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小原大樹の高校と大学や野球経歴を調査!亡き父との約束は大リーグ挑戦で果たせるか?

 
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米大リーグを目指す県人投手がまた現れたと言っても、日本ではまだまったく無名だが・・・花巻東高出身(大谷翔平と同期)で社会人野球・日本製紙石巻(宮城)の小原大樹(25)がメジャー挑戦の意志を固めたらしい。現在、都内近郊でトレーニングを行っており、今月いっぱいで同社を退社し、来年2月にメジャー複数球団のテストを受験する予定。年明けから米国で母校の先輩であるマリナーズ・菊池雄星投手(28)と合同自主トレーニングを行い、来春までに米球団のトライアウト(入団テスト)を受験する。

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小原大樹の出身高校と大学や野球経歴を調査(プロフィール)!

●1994(平成6)年9月9日生まれ
●25歳、岩手県出身

●小4で野球を始め、滝沢二中では硬式の盛岡シニアで投手
●花巻東高では大谷翔平選手(現大リーグ:エンゼルス)とともに甲子園に2度出場

●慶大では1年生春に東京六大学リーグ初登板も2年生時は肘痛で登板できなかった
リーグ通算成績は16試合に登板、1勝0敗、防御率2・37

●1メートル81、84キロ。左投げ左打ち
●家族は母と弟2人(慶大4年の和樹、中3の大和君)

世代 1994年度(25歳)
ポジション 投手
最高球速 141km
球速ランキング(682位)→今春、サイドスローに変えるまではこれが最速だった
所属 日本製紙石巻
中学 盛岡北リトルシニア(2007年ー2009年)
高校 花巻東(2010年ー2012年)
大学 慶応大(2013年ー2016年)
社会人 日本製紙石巻
全国大会(高校) 高校2年
2011年全国高校野球選手権大会(1回戦)
高校3年
2012年選抜高等学校野球大会(1回戦)
全国大会(社会人) 社会人1年
2017年都市対抗野球大会(1回戦)
2017年社会人野球日本選手権(1回戦)

大谷翔平と同期で甲子園へ2度出場しているといっても、大谷選手の活躍と比べればまったく陰に隠れて見えてこなかった。

 

花巻東時代は、高校生史上初となる160キロを計測した大谷に次ぐ2番手だったが、2011年2年生夏の甲子園では帝京との初戦で先発を任され、大谷が救援した。(下の写真)

頼れる”怪物”大谷にボールを渡す小原大樹

 

卒業後は慶大、日本製紙石巻へと進んだ。

 

小原大樹の最新の出場成績

日付 打順 守備 投球回 被安打 奪三振 自責点 試合
2019-08-24 10番 vs七十七銀行
2019-06-06 10番 中継 vs七十七銀行
2019-06-01 10番 中継 vsTDK
2019-05-12 10番 中継 3 1/3 7 0 4 vs日本製鉄鹿島
2018-05-12 10番 中継 vsTDK

大学・投球成績

年度 試合 勝利 敗北 防御率 投球回 大会
1年春 2 0 0 0 2 2/3 東京六大学野球春季リーグ2013年
1年秋 4 0 0 0 5 2/3 東京六大学野球秋季リーグ2013年
3年春 6 0 0 2.61 10 1/3 東京六大学野球春季リーグ2015年
3年秋 3 0 0 4.05 6 東京六大学野球秋季リーグ2015年
4年春 4 1 2 2.31 11 2/3 東京六大学野球春季リーグ2016年
4年秋 2.29 19 2/3 東京六大学野球秋季リーグ2016年

日本製紙石巻硬式野球部ー背番号19 尾原大樹(おばら だいき)

ポジション
投手
所属先 日本製紙石巻工場総務課
生年月日 1994年9月9日
身長・体重 180cm・83kg
投打 左・左
出身地 岩手県
経歴 花巻東高−慶應義塾大
在籍年数 3年目
[今年の抱負]Stay hungry. Stay foolish

成績は上記の通りパッとしていない。
社会人野球でも思うような結果を出せなかったので、3年前の秋のドラフト会議では指名漏れ

 

プロになる夢がかなわず、社会人野球へと進んだが、プロへの夢が捨てきれなかった。
それが今回の大リーグ挑戦へとつながっている。

 

亡き父に誓った約束は?

小原選手が慶応大学4年生(22歳)の時、父親・誠さんは2016年に肝臓を患い、急逝している。
享年57歳という若さだった。


初勝利のウイニングボールを父の墓前に捧げるため写真を撮った小原選手と母・祥子さん

 

慶応大学での初勝利が「4年目になったけど、すごくうれしい」と語っていたように、東京六大学リーグでの優勝とプロ入りを父親の墓前で誓っている。

 

2016年のリーグ戦では一回に2点を失ったが、法大を相手に最速138キロの直球を中心に5回8安打2失点。東京六大学リーグ戦通算16試合目の登板で、待望の初白星をつかんだ。

 

野球を始めたのは小学4年。
陸上の長距離を指導する体育教員の父に鍛えられたという。

 

岩手・花巻東高時代は日本を、いや今は大リーグを代表する二刀流投手となったエンゼルス・大谷選手の控えだったが、野球をあきらめなかった。

 

高校関係者が反対した慶大挑戦を支え続けてくれたのが両親。
小原選手は肝臓を患い、盛岡市内の病院に入院していた父を見舞った際に誓ったという。

 

「『何があっても野球を続けてくれ』といったのが父の最後になった。絶対優勝し、プロになろうと思います」と。父に誓った約束を胸に大学4年生で臨んだシーズン。

 

しかし、この年の優勝は明治大学で父との約束を果たすことは出来なかった。
また、プロ入りも3年前のドラフト会議で指名されず、社会人野球へと進んだ。
この二つの約束が果たせないのが、多分自分でも気懸りだったのだろう。

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大リーグ挑戦で約束を果たせるか?

社会人3年目を終えた25歳。大谷の背中を再び追って、小原は退路を断つ。

「プロ野球選手になる夢をかなえるために社会人3年目で“線”を引かないといけないと思った。大リーグのマイナー契約を勝ち取りたい」と語っている。

 

小原は左サイドハンドで最速145キロの直球が持ち味。
今季、スリークオーターから腕を下げ、横手投げ特有の角度がついた。

 

慶大では1年時から先発、救援で登板。
3年間所属した日本製紙石巻では主にリリーフとして活躍。

 

数ある選択肢の中でメジャー挑戦を決心したのは今年10月頃らしい。
「いつ終わるか分からない野球人生。最善を尽くしたい」と決意。

まとめ

日本でプロ入りが叶わなかった選手が大リーグに挑戦して、容易に夢が叶うとは思えない。
来年の2月に受ける複数の球団のプロテスト(トライアウト)が上手くゆくといいが・・・


1ケ月前に購入し、使い込まれ真っ黒になったメジャー使用球を手にする小原選手

 

自分でも限りなく不可能に近いことは分かっているだろう。
いくら大リーグでは左サイドスローが希少だといっても、145kmの球速では容易に通用するまい。
150kmは欲しいところだ。しかも日本ではプロになれなかった選手だ。

 

今夏、かつて大谷と汗を流した母校を訪れ、恩師である佐々木洋監督に年内で退職し、国内独立リーグからプロを目指す意向を伝えたところ、「会社を辞めるリスクを背負えるなら、今後の経験にもなるし、米国に挑戦したらどうか」と提案を受けたという。

 

持つべきものは恩師だな。実にいいことを言う。
的確なアドバイスだと思う。

 

「米国という選択肢はそれまでなかった」小原選手、考え抜いた末、渡米を選択。

 

花巻東の3学年先輩となるマリナーズ・菊池にも報告。
「勇気ある決断をバックアップさせてほしい」と激励され、来年1月から米アリゾナ自主トレへの同行も決まったという。

 

大谷からは「通用するか、しないかではなく、自分のスタイルを貫くべき」と背中を押された。
滑りやすいとされるメジャー球には「自分で感じてほしい。試行錯誤を繰り返せば、プラスになる」と助言も受けた。

 

確かに無謀だろう。
しかし「上に行くためにどうしたらいいか」と考え、今春から横手に腕を下げたという。
シュート気味に食い込む直球は最速145キロを誇り、変化球も多彩。

 

万に一つの可能性があるなら、
何もしないで後悔するより、何かをして後悔した方が良いに決まっている。

 

年齢を考えたら、25歳というのはプロになる最終の歳だろう。
後で後悔しないよう、いま挑戦した方がいい。

 

ベストを尽くすべきだ。
小原大樹選手の決断は間違っていない。

 

来年2月のプロテストを応援したい。
そして、亡くなったお父さんとの約束「プロ入り」が果たせることを祈っている。

 

諦めない気持ちはとても大事だと思う。
そして、最善を尽くしてもダメな時はきっぱりと諦めよう。

 

それは早ければ早いほどいいと思う。
若ければ若いほどやり直しが効く。

 

花巻東高校の魂が輝くことを!

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