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デストロイヤーが素顔を見せなかった理由とは?力道山との名勝負

2019/03/09
 
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懐かしい名前が飛び出してきたものだ。プロレスが、まだ絶大な人気を誇っていた頃、外人レスラーとして人気者だったデストロイヤー。当時の熱気は今の若い人には伝わらないだろうな。力道山やジャイアント馬場のライバルとして知られた伝説のプロレスラー、ザ・デストロイヤー(本名リチャード・ベイヤー)さんが亡くなったと7日(日本時間8日)、複数の米有力メディアが報じた。享年88歳。覆面レスラーの先駆けだった。

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デストロイヤーのプロフィール

リングネーム ザ・デストロイヤー・ドクターX・通称:ディック・ベイヤー
本    名 リチャード・ジョン・ベイヤー
ニックネーム 白覆面の魔王
身    長 178cm – 183cm
体    重 110kg – 120kg
誕 生 日  1930年7月11日
死 亡 日  2019年3月7日(88歳没)
出 身 地  アメリカ合衆国・ニューヨーク州・エリー郡バッファロー
スポーツ歴  アメリカンフットボール・レスリング
トレーナー  ディック・ハットン
デビュー   1954年
引  退   1993年

Wikipediaより引用

大学時代はアメフト選手として活躍。下記の大学で修士課程まで修了しているのですから、学歴も立派にあります。

シラキュース大学教育学部卒業、シラキュース大学大学院修士課程修了。在学時からアメリカンフットボールの選手として活躍し、卒業後も母校のコーチを務めていたが、レスリングでも実績を残していたため、1954年にアメリカのプロレス団体からのオファーを受けてプロレスラーとしての活動も並行して始めたいうことらしいです。

24歳だった54年、当時は素顔でプロレスラーとしてデビュー。
しかし、62年に白地に赤の縁取りを付けたマスクを装着し、覆面レスラーの「デストロイヤー」として変身後に大ブレーク。
『白覆面の魔王』の異名を持つようになります。

 

同年にブラッシーを下してWWAヘビー級王座を獲得。
63年には日本プロレスに初来日元WWA王者で63年に初来日。力道山と名勝負を繰り広げた。
63年5月24日、東京体育館で行われた力道山戦のTV視聴率は64%という驚異的な記録を残しました

しかし、ジャイアント馬場に敗れたことで73年3月から全日本入り。
キャリアは約40年、日米での試合は実に8000試合以上に及ぶ。
この間US王座を通算20度防衛した。

 

必殺技の『足4の字固め』は流行語にもなりました。
全日本時代はジャンボ鶴田、大仁田厚、渕正信らを指導。

 

また日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」にレギュラーで登場し、和田アキ子、徳光和夫との掛け合いが人気を集めた。足4の字固めをかけられて悶絶中継する徳光和夫の姿が注目の的だった。面白い日本語で当意即妙な受け答えが茶の間に受けた。

93年に現役を引退。
たびたび来日し、17年には外国人叙勲者として旭日双光章を受章していた。

寂しいなぁ・・・平成どころか、昭和がまた遠くなった。

 

素顔を見せなかった理由とは?~4つの理由のため

素顔は検索しても、なかなか見つかりませんでした。
レスリング引退後もマスクをかぶりっぱなし。
素顔じゃない以下のような写真ばかりなのです。かなり徹底していましたね。

 

でも、ゴルフの練習をしていて、暑くなるとマスクをとってドライバーを打っていたとか・・・結構、いい加減な所があったのもご愛嬌でしょう。

1954年デビューのザ・デストロイヤーさんですが、デビュー後は普通に素顔でやっていました。
しかし、1962年に白地に赤や青の縁取りを付けたマスクをかぶるようになり、ヒールの覆面レスラー「ジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤー(The Intelligent Sensational Destroyer)」に突如変身。

 

その後、覆面レスラー初の世界チャンピオンになり、US王座20度防衛という大記録を打ち立てて一時代を作り上げました。
覆面こそ彼のシンボルであり、その後のタイガーマスクにもその影響を与えたと言って間違いないでしょう。

 

素顔を見せなかった4つの理由

① ライセンスを持っていなかった
アメリカでは大きな試合をするプロレスラーにライセンスが必要で、それを持っていないために正体を隠していた。

② 他のスポーツもやっていた
実はプロレスだけでなく、アメフト、野球、レスリングと複数のスポーツをやっていました。
お金をそれだけ稼ぎたかったんでしょう。凄い体力があったのですね。

③ 前歯が折れていた
様々なスポーツをやりすぎで前歯が折れていてかっこ悪かったらしいとのこと。
それを隠すためにマスクをしたそうです。

④ 優しい顔をしていた
素顔(下の写真)を見て分かるように優しい顔をしているのです。
とても「デストロイヤー」「破壊者」って感じの顔じゃありません。

 

デストロイヤー『破壊者』というイメージを植え付けるためには顔が分からないように覆面をするのが一番印象が良かったのでしょう。

 

素顔の写真は、海外サイトの以下にありました。なかなかのイケメンです。晩年は学者のように穏やかな顔だったという事です。
出典:https://billsbigbamboo.blogspot.com/2010/02/sensational-destroyer.html

 

 

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力道山との名勝負~ジャイアント馬場やアントニオ猪木とも戦う

ザ・デストロイヤー(左)にフィギュア4レッグロック(足4の字固め)にもって行かれる力道山

力道山(右)に4の字固めを決めるデストロイヤー(1963年5月24日撮影)

まぁ、私もデストロイヤーの真似をして中学生の頃、クラスの弱い奴を捕まえて来ては「足4の字固め」を決めて遊んでいました。今で言えば、立派ないじめですね。結構、ワルでした。今思うと悪い事をしたなと反省しています。もう、遅いですけど・・・謝りたくとも何処に住んでいるのかも今は分かりません。

 

デストロイヤーは、もう50年以上前に活躍した人ですが、リアルタイム検索の1位になってしまうほどの影響力を持つ「元祖・覆面レスラー」であったのは間違いありません。

 

タイガーマスクもキン肉マンも影響されて、この間引退の話題だった獣神サンダーライガーさんも恐らく影響が直接でなくとも
間接的にはあったはず。50年経っても私たちに繋がっているのです。立派なエンターテイメント、茶の間の一大娯楽でした。プロレスは、当時まさに芸術だったのであります。

 

心の底からご冥福をお祈りします。合掌。鎮魂。

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