言電話やネットでの中傷的な書き込みが相次ぎ、横浜市の飲食店では扉に「バカ、死ね、潰れろ!」の落書き

 

東京都の商店街の組合に「商店街すべてをなんで閉めさせないんだ、すぐに閉めさせろ。何考えてんだ、馬鹿野郎」「利益を上げていて最低」「恥」など多数の電話

 

他県のナンバー狩り…。県外ナンバーの車に乗る人があおり運転されたり、暴言を吐かれたり、車に傷をつけられたりする事例が相次いだという…皆、異常な過剰反応だ。また、朝鮮人大虐殺のような非人道的な事件が繰り返されないという保証はどこにもない。

 

日本人は過去から学ばない。執拗すぎる相互監視はまさに「戦中の隣組」、「戦前の自警団」とかなり似通っている。太平洋戦争を遂行させるために作られた『隣組』と共通するところがあるとは…。戦後75年を迎えようとしてもなお、人々の意識が変わっていないという事実に驚かされる。

戦争になれば、国家の国民生活を隅々まで統制しないといけない。食料などの配給制度は最たるものです。しかし、政府や地方自治体だけで統制をやるのは非常にきつい。そこで隣組を使い、国民の協力を得て統制をやろうとしたわけです。上意下達と下意上達を組み合わせ、ある程度、国民の意見も取り入れて、ガス抜きするような形で戦争の遂行を図っていったところがあります

「隣組では、戦争を批判するような発言を住民が聞きつけて、憲兵や特高警察に密告する行為はよく見られました。今と共通しているのは、通報する人たちが『お国のため、全体のために』と考え、よかれと思ってやっている点です。いわゆる自粛警察をやっている人たちはそれが行きすぎて、個人の自由や人権を損なう事態を引き起こしている。そのへんがかつての隣組と共通している。『お国のため』という大義名分を得て、人権弾圧などがエスカレートしていくわけですね」

コロナ禍で劇的に世の中が変わったというのは表面上の話だけで、日本人の本質的な部分は変わっていないのか。変わらないと生きてはいけないのだが…。

ツイッターの声・反応

9/1#私は追悼します!関東大震災と朝鮮人大虐殺&コロナ禍の自粛警察について~まとめ

ポスト安倍後の総裁選の行方ばかりの報道を垂れ流し…。ここでも詭弁やウソが繰り返されている。何十年経っても日本人の意識は変わっていない。歴史から学ぼうとしない態度は戦後教育の賜物だろうか。どこかで変わらないと、また同じ所業を繰り返すと危惧される。

 

素直にすべての犠牲者を追悼すると言い切れないもどかしさ…。この表現だけでは足りない。恐るべきことが起きているのだから…79年後の今、再び起きないとは誰も断言できない。

自分と考えが違う人に対する日本人の非寛容さは半端ない。ただ、日本人だけが非道な事をする人種ではない。欧米人も同様に中国やインドで残虐行為を働いている。

 

だからと言って日本人が開き直って良い道理がない。事実は事実として素直に認め、そこから再出発するしかないのだが、やろうとしないのはなぜ…?過去への反省がないのはなぜ…?

 

歴史の書き換えを許してはならない。こうしたものからは何も生まれない。

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