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長い闘病生活が始まった!老々介護できるのか?

2018/06/19
 
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5月10日(火)2時間に及んだ手術も終わった。

その間、私は座っていられず、ベンチで横になって終了するまで待っていた。

体調は相変わらず良くない。

 

手術が終わりやっと面会が許された。

私と兄嫁が集中治療室に入った。

母に問いかけたが、返事はただ「痛い!」「痛い!」と繰り返すだけ・・・

 

とても会話ができる状態などではなかった。

痛み止めの注射などでは治まらない程の痛みがあるらしい。

しばらく母を見つめていたが、話すことは諦めた。

私と兄嫁は程なくして退室した。

 

私は兄嫁に手術に立ち会ってくれた事に謝礼を言い、別れ自宅に戻った。

戻って暫くはじっと横になって休んでいた。

 

妻が仕事から戻ってくるまで横になっていた。

疲れて何もする気力が湧いてこない。

手術の経緯を妻に話すのがやっとの状態だった。

 

入院する時と手術の前に医師の方から色々説明を受けていた。

やはり手術まで10日も間を置いた事がかなり良くなかった様だ。

痛み止めの薬や注射で腎機能がかなりダメージを受けていると告げられた。

 

貧血もかなり酷い状態であり、手術には輸血も行われた。

もっと若ければ腎臓透析の処置が必要なぐらい腎機能が悪化しているとの旨。

腎臓透析が出来る様な手術をするか、どうかの判断を迫られた。

 

母の意識の回復を待って、その気持ちを聞いた。

「延命措置は望まない」とはっきりと答えた。

私達も同意見だった。

兄夫婦にも聞いたが同意見だった。

 

医師にその事を告げるとあっさりと承知した。

もう94歳になる母の年齢からして、腎臓透析が出来る様な手術をする事自体、かなり危険が伴うと認識していたらしい。

認知症が劇的に治った後も母の日頃の言動からして延命措置は望まないだろうと推測は出来ていた。

 

執刀医の説明は早口で専門用語ばかり駆使して喋るので容易に理解出来なかった。

私一人の頭では無理なので、出来るだけ妻に同席してもらい説明を受けた。

結局、術後はリハビリ専門科がないので、経過を見てリハビリ専門の病院への転院を勧められた。

 

6月22日に五反田のリハビリ専門病院に転院するまで1か月以上入院していた。

転院するまでは入院先のソーシャルワーカーに随分と相談した。

親身になって相談には乗ってくれたのは幸いだった。

 

手術後、暫くして母の痛みは治まっていった。

しかし、私の体中の痛みは治まっておらず、すぐ近くの入院先なのに見舞いに行くのがかなり苦痛であった。

毎日の様に見舞いに行ったが、近所の人の見舞いが何よりの励ましになった。

 

兄夫婦も、兄夫婦の子供達も見舞いに来てくれた。

親戚の者も来てくれた。

私達の子供も当然に見舞いに行き励ました。

この頃の母はまだ足を治そうとの意欲を見せていた。

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