母が認知症を発症してから3か月間が、一番辛かった。
この間は基本的に自分1人で世話しなければならなかった。
昼間、話し相手がいない。
誰にも愚痴をこぼせない。
妻と一人だけの友人に、夜になると車の中から電話をかけて、よく愚痴をこぼした。
友達とは有り難いものだ。無条件に・・・
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車の中から何十分も話していたなぁ~。
認知症になった母の介護は覚悟していた以上にしんどかった。
ホントに口を利くのも嫌気がさして来る時がある。
話が全くまともではない。頭が狂っているのでは?・・・何度思ったことだろう。
唯一の「ストレス解消の手段」は夜一人になれた時、車の名から「妻」と「たった一人の友人」に電話をかけ、愚痴をこぼす事だった。
何回、電話を掛けたことだろう?
友達も良く話を聞いてくれたものだ。何十分も・・・「うっとおしかったろうなと」反省はしているが。
ただ、黙って聞いていてくれるだけで有り難かった。
「柚子の木を切らないと近所の子供が入って来て棘で危ない」と母が言う。
「着物を処分しないとどうしようもない。」
「茶碗も何とかしないと・・・」・・・あれや、これや訳の分からない事ばかり言ってくる。
どうでもいい事ばかりなので、あまり相手にはしていられない。
しかし、黙って見ているとぶっ倒れるまで動いている。目が離せない。
ツケは後でこちらに回ってくる。
遣り切れない思いが募る。
何回かは交代のため兄夫婦が来てくれた。
一瞬、助かる事は助かるのだが・・・その後が・・・あ~あ~・・・
まあ、取り敢えず一息は付ける。
東京に戻り、やけ酒を煽り、多めの睡眠薬を飲んで一時(いっとき)の眠りに就く。
イビキをかいて寝ていたと妻が言っていた。
4時間は眠れたので、朝すっきりと目覚めた。
これで何日かは頑張れる。
母の家では全く眠れない時が多々ある。
深夜の徘徊・・・預金通帳と印鑑を隠して回るために、その物音と何度も明かりを付けたり消したり・・・極度の不眠症に陥った。
睡眠薬さえ効かない。一睡も出来ない!
午後2時頃に母の実家に戻ると兄嫁がそっと言う。
「庭のびわの木は切らないでくれ!」と母が泣いて頼むのを兄が無視して、「うるせえ!黙ってろ!」と怒鳴りつけ、脚立を放り投げた上、無理矢理びわの木を切ってしまったらしい。
夜になっても、母はシクシク泣いている。
こらえ性のない兄のことだから仕方がないのだが、「1日も我慢ができないものなのか」と、思わずため息が出る。
兄夫婦が帰り、夜になると、また母が訳の分からないことを言い出し始める。
「ここの土地は幾らで売れるだろうか?」とろれつが良く回らず聞いてくる。
適当な値段で答えると少しは納得したらしく大人しく自分の部屋に戻った。
しかし、寝室を覗きに行くと、又ベッドの上でシクシクと鳴いている。
「なんで、こんな土地を父さんに買わせちまったんだろう・・・」と。
昼間、兄とケンカになったのが多分に影響している。
良く分からないけど自分を責めている。
哀れさを感じるが、後悔先に立たずだ!
しかし、兄の手助けは母の症状をより悪化させてくれるよなぁ。
もう少し、「何とか我慢ができないものか?たった1日のことだぞ!」と、深い深い吐息が出る。
今、母が住んでいる土はすったもんだの挙句に取得したものだ。
売買ではなく贈与の形を取っている。
法律上、簡単に売買の形式が取れなかったので登記上、贈与にしただけだ!
実際は大枚はたいて買っている。
母の弟が母の生まれた実家を継いだのだが、これが甲斐性なしのええかっこしいの男だった。
譲渡すると言った土地を我が家から金だけ貰って譲ろうとしない。
したくても出来ない。
農地なのだから当たり前だ。
簡単には出来ない。
農地委員会の許可が要る。その手続きが出来ない。進まない。
進まないだけでなく、許可が下りなかったのだ。
出来ないなら出来ないで、さっさと父の所に来て説明して、謝罪すれば良いのにそれが出来ない。
渡した金に相当する農地をもうこれ以上父に譲れない。
結局、公言した約束を守れない。
父は叔父の話になると顔色が変わるほど怒っていた。
母は父に顔向け出来なかったのだ。