平成28年11月24日(木)、母が退院した。
本格的な在宅介護が始まった。
老々介護の始まりである。
月2回、訪問診療がある。
医者が自宅まで来て診察してくれる。
いざという時は、点滴や注射もしてもらえる。
勿論、脈拍や血圧などを測ってくれる。
今回、入院した病院ではそういう制度を採用していた。
これで急坂を息を切らせ、かかりつけ医のクリニックまで行かなくて済む。
ディサービスに行く回数は減ったが、また行くことになった。
在宅看護も週1回来てもらうようにした。
医師ほどの医療行為はもちろんできないが、脈拍、血圧までは計ってもらえる。
手足のマッサージや爪を切って行ってくれるのでこちらも助かる。
マッサージも母が気持ちが良いと言っていたので随分と助かった。
薬も近所の薬局の薬剤師が来て、医者から指示のあった薬を持って来てもらえるので私の負担は大分軽減した。
しかし、困ったことに母が時々ディサービスに行くのを嫌がる様になった。
理由は良く分からない。
体がもう大儀になって来ていたのかもしれない。
医者からは運動のために少しは散歩をしなさい、動きなさい、水分をもっと取りなさいと具体的な指示が出るのだが、母は言われないとやろうとしない。
二言目には、又「早く逝きたい」「生きていても仕方がない」との愚痴が多く出る様になった。
負けん気と体力だけが自慢で生きて来た人間には思い通りにならない体など何の意味も持たないのだろう。
入院中にも鬱症状が出ているので、腎臓にはあまり良くないのだが抗うつ薬が処方されていた。
抗うつ薬が手放せなくなっているのは私の方なのだが・・・
ディサービスに行く回数も時間も短くなった。
しかし、何とか行けていたし、当初は私の負担も減ってホッとしていた。
食事を出す事と便器の清掃ぐらいで済んでいた。
これだけ在宅看護の体制を整えて母をサポートしていたのに、年が明けて平成29年1月下旬には又、母が入院する騒ぎとなった。
又、脱水症状が起きたのである。
どうしようもない・・・手がつけられない。
訪問診療してくれていた医師から、母の左大腿骨骨折の手術をした病院に電話をしてもらい入院させようとしたが、又もやんわりと断られた。
仕方がなく訪問診療してくれていた港区の病院に又、入院することになった。
悩みの種は差額ベッド代だ!
しかも今回は母が相部屋を嫌がった。
隣の人がうるさくて眠れない。
落ち着かないなどと言って同室を拒んだ。
始めてのケースだった。
母がこんな事を言う様になったのは・・・
何が気にいらなかったのかは今もって良く分からない。
これで一日27,000円がかかる。
2週間以上入院していたので差額ベッド代だけで486,000円かかった。
認知症の時と違い、母の意識ははっきりしていたので入院費用は母の預金通帳から支払った。
私達の懐が減った訳ではないので、あまり気にしなければいいのだが・・・
母が田舎の家屋を売却し、幾ばくか残っていたお金は羽が生えた様に消えてなくなって行った。
平成29年2月14日(火)、母が退院した。
しかし、これでもまだ終わった訳ではなかった。