突如、認知症を発症した母!とてもじゃないですけど、こんな荒れ狂った状態では母を独りで放置して置けません。
入院先の病院を強制退去させられてからの母の言動は目に余るものがありました。
幻覚、幻聴、深夜の徘徊・・・手が付けられません。
とにかく、これはと思える病院には連れて行きました。
Contents
病院には何軒も連れて行った。何と精神病院にまで連れて行った。
嫌がる母を無理矢理、車に乗せ強引に連れて行きました。
自分が病気などとは本気で思っていないのです。
適切な治療を施さなければなりません。
しかし、にわか勉強の私にはその方法がすぐには分かりません。
近所の評判で良いと聞いた病院には無駄だと分かっていても、やはり連れて行きました。
そして、母は医者に言い張ります。
「今度という今度は許せない。例へ、息子でも金を盗んだのだから警察に行く。絶対に行く。」と・・・
真顔で真剣に言う。必死に訴える。
こればっかり・・・
強情な性格が発症とともにストレートに出てきている。
「オレの金だ。オレの金だ。」と・・・
「私のお金だ」というような綺麗な言い方ではない。
育ちが分かるというものだ。
まともな女性が使う言葉ではない。
呆けた横顔を見ながら、「まともな顔ではないなぁ」とつくづく実感させられる。
精神病院の医者は母に聞く。
「元気がないように見えますが、どうしましたか?」と優しく聞く。
母はどこへ行っても同じように答える。
「絶対に金を盗んだ。間違いない。警察に届ける」と言い張る。
「今日の今日のことだから、もう一度帰ってからよく探した方が良くないですか?」
3回ほど諭される。しかし、聞き入れない。
結局、私に「被害せん妄ですね。」
「長期入院の弊害でしょうね」
「統合失調症ではないでしょう・・・」と母の言い分にはまともに取り合わない。
薬を渡され、「あまり刺激をさせない様に・・・」で終わり。
どこの病院でも同じ様なことを言われた。
「ハサミ、桜の花、自動車」などの絵が順に描いてある本を見せる。
そして、本を閉じて順番に答えさせる。これぐらいは答えられる。
しかし、「〇、△、□」を組み合わせた絵を見せてから本を閉じる。
別紙に同じ様に絵を描かせてみる。
全く描けない。 同じ絵にならない。奇妙奇天烈なものを描いている。
「時計の絵」を書いてくださいと言われる。真ん丸を書いて、その中に数字を入れ始める。
まったく時計の絵になっていない。
真ん丸の中には1~13までの数字を入れている。
真ん丸の中の数字もメチャクチャだ!
隙間がものすごく空いている。
真ん丸の中の三分のニぐらいまでに1~13の数字が書いてある。
後は空欄だ! 完全に狂っている。
普通にやられているチェックでは認知症発症を見抜けない。
ここまでやらないと頭の中がおかしくなっているのが分からない。
病院から帰宅すると、「さっさと警察を呼んで被害届を出せよ。」と母に言ってやる。
さすがに、そこまでは母も出来なかった。
だが、相変わらず預金通帳を隠しまわっている。
もう何も言う気力が起きてこない。
夜、食事を済ませた後に薬を出す。
聞こえよがしに母は言う。
「こんなもの飲んだって治りゃしない。気狂いなんだから治りゃしない。」と・・・肝心なところで逆らってくる。
発作的に思わず「首でも絞めてやろうか」という衝動が起きる。
まったく可愛げがない。
一言声をかければ、二言、三言逆らう言葉が返ってくる。
面倒をみている甲斐がなくなる。
必死に怒りを抑え、薬を飲ませる。
今はアリセプトぐらいしか認知症に効く薬はないらしい。
認知症には色々な型があるのだから、一種類の薬だけで治るわけがない。
素人にもそれぐらいは分かる。
しかし、母の言い草には心底腹が立つ。
病院から強制退院させられた2日後には、ちょっと目を離した隙に、コンビニで買ってきた「握り飯」をほうばり、喉に詰まらせ、のたうち回り始める。
いつまでも治まる気配がない。
麦茶を何杯飲ませても治らない。
「グェッ! グェッ!」と音をたてて、食べた物を吐き出そうとするが出て来ない。
仕方なく、とうとう救急車を呼ぶことにする。
本人も「呼んでくれ!」と懇願してくる。
しかし、田舎のことだから、すぐに救急車は来ない。
30分以上も経ってだろうか?救急車が来たのは・・・
隣近所から人が集まってくる。
しかし、遠巻きにしているだけで誰も近くに寄っては来ない。
関わりになるのが嫌なのだろう。
薄情な奴らだなぁ・・・と感じる。心底腹が立って来る。
最近の母の状況は薄々知ってるはずなのに・・・力を貸そうとする奴らはいない。
隊員に事情を話し、念のため行田のG総合病院に運んでもらう。
母は神妙な顔をして救急ベッドに横たわり運ばれて行く。
後から私が保険証やら靴やら身の周りの物を持って救急車に乗り込む。
病院に着いた頃にはもう元に戻っていた。
案の定、診察の結果は異状なし。
レントゲンには何の影もなし。
7,000円以上の治療費を払って救病院を後にする。
割り切れない思いのままタクシーに乗り、無言のまま母の実家に戻る。
タクシー代が幾らかかったか? もう忘れた。 結構、払ったなぁ~。もう、うんざり・・・
家に戻ったころにはケロッとしている。
ドッと疲れを感じる。
今日、半日で1万円以上の出費だ!
これも全部自腹だ。
狂った母の預金通帳からお金は引き出せない。
介護する者はここまで覚悟しなければならない。
そして強制退院から5日後には、夜8時頃になって急にベッドでのたうち回り始める。
「苦しい。苦しい」と言いながらドッタンバッタンやっている。
「どこが、どう苦しいのだ?」と聞いても、まともに答えられない。
「どこが苦しいのか、なんて分からない。とにかく苦しい」と・・・訴えてくる。
病院からもらっておいた鎮静剤を飲ます。
次第に落ち着きはじめ眠りに就く。
毎日がこんなことの繰り返し・・・。
この3日後には、あめを喉に詰まらせ強制退院させられた病院へ行く羽目に・・・
まったくどこまで手がかかるのか?
気の休まる間がない。
この3日後には昼頃になって、又「苦しい、苦しい」と言い始める。
粥を2膳ぺろりと平らげるとケロッと治った。
付き合いきれない。
白内障手術後の目薬を貰いに眼科へも連れて行く。
東京に戻った時のために他の病院への紹介状を書いてもらう。
治療費が・・・お金が・・・羽が生えたように消えてゆく。
郵便局で思わずため息がでる。10万、20万、30万円単位で出費がかさんでゆく。
しかも「母の通帳からの金」は使えない。
委任状すら書けない。 自分の名前すら書けない。
母の通帳からはお金を引き下ろせないのだ!!
すべては自腹だ!
みんな覚悟しておいた方が良い。
認知症患者の通帳からは金を下ろせないのだ!
想像以上にお金がかかる。
時には車の中で1人なって、しばらく休む。
少しの間でも母から離れていたいという気持ちになる
疲れが澱の様に溜まってゆく。
気持ちが沈んでゆく・・・際限もなく・・・どうしようもなく・・・
後、どれくらい辛抱すれば状況が変わるのか!
まだまだ、全然先が見えない。
とにかく誰かと一時、交代してほしい。。
四六時中、母と一緒にいるとこちらの頭がおかしくなって来る。
無性にまともな人と話したくなる。
田舎にいると話し相手さえ見つからない。