俳優渡哲也(76)吉永小百合(73)がこのほど約1年ぶりに宝酒造「松竹梅」の新CM撮影を行い、23日、ビジュアルが解禁された。同社CMでの2人の共演はこれで9回目となる。
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渡哲也をテレビドラマや映画で観なくなってから久しい。
今回の松竹梅の新CMの撮影は9月上旬、都内で2日間かけて行われた。2人とも日本を代表する俳優だが・・・
3年前に急性心筋梗塞で手術を行い、持病の呼吸器疾患などでリハビリ中の渡にとって、昨年9月30日の同社CM以来1年ぶりの現場となったとのこと。
初日、渡は予定時間より早くスタジオに入り、吉永を出迎えて出演への感謝の言葉を示したという。
渡と吉永は、66年公開の映画「愛と死の記録」で初共演以来、00年の映画「長崎ぶらぶら節」でも共演している。
実に仕事上では50年以上の付き合いになる。
どうして2人は結婚しなかったのかな?
吉永側の父親が反対したと聞いている。
ホントは今でも真相は良く分からないのだが?・・・
渡哲也は硬派な性質なので結婚したら、吉永小百合に芸能界を引退し家事に専念して欲しかったみたいだ。
当然、マネージャーをしている父親は反対するよな。
一家が全部、吉永小百合におんぶにだっこだもの・・・芸能界は引退できない。
食べさせてもらっているのだから当然反対するわな。可哀想に・・・
渡は何度も吉永に声をかけたが、吉永小百合は踏ん切りがつかなかったみたいだ。
家族を捨ててまで芸能界を引退し渡と結婚するか、大部悩んだみたいだ。
可哀想に・・・板挟みだよな!
渡も途中で説得を諦めてしまった様だ。
吉永の父親は言うに事欠いて「あんないい男と結婚すれば女が放っておかない。女で苦労するぞ」とまで言ったらしい。
悲恋だよ。渡は青学大時代の同級生と先に結婚してしまうし・・・
破談になって吉永小百合は相当落ち込んだらしい。その時、陰になり日向になり励ましたのが、今の旦那様、フジTVでディレクターをしていた岡田太郎氏だ。
1973年、吉永小百合と岡田太郎の二人は電撃結婚を果たす。新婦、吉永小百合28歳、夫、岡田太郎はバツイチの43歳。当時、15歳の年の年の差婚は戦後世代にめずらしく、今ではもう死語となりつつある、熱狂的な吉永小百合ファン、「サユリスト」たちを大いに嘆き悲しませたのは有名な話だ。
二人の結婚に小百合の両親はとうとう出席しなかったそうだ。酷い親だな!?
散々、娘に食べさせてもらったくせに・・・
二人は友人宅で5~6の知人に囲まれて、ひっそりとした結婚式を上げたと聞いている。
大女優がする結婚式ではないよなぁ~ヒデェナァ~!
でも両親から決別することで彼女は女優として真に大成した様に思う。
しかし、吉永小百合は元気だな!驚異的だよ。
70歳過ぎているのに、あの美貌はどうやって保っているのだろうか?
病気らしい病気もしたとは一度も聞いていない。
この人の若さの秘訣は何なのだろうか?
それに比べて渡哲也は、一体何回病気や手術をしているのだろう?
あんなでかい体してるのに病気に弱いなぁ・・・意外だよね。
CMも9回目とあって、挨拶を交わすと2人ですぐにカメラ前に立つ息の合ったところを見せたとか。スチール撮影は1時間予定のところが30分ほどで終わったという。
コメントからもコンビネーションの良さが伝わる。渡は「吉永さんにご出演頂きましたことも支えとなっており、感謝の念で一杯です。よろこびの清酒『松竹梅』で良いお年をお迎えください」と語る。
一方、吉永も「今年もまた、渡さんとご一緒にCMの撮影ができて喜んでおります。少しずつリハビリも進んでいらっしゃるご様子、うれしいですね」と話したらしい。
撮影現場には舘ひろし(68)も訪れ「親方がちゃんと仕事をしているか見に来ました」と渡を笑わせるなど、終始和やかかなムードで進んだという。
関係者によると、渡のリハビリは順調で、ストレッチ、室内での自転車こぎ、スクワットなどを行っているという。渡は「まだ体調は万全ではありませんが、トレーニングをしながら過ごしております」と話したとか。
CM放送は25日からとのこと。
50年近い年月を経て二人の胸に去来するものは何なのだろう?
笑って会えるのだから何よりのことだけど・・・
二人が結婚して子供でも出来ていたら、きっと凄い美男・美女が生まれたことだろう。
芸能界が放っておく訳がないよな。
それを思うと、ちょっとやっぱり残念だなぁ。
あ~、見えて渡哲也は「酒は一杯も飲めない」という性質なのだから、良くそれで酒のCMがこれだけ長く続くなぁ・・・と思わず感心してしまう。
流石に役者だ。
渡が所属する石原プロモーションと宝酒造との付き合いは、67年に始まったのこと。
石原裕次郎さんは「松竹梅」のCMに70~87年に出演。
実に17年間か!凄いの一言に尽きる。
石原は無類の酒好きだから、うまそうに飲んでいたなぁ・・・あれは演技じゃない、地の姿だったと思う。
渡哲也は、裕次郎さんの後を継ぎCMに出演、今回の撮影で107作品になったらしい。
渡は「宝酒造さんの『松竹梅』CMには、裕次郎さんの後を継ぎ、気が付いたら31年間もお世話になっております。宝酒造さんからの出演依頼が励みとなっています」と語っている。
もう、安心して見ていられるCMとなっている。
渡哲也が元気な内は、一生続くCMなのだろう。
渡りの後は「舘ひろし」かな?
石原軍団も年寄りばかり目立つ様になった。
第2、第3の石原裕次郎、渡哲也級のスターは育たないのかなぁ!・・・?往年の売れっ子振りを思い起こすと少々寂しい感じがする。
「黒部の太陽」は何で放映しないのだろう?
きっと、また映画館を満席に出来るとおもうけど・・・石原プロの企画の貧困さが気になるな。
渡が初めて大きな病気を患ったのは1991年、渡が50歳の時に大腸がん(直腸がん)が見つかった。
早期発見だと言われていたが、思いのほか悪化しており、直腸を25㎝も切除しなければならなかったらしい。
渡はこの直腸がんを受けて、ストーマ(人工肛門)をつけることとなった。
自身がオスメイト(人口肛門、人口膀胱をつけている人)であることを自らの口で発表し、話題となった。勇気が要る発言だったろうなぁ!
また、病後のリハビリとして、ストレッチの他に“在宅酸素”というものを使っているとか。
在宅酸素とは、体の中に酸素を十分に取り込めない人に対し長期にわたり自宅で酸素吸入するという治療法。
そして2015年、心筋梗塞を患い2度目の手術。1ヶ月間の入院生活を経て、退院後は自宅でストレッチなどのリハビリを行っていたという。
満身創痍の渡哲也だが、元気になってCMでも何でもいいから、またあの若い頃の活躍する姿が見られればいいなぁ!
仁義なき戦いに出ていた頃の渡哲也は実にカッコ良かった。
もう、とてもあんな風には動けないだろう!
寂しい限りだなぁ!・・・やはり歳は取りたくない。
病気しないで元気に老後を送り、逝くときはポックリと逝きたい。
朝、家人が起こしに行ったら、すでに布団の中で亡くなっていたというのが理想の人生かな!?
人それぞれだけど、自分は病気をしてまで長生きしたくない。
歳を取り、病気で家人の手を煩わせたくはない。
8年間、母親の介護をして確固たる信念を持った。
病気をして最新医療の恩恵を受けてまで長生きしたくない。
自分の最期は自分で決めたい。
尊厳死を社会に知らしめ、広める運動をしていこうと思っている。
日本でも欧米並みに、もっともっと議論が起きてもいいと思うのだが、全然その兆しが見えない。
団塊の世代が年老いて亡くなって逝くときは大変な状況が出現してしまうはずだ。
誰の手にも負えない時代が迫っている気がする。
手遅れにならなければいいと思うのだが・・・
皆はどう考えているのだろうか?