年が明けても私の体調は一向に良くならなかった。
不眠と過眠を繰り返し、朝起きるときは体中が痛い。
どこの病院に行っても治らない。
もっともらしい病名ばかりが告げられるが治療の効果は一向に現れない。
2月9日(日)積雪27cm!
何十年振りだろう?
こんなに積もるなんて!
家の前の道路で外人さんのベンツが立ち往生!
通りがかりの人達5~6人で助け出してやった。
体の調子が良い時はこんな事も出来た。
しかし、2月下旬、朝、起きるのが辛い。
体のあっちこっちが痛い。
特に肩が・・・腰が・・・首の後ろ・・・股関節の痛み・・・服が着づらい。
体操も出来ない。
風呂に入りづらい。
右手のマヒが治らない。
左手の小指まで痛み出した。
右手、左手の強張りが治らない。
左手もよく握れなくなった。
悩みに悩む。
入院して治るものなら入院したい。
精神病院しか入る所はあるまい。
去年は夏の暑さが体にこたえた。
今年は冬の寒さがこたえる。
運動不足で便秘に悩まされる。
睡眠薬が効きすぎて午前中、フラフラしている。
過眠と不眠を繰り返している。
そして過食が止まらない。
絶不調! 寝不足! 関節の痛み!
誰か何とかしてくれ! 体中が痛い!
1人で心の中で叫んでいた。
うまくしゃがむ事さえできない!
どうなってしまったんだ!
自分の心と体は?
5月で傷病手当金も切れる。
先々の不安に駆られる。
4月7日、親指が痛く、字が書きづらい
こんな訳の分からない状態は生まれて初めての事だ!
4月18日(金)長男の入社試験・・・名古屋にゆくという。
トヨタ自動車の試験だ。
何にも力になってやれない。
不安と焦りにかられる。
玄関先にて見送る。
頑張れとしか言えない。
もどかしい気持ちを抑えきれない。
4月22日(水)トヨタ内定
ホッとする。
自分の方は歩いてフワフワしている。
足に力が入らない。
無気力、虚しさ・・・生きている事の虚しささえ感じる事がある。
4月24日 どうしようもなく気分が落ち込む。
何もする気が起きてこない。
新聞が読めない、スポーツ記事もダメ・・・
長谷川、山中世界タイトルボクシング記事も落ち着いて読めない。
4月26日 二日続いて寝不足 すっかりおかしい。
・
・長い・・・長い・・・低迷状態が続く。
・
8月28日(木)昼頃、とうとう救急車で広尾病院へ運ばれる。
小便が止まらない様な感覚で猛烈な吐気とめまいに襲われた。
発作が起きた。
一旦、発作は治まり自宅に戻った。
しかし、夕方再び発作が起こりタクシーで同病院へ駆けつけ、診察してもらった。
精神科医の質問にまともに答えられない。
立ったり、座ったり、横になったり、とにかく尋常な状態でなかった。
辛くて、苦しくてジッとしていられない。
2本立て続けに注射を打ってもらい漸く発作が治まった。
注射の成分は何だったのだろう?
聞いたが、もう忘れてしまった。
そんなに大した注射ではなかったはずだ!
でも完全に心のバランスを欠いている。
9月に彼岸で父の墓参りに行ったが、帰りに又発作に襲われた。
途中下車をしてトイレに駆け込む。
小便垂れ流しの感覚!
8月に救急車で運ばれた時と同じ感覚!
この後も発作は何度も起きた。
10月・・・母の印鑑証明書を作成するのに一人でできなかった。
妻に一緒に行ってもらった。
人前に出るとおどおどして落ち着きがなくなる。
発作に何度も襲われるようになった。
私が最悪の状態の時、11月19日(水)母、田舎で自宅内で転倒。
右の鎖骨を折ってしまったらしいと、伯母より電話があった。
翌日、やっとの思いで母を北本の北里病院へ連れて行く。
本当に疲れを感ずる。
医師の説明も座って聞いていられない。
立ったり座ったり、とにかく自分に落ち着きがない。
人の話を大人しく聞いていられない。
私は入院してもらった方が助かる。
入院しなければ、また自分が面倒を見なければならなくなる。
もう今の自分では母の面倒を見きれない。
車を手放していて田舎に行くだけで一苦労している。
又、医者が手術を嫌がっているのが良く分かった。
認知症が再発する危険性が極めて高いのを医者は恐れている。
ほぼ確率として100%に近いと医者は思っているらしい。
しかし、こんな田舎では車がないと通院もできない。
この頃の私は母を迎えに行くだけで非常に苦痛を感じていた。
とにかく疲れる。
とても体がもたない。
結局、3~4日後、東京に連れ帰ることにした。
都内の病院で診てもらい、自宅近くの大病院に通院させることにした。
すぐにリハビリが必要と言われた。
幸いな事に、骨折後10日ぐらいしてディサービスにも行けるぐらいに回復した。
症状は比較的に軽かった。
救われた!
リハビリはしばらく続けていたが、大した事がなくて良かった。
しかし、自分まで母と同様に病院通いか!
情けない!
体調は一進一退だ!
へバーデン結節・・・右手の中指が少しは曲がる様になった。
太ももの痛み、大地に引きずり込まれるような辛さ・・・。
何と形容してよいか分からない。
休養が必要なのは分かっている。
しかし、あまり休めば足腰が衰えてしまう。
完全にジレンマに陥った。
平成26年は平成25年と同様に酷い年で終わった。
平成27年には声もかすれ、良くしゃべれなくなってしまった。
H27年、3月頃、母親が田舎の土地売却を決意する。
助かる!!
これで、この忌まわしい土地の事でもう悩まなくて済む。
契約はスムーズに終わった。
しかし、引き渡し、決済までに一人悶着、二悶着があった。
母が妻に「あんたに実印は渡してあった」と言いひと騒動!
結局、母の勘違いで実印は自分で持っていた。
妻は怒鳴られたことで、すっかり気分を害していた。
白アリが出たことで追加の費用が発生!
町役場と交渉に当たった不動産屋は7~8回役場に出向いたと言っていた。
農地を売却して利益を取得すると見られて大部てこずったらしい。
私だったら、町役場に泊りがけで7~8回も行っていられなかった。
最後には本当に母が実印を失くしてしまい、三文判を実印に変更。
印鑑登録変更、印鑑証明書を発行、受領でやっと決済を終えた。
ホッとする。
これで母が田舎に行く回数も減る事だろう。
3月17日(火)母埼玉から帰る。
不動産屋に車で送ってもらって帰って来た。
現金なもんだ!
こういう事だけはしっかりしている。
平成27年3月25日:長男の卒業式
3月26日には豊田市へ巣立って行った。
自分は何にもして上げられなかったが、良く素直に育ってくれたと思う。
みな妻のおかげだ!
6月には妻が税理士に聞きながら、土地を売却した税の申告を全部行った。
これで問題がひとつ解決した。
しかし、母の田舎通いが終わった訳ではなかった。
それが最後には命に係るような事態を引き起こした。