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佐々木朗希の2019年夏・大船渡校敗退!國保監督の判断は正しかったのか?

 
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 夏の甲子園出場をかけた高校野球の岩手大会決勝戦が25日、岩手県営野球場で行われ、最速163キロの右腕・佐々木朗希投手(3年)を擁する大船渡高校が2-12で花巻東に敗れた。佐々木投手は代打にも救援にも出場せずに不完全燃焼のまま夏の大会を終えた。

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佐々木朗希の2019年夏・大船渡校敗退!

佐々木投手は、國保監督が故障のリスクを考慮して先発起用せず、高校最後の夏を終えた。打力もあるが、代打での出場もなく、いわば不完全燃焼のままでの幕引き。しかし、これで良かったのか?多少、疑問が残る。ホントに監督の判断ミスはなかったのか?

優勝旗を見て悔しそうな佐々木朗希投手

 

試合後の三塁ベンチ前。強烈な太陽光線が注がれる中、報道陣の質問へ真摯に対応していた大船渡校の國保監督に向かって、客席の中年男性から怒声が、大声でヤジが飛んだという。「甲子園さ行きたくねがったのか!」と。すると、制する声も飛んだという。「そんな罵声を浴びせるのはやめろ」と。

 

行きたくない訳ないだろう。どうして、こんな心ないヤジが飛ぶのかなぁ~!
贔屓の引き倒しという奴か?しかし、國保監督の采配にも多少、疑問点は残った。
何も知らない外野がとやかく言う筋合いのものではないと思うのだが・・・。

 

今日26日は朝から大船渡高校に抗議の電話が150本近くも入ったという。
大抵が「何で、佐々木朗希に投げさせなかったのか」という抗議の電話だったらしい。
こうなると、もう脅しに近いよなぁ~、職員は散々対応に追われたと聞く。嘆かわしいなぁ。

 

国保監督は、「故障を防ぐために私の判断で投げさせなかった」と説明。
朝の練習後、本人に「先発はない」と伝えたという。
佐々木投手は笑顔で「ハイ」と答えるのが、精一杯だったとか。
本人が本当に納得していたかは定かでない。

 

佐々木投手は前日の準決勝を完投し、129球を投げていた。
決勝当日の朝の練習後も痛みはなかったという。

國保監督の決断は正しかったか?

しかし國保監督は大会中の疲労を重視した。

 

「投げなさいと言えば投げられたと思うが、その判断は出来なかった」と話している。
この監督の判断は本当に正しかったのか?やはり、判断に疑問の残る試合ではあった。
甲子園至上主義が蔓延している高校野球界にあっては、異色の存在だが・・・。

 

佐々木投手は試合後、「投げたい気持ちはあった」と悔しさをにじませた。
救援登板に備えて試合中も「心の準備はしていた」と泣きはらした目で振り返ったという。

一方で、コンディションに配慮した監督の判断については「すごくありがたいこと。その分、将来活躍しなきゃと思います」と話し、進路については「今は考えられない」と述べるにとどまっている。

 

悩んだ上での決断だったか?
そんな問いに指揮官は「特に悩みはないです」と答えたが、強がりでは?
球界の宝の障害予防」か、あるいは「甲子園への夢切符」か。

 

個か、全か!?
難しい決断だったと思うのだが・・・國保監督の配慮は佐々木だけに向けられたものではなく全選手に対しても同様の配慮をしているらしい。
だからこそ疑問が残るのだ。

 

200球を投げ込んだ盛岡高校との延長戦での死闘は仕方がなかったと思うが、準決勝の一関工業戦では、129球も投げさせる必要があったのか?

 

決勝戦の事を思えば、楽勝な試合だったのだから、なぜ途中で交代させなかったのか?
大いに疑問が残る。この試合の前に佐々木は肘に違和感ありと訴えていたのだから・・・
なぜ、129球も投げさせたのか?國保監督の指導力や判断力に疑問が残る。

 

國保監督(32歳)は岩手県立盛岡第一高校から筑波大学体育専門学群を卒業後、1年間岩手で働き、アメリカ独立リーグで野球をしたという。

2010年、オレンジカウンティというチームとの試合で、かつてカブスでサイ・ヤング賞候補になりながら、肘の故障に苦しんだ右腕マーク・プライアーと対戦したという。

 

「まだ若々しく見えた中で、オールスターに出たような投手がこのステージにいるんだ。投手、才能については何とかしなければならないなと思いました。彼と対戦してからです」

 

この時に肌で感じたものが指導者としての信念になり、佐々木という才能に出会い、この大きな決断につながったという。そう、「人生につながるように佐々木を導く」という道を・・・

 

25試合に出場し、254(59打数15安打) 2本 7打点の成績を残すも、同年限りで退団。
帰国後に体育教師として岩手県立花巻農業高校に赴任。野球部監督となる。
2017年4月より岩手県立大船渡高校に異動し、野球部監督に就任。

 

佐々木朗希・肘に違和感を訴え

24日の準決勝前に、佐々木投手が右肘の内側に違和感を訴えていたことが判明。
温存となった一因だろう。
しかし、甲子園にあと1勝としていただけに、さぞかし無念だったことだろう。

 

今夏は4試合、29回435球を投げて9安打2失点。
21日は194球、24日は129球!やはり投げ過ぎだ!

 

160キロを記録して毎回の51三振を奪取。凄い。
しかし、将来の事を思えば投げ過ぎはやはり禁物だ。
今秋のドラフトで1位指名は確実な右腕だが、目先のことより将来の活躍を誓うのが一番だ。

 

U18高校日本代表1次候補に選出されており、今夏の韓国遠征が次の舞台となることが濃厚だ。進路に関しては、プロ志望届を提出して今秋のドラフト指名を待つことになる。いきなりのメジャーリーグ挑戦はないだろうが、日米スカウトが連日集結するなど、ドラフト1位指名に揺らぎはない。

 

「まだ分からないです」と提出時期は未定だが「仲間が頑張ってくれた分、自分が活躍しなきゃいけない」。
公立校から甲子園の夢は予想外の結末となったが、今後の期待を背負う覚悟は決まっているようだ。

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過密スケジュールと球数制限

試合後の国保監督は、「過密日程についてどのように考えているのか」と問われたらしい。
「私は発言する立場にないと思っています」と誠実に答えていたという。
しかし、今後も同様の苦悩を抱く指導者が出てくるだろうなぁ~。

 

時代は変わりつつある。高野連も変わるべきなのだ。
過密スケジュールを何とかしないと、甲子園で活躍出来たのは良いとしてもプロに行き肩や肘をすぐ壊し、若くして引退せざるを得ない選手がこれからも輩出されてしまう事だろう。

 

いっそ、7月から始まる夏の大会をもっと早めて6月頃から始めては如何?
学校の1学期の試験に支障が出るというなら、多少ずらせば良いだけだ。
どうすれば中4日の休みを取って投げられるか、真剣に検討すべき時期に来ていると思う。

 

春の甲子園は辞めにするか、規模をもっと縮小するか、どうにかするべきだろう。
十年一日の如く同じことを続けている必要はないのでは?

 

球数も予選から球数制限を課すべきだ。
そうすれば、監督に迷いはなくなる。

 

100球投げたら、そこで終わり!
恨みっこなし。そして、中4日の休み。高校野球はそれぐらいで丁度良い。

 

甲子園に出るだけが人生のすべてではあるまい。
そう思っているなら、かなり偏向的な生き方だ。

 

甲子園に出た後の人生の方が遥かに長い。
プロに入っても辞めた後の人生の方が長い。

 

目的と手段を取り違えない事が肝要だ。
誰もが甲子園をレジェンド化し過ぎているのではないだろうか?
もう、そろそろ皆目が覚めても良い頃だ。

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