出川哲朗の子供時代がすごいぞ。幼稚園の送り迎えはベンツだった!

   

出川哲朗の実家は、神奈川・横浜で120年以上続く老舗海苔問屋・蔦金商店
この蔦金(つた)商店の二男坊として生まれ、現在54歳となる。兄弟は3人。長男がお店を継いでいる。次に姉:峰子がいる。二男坊の末っ子という環境で育っている。
お店では全国の海苔のほか、今では出川とコラボした海苔「元気のりのり」も取り扱っている。これには出川の顔がラベルに貼られている。今日は、今人気絶頂期にあるこの出川哲朗に焦点を当ててみた。

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出川哲朗の子供時代がすごいぞ!

幼少期は5階建てのビルに住み、兄弟それぞれに専用のお手伝いさんがいる「お坊ちゃま」だったという。
幼稚園にはベンツで送迎されていたというから、今の風貌からはちょっと失礼だが想像がつかない。
末っ子だから、きっと祖父母、父母、兄弟から可愛がられて育ったことだろう。
家柄もすごい
曽祖父の三鬼鑑太郎は岩手圭敏鉄道(現JR釜石線・元社長)・衆議院議員
大伯父の三鬼隆は八幡製鉄所・初代社長、日本製鐵(現:新日鐵住金)・元社長
母方の遠縁は原節子の親戚に当たるらしい。

小学生時代の出川哲朗は、特別目立つ子ではなかったという。
ただ、ブルース・リーや松田優作のモノマネをするような子だったそうだ。
また、当時は「レーサー」を目指していたというから、まぁごく普通の子供だったようだ。

中学は横浜市立栗田谷中学に通っていて、普通に水泳をやっていたらしい。
高校は武相高校:偏差値44というから、まぁ、容易な学校みたいだ。
ここでは軟式野球部に入っていた。

高校時代は「ヤンキーでケンカばかりしていた」と武勇伝を語る彼だが、高校時代のアルバムには「割れたメガネをかける出川」が写っているらしい。
どうも、ケンカをしてもやられてばかりいたみたいだ。
口ほど強くはなかった様である。

高校3年生の時、実家が傾く

しかし、高校3年生の時に父親が事業を拡大しすぎたために実家の経営が傾き、今までの生活が一変してしまう。出川も一刻も早く働かなければならない事態に陥った。これは空襲で実家が消失した時以来の危機だったらしい。

銀行からは父親が社長業を退くことを条件に融資を検討すると言われため長兄が社長になったという。
出川家、最大のピンチを迎えることになる。

出川は、板前を目指し料亭で働くために、ひとまず料亭から指示され1982年から尼寺:月心寺で修行することになったそうだ。いきなり、料亭で働くのは無理と思われたみたいで、いわば精神修養のため課せられた課題だったようだ。

しかし、出川は中学の頃からの愛読書で、修行中に読み返した矢沢永吉の著書「成りあがり」に影響を受け、「俺も永ちゃんみたいに自分の好きなことをやって、スーパースターを目指そうと」以前から憧れていた役者を目指すことにしたいと思ったらしい。

半年後、思い切って母親に板前ではなく役者になりたいと頼み込み、了承してもらった。母親は「海苔屋は自分たちで頑張るから、自分の好きなことをやっていいよ」と言ってくれたそうで、出川は「それはすごい救われましたし、助かったですね。」と当時の心境を語っている。
母親の後押しがなかったら、ひょとすると今日の出川哲朗はなかったかもしれないですね。

芸人前の出川哲朗の役者生活

1985年に横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)を卒業した出川哲朗。1987年には、同校の第9期卒業生と共に「劇団SHA.LA.LA」を立ち上げた。
出川哲朗は劇団SHA.LA.LAの座長を務め、公演を開始する。
劇団のメンバーにはウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)や入江雅人など、現在も芸能界で活躍する面々が名を連ねる。

この時は自らメンバーを含めたギャラ交渉・スケジュール管理をしていた。
1986年から1989年まで、端役ながら映画『男はつらいよ』シリーズの第37作『幸福の青い鳥』から第41作の『寅次郎心の旅路』まで、5作品連続で出演している。

1990年4月からはテレビ番組『ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA.』に出演、この頃からテレビタレントとして本格的に活動を始める。

その後、テレビ番組『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』をはじめとした、体を張ったロケ・ドッキリ企画などで見せる立ち振る舞いやリアクションの面白さが徐々にお茶の間に浸透し、次第にテレビ番組において欠かせない、いわゆる「汚れ役」「いじられキャラ」としての地位を確立していった。

一方、多くの写真週刊誌・ゴシップ誌の恰好のターゲットともなった(が、本人はそのことすらネタにしている)。

また、この「汚れ」キャラクターが世の中に浸透していくにつれ、女性視聴者層から敬遠される傾向が出始め、女性ファッション誌『an・an』が毎年行っている読者アンケート「嫌いな男ランキング」では毎年上位にランクインするようになる。
2001年から2005年までに5年連続1位を達成し、「殿堂入り」扱いとしてアンケートの対象から除外された。本人からは「砂に入れたい男NO.1」にも選ばれたという。

渋谷辺りでは「出川狩り」と称して、殴る、蹴るといった乱暴を受ける現象まで起きたらしい。恐くて渋谷の街は歩けなかった!交番に駆け込んでも相手にしてもらえなかったと言いながら、今ではこれも笑いに変えている。
苦労人なのだ!

しかし2007年2月放送開始の「世界の果てまでイッテQ!」に出演し体を張ったリアクション芸、「デヴィ夫人の死ぬまでにやりたい10のコト」等でのデヴィ夫人との掛け合い、出川イングリッシュ等で、「汚れ役」「いじられキャラ」の徹底した仕事、出川本来の人柄が認知され、現在は人気・好感度の高いタレントとなる。出川ガールにも人気があり、又、裏方までにも気配りを忘れない出川の性格は現場でも受けているらしい。

「やばいよ、やばいよ」は流行語にもなる・・・この口癖は他の共演者からも真似されるようになった。
「ザリガニは相方」といってはばからない。鼻を挟ませる芸は出川の専売特許だ!

私生活では?

私生活では、2004年4月5日、元モデル・レースクイーンの阿部瑠理子と結婚し、嫌われキャラとのギャップで世間を騒がせた。身長168cm!!出川より8cm背が高い。14歳年下!!

家では嫁から「クソてつ」と呼ばれ、毎日朝になると、妻による「クーソーテーツ、死ねっ死ねっ死ねっ死ねっ! クーソーテーツ、起きろ起きろ、遊ぶぞ、遊ぶぞ」という歌で起こされるらしい。

子供はいないらしい。
嫁とは10年間、キスをしていないというが、本当なら随分と切ない話だ。
これも笑いの種の一つか?

出川哲朗の妻は、極度の人見知りらしい。そのため、有吉弘行など夫の芸人仲間に会おうともせず、彼らから「死亡説」を流されたこともある。

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俳優から芸人へ変身!

出川の運命を変えたのが「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」という番組だ。
大型バスをクレーンで吊るして、その中に芸人たちを閉じ込めてクイズを出題するなど、大掛かりで無謀なロケの数々で伝説を残した番組だ。
ここでも、たけし軍団、ダチョウ倶楽部をはじめとする歴戦の猛者たちに囲まれて、芸人ではない出川は最初は肩身が狭い思いをしていた。
だが、出川は獅子奮迅の活躍を見せ、番組内でもどんどん評価が上がっていった。
そして、司会のビートたけしにふざけて「タケちゃん、よろしくな」と話しかけたところ、芸人たちが出川を取り囲み、袋叩きにする動きを見せた。
このとき、出川は芸人たちの手荒い洗礼を受けて、「ああ、やっと仲間に入れてもらえた」と思い、涙が出るほどの喜びを感じたという。
根は真面目なのだ!
そして、この番組を通じて、笑いを取るために必死になる芸人たちの裏の苦労を知り、バラエティーの仕事に今まで以上に真剣に向き合うようになった。
いわば、ここで出川は「役者」から「芸人」へと生まれ変わったのだ。
ただ、この時期には一般女性からのイメージは最悪だった。
見た目も、声も、芸風も、何もかもが嫌悪感を生む要素となり、「生理的に無理」と一蹴されてしまうような状態だった。
当時の出川は「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」に代表されるようなディープな男性お笑いファン向けの番組にばかり出ていたため、そもそも女性からは敬遠されがちなポジションにいた。
さらに、当時は世間のお笑いに対する評価も低かった。
出川が現場で感じていたような「芸人って本当はすごいんだ」というようなことは、世間一般にはあまり伝わっていなかった。
2000年代に入り、本格的なお笑いブームの時代が訪れると、少しずつ空気が変わり始めた。
バラエティー番組でも、芸人の裏の努力や戦略などが赤裸々に語られるような場面も増えていき、芸人という職業やお笑いという仕事に対するイメージが変わっていった。
この段階でようやく「リアクション芸も一つの立派な芸である」ということが理解されるようになったのだ。

今でこそ、リアクションの神様としてもてはやされている出川だが、当初は役者志望というのは意外だった。それも波乱盤上の芸人生活だった。役者としては今一、今二だったが、芸人としては今、絶頂期だ!

引き換えに健康面では?

出川の以前の食生活は、「毎日コーラを2リットル飲む」「マヨネーズが欠かせない」というものだったが、現在はマヨネーズを我慢したり、飲み物もコーラではなく、炭酸水やお茶を飲んでいるということで体に気をつけているという。
15年で20㎏太ったというから碌なことにならない。
身長160cm、体重74㎏!本当はもっと太っているのではないか?

2006年頃には椎間板ヘルニアや坐骨神経痛。などを患い、手術もしている。
ポリープが見つかり、切除したり・・・まさに満身創痍の状態・・・
今でも高血圧や睡眠時無呼吸症候群の薬をのんでいるらしい。

2017年には胆管炎で入院している。
胆管炎とは、胆のうと肝臓、十二指腸をつなぐ胆管に炎症が起きる病気で、症状としては、右わき腹の痛み、発熱、黄疸などが現れる。

出川哲朗の充電させてもらえませんか?

これが、今受けに受けている。
7月14日の番組ではTV東京に34年間出演しなかった明石家さんまをゲストに迎えるまでになった。
出川、初めての冠番組である。

ヤマハの電動バイク(E-Vino)に乗り、行く先々の旅で人々の人情に触れる。
出川の気取らないキャラクターと相まって独特な雰囲気を醸し出している。
「世界の果てまでイッテQ!」辺りから体当たりの演技をしてきた出川が今、花開いている。

環境にやさしいこのエコバイクは20㎞しか走れない。体重によって走行距離に差がでる。これにまたがり、充電が切れたら汗をかいてバイクを押し、民家の軒先やお店で充電させてもらう。

これが受けている。
周りの人々に優しい出川の人気を不動のものとしつつある。

まとめ:出川哲朗の今後の芸能活動は?

本人も戸惑っている程の空前の出川人気振りである。当の本人は「やることは何も変わっていないのに世間が変わった。」と戸惑いつつも当然喜んでいる。
今後はどういう芸風を出してゆくのか?

ビートたけしや明石家さんまなど多くの大御所が『笑いのために死ねる狂人』と絶賛している。しかし、今後、出川がタモリなどと並んで、この3人の大御所と肩を並べるのは容易ではない。

タモリは司会に特化し、ビートたけしは監督と俳優、明石家さんまはやはり司会・俳優へと得意芸を身に付けている。今の出川哲朗にはそれがない。

今の出川では、いきなり主役級の俳優は到底無理だ!
司会もまず期待できない!
周りのプロデューサーもいろいろ考えているのであろうが、前途は多難だ!
これからの課題だ。
本人が一番自覚しているかもしれない。

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