蛭子能収(えびす・よしかず)さんのプロフィール
生年月日:1947年10月21日(70歳)
出身地:熊本県牛深市(現在の天草市)、長崎育ち
職 業:漫画家、イラストレーター、タレント、俳優、映画監督
漫画家としての活動時期:1973年~
代表作:「地獄に堕ちた教師ども」「私はバカになりたい」など
趣 味:競馬、競艇、パチンコ、カジノなどギャンブル一般
Contents
高校卒業後、看板店に就職。4年半看板制作の業務に携わったのち、上京。
25歳で漫画雑誌ガロで入選。練馬のダスキンに入社し、配達員や営業を行い支店トップの成績を収める。33歳で同社を退職し本格的に漫画家の道に進む。「ヘタウマ」な画風の草分け的存在で、不条理な作風で注目を集める。マンガだけでなく、現在はテレビや各種メディア、映画、演劇などでも活躍している。
蛭子能収名言・迷言集一覧の幾つかを紹介
・人生の目標は死なないこと。そして自由に生きること。
・子供を虐待する親は人として発達していない。そんな親は尿病気と捉えた方がよい。
・仕事をしている間は雇い主に時間も自分の考えも拘束されているもの。
そう思えば我慢できる。プライドはあんまりもたない方がいい。
・理由もなくニコニコしていれば相手も正直な気持ちを言いやすくなる。
だからいつも笑っている方がいい。
・人は誰かを喜ばせたり幸せにするために生まれてくる。だから嫁は俺を幸せにするために生まれてきたし、俺は嫁を喜ばせるのが運命だった。そういうことじゃないかな。
・1998年マージャン賭博で逮捕された時、「もう博打はしません。賭けても良いです」と言った。4か月間タレント活動を自粛した。自分があんなレートで逮捕されるんなら東尾なんて懲役ものじゃないか、と語っていた。
・知人の葬式で、参列者が皆神妙な顔をしていると思わず笑いがこみあげてくるんだそうです。
・自身のファンクラブ会長の葬儀に参列し、棺の中に自著『なんとなくビンビン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなり、会葬者をあ然とさせたという逸話がある
・人が死ぬと楽しい。つい可笑しくて笑ってしまうとTVでコメントして以来、追悼番組には呼ばれなくなった。
・浮気する男性に対し「嫁さんとタダでヤレるのに(浮気する)理由が分からない」と批判的な意見を持っている。
・路線バスの番組ロケ時、バスの出発時刻を調べてくれた受付の人に「一生忘れない」と言った5分後にその人の名を忘れる。
・12歳の小学校の修学旅行の時、寝小便を心配した姉さんがついて来た。
・息子の結婚式のスピーチで謙遜して「中の下くらいの結婚式ですみません」と言い、ひんしゅくをかった。
・3人のお子さんがいるが、「子供に興味がない」と発言。孫に対しては段々と興味が湧いてきているようである。
・「仕事が嫌で辞めたい」という一般の人の人生相談に対し、「仕事で輝くのは間違い。競艇場で輝くために働くべし」と回答した。
・タモリ:井の頭公園の思い出ってありますか?
家内と結婚前に良く青姦しに来ました。
珍エピソードはこれだけに限らない。調べればもっともっと出て来るはずである。他はもう忘れた。
語ってくれました。独特の人生観。蛭子さん 「ひとりぼっちの哲学」を語る
「ひとりぼっちでもいい」いじめられていた蛭子能収さんが語る真の友 :群れて得するのは力の強い人だけ」と言い切る。
中学時代にいじめを受けていた漫画家・蛭子能収さん。
「友達は無理につくらなくてもいい」と話します。
つらい学校生活を経て、編み出した蛭子流「友達論」。
学校や人付き合いに悩む10代に向けて、語ってくれました。
全部読めなくてもいいです、これだけ覚えておいて
【蛭子能収さんのメッセージ】
・無理して人に合わせるのはつらい。ひとりぼっちでもいい
・学校やクラスなど環境が変われば、いじめはなくなります
・微動だにせず、好きなことをしよう
中学時代は辛いいじめにあっていたようです。唯一の救いは漫画を描くこと。
その中で、いじめる子をボコボコにする漫画を描いて鬱屈する思いを晴らしていたそうです。使い走りばかりをやらされて学校をやめたいと思ったこともあったそうです。何で先生は気づいてくれなかったんだとか・・・いろいろ思い悩んだそうです。それに耐えて高校の美術部に入部してから、ようやく人生が変わったそうです。
――蛭子さんのひとりぼっちの哲学は、いつ育まれたのですか
性格ですね。自分自身、我慢強いと思います。嫌なことも割とずっとやるタイプでした。いじめられながらも学校に通い続け、高校卒業後に看板屋に就職した時も嫌だ嫌だと思いながら続けていました。それがよかったかどうか、自分でもわからないですけどね。
とにかく俺は自由なほうがいいな。苦しい思いをしてまで、人に合わすことはないんですよ。
友達はつくらなくてもいい
友達をもしつくるんだったら、深く付き合わないことですね。広く浅く。
何人もいる友達の中の一人、そういう感じで接したほうがいいです。深い付き合いはしない
――深い付き合いができる親友は必要ないですか
深く付き合うのはやめたほうがいいと思う。いつでもその人から逃げられるような、離れられるような感じの友達だったらいいと思います。
――それは友達と呼べるのでしょうか……。距離感が大事ということですか
性格とか見抜けない間は、あまり深い付き合いはしないほうがいいですよ。中学生くらいはわからないんですね。高校くらいになって、やっと相手の性格がわかってくるものです。
蛭子的「真の友達」とは
――なぜそこまで友達に警戒するのですか
そうしないと、すごい疲れることになるし、つらい思いをすることになります。友達に気を使うあまり、だんだん自分が疲れてきますから。
悪い人なら一緒に悪いことを働かざるを得なくなる。本当、友達っていいよう
であって「毒」があります。
時に自由を奪う存在に
――「毒」ですか
最初友達だと思っても、相手の性格をきちんとわかっていないもの。だんだん、横柄になってくる人がいるから。俺が命令されるほうだったので。だいたい、いつの間にか「蛭子、あれ買ってきて」みたいな関係になっています。
無理して合わして生きるのはつらい
――いつの間にか主従関係できてしまうと
そしたら、少しずつ遠ざかっていったほうがいいですよね。急に態度を変えるのは変だから、ゆっくりゆっくり離れていく。10代のころは誘われても断れず、どんどんその人に付きあうんですよね。
――蛭子さんの「友達論」。10代の共感は得られますか
誰でも彼でも友達さえつくればいいんだよ、という考えはないです。無理して人に合わして生きるのは、本当につらい。ひとりぼっちでもいいんですよ。
グループは好きじゃない
――学校の友達グループは、蛭子さんにとってどういうものですか
そういうグループの中に入って活動するのは、俺は好きではないです。無理して人に合わせて、その中にとどまっているほうが、後々窮屈な思いをすると思います。
――嫌になったきっかけはありますか
中学時代のいじめを受けたことが大きいです。「蛭子、来いよ」って、不良グループからよく誘われました。だいたい俺が手下みたいにいろいろ買ってくるとか、使い走りでした。
行っても全然おもしろいことないんですよ。行かないと呼び出しくらって殴られるんですよね。
得するのは力の強い人
――学校では仲良しグループができます。仲間外れを怖がる人もいます
俺はむしろ、仲間外れにしてほしいって思っていました。群れないほうがいいに決まっていますよ。――それはどうしてですか
グループとか群れでは、強そうな人が一番上になります。大将格か、家来格か、そういう風に分かれていくもの。得するのは命令する立場になる力の強い人ですね。自分の性格はだいたい命令されるほうでした。俺は一番下っ端の使い走りなのに、先生から真っ先に怒られていました。よく教室で立たされていましたね。本当、この学校を辞めたいと思っていました。
一人でさびしくても
――今は、スマホなどのSNS上でグループができて、そこでいじめられることもあります俺ね、そこからはじかれたほうがいいと思っているの。今はネットでやり取りするので、すごい簡単に呼ばれると思うんですけど、あまりそれに乗っかるとね。グループから離れられなくなるのは本当につらいと思う。
もし、そのグループのリーダーみたいな人の言うとおりについていくようなグループだったら、即刻抜けたほうがいいと思う。一人でさびしくても、そのほうがましです。
窮屈だと思ったら
――もし自分が抜け出したいグループにいたら、どうしますか。ひとりぼっちは勇気がいることです
たしかに、勇気がいります。だけども、この人のいうままに動かされているって察知したら、断ってほしい。
窮屈だと思ったら早め早めに抜けたほうがいい。離れたいんだということを、少しずつ行動で示しておいたほうがいいです。気にせず、好きなことを
――居心地のいいグループもあるのではないですか。主従関係が強くなく、趣味で結びついているとか
趣味で合うグループならいいですね。(自分が好きな)絵を描くグループとかなら。でも、そういうのがね、ないんですよ。こっぱずかしいじゃないですか。絵を描くグループって。馬鹿にされるかもしれないですね。ちょっと強いグループからさ。
でもね、そう思われても微動だにせず、絵を描いておけばいいんですよ。俺はそうでした。
嫌だ嫌だと思いながら
取材を終えて感じた「ひとりぼっちの勇気」「ひとりぼっちだっていい」。そのシンプルなポリシーは、終始一貫していました。一見気の弱そうな蛭子さんに、孤独を恐れない強さを垣間見ました。
蛭子さんの中高生時代は半世紀以上も前。けれど、蛭子さんが語られた友達やグループが抱える問題は、今も通ずるものがあるはずです。
蛭子さんの友達論の底流には、自由を何より大事にする価値観が一貫してありました。
一見気ままなように見えても、それは、ひとりぼっちでいることの覚悟や強さに裏打ちされたものです。
誰もが蛭子さんのように生きるのは難しいかもしれない。けれど、彼の本音の言葉が少しでも心の足しになってくれれば。自分にとって「友達」とは何なのか、考えるヒントになってくれれば、と思います。
確かに一人ぽっちでいることは、辛くなかなか出来ることではないでしょう。
しかし、群れて無理に自分の個性を潰してしまうことの方が、遥かに弊害の方が大きいと思います。一人っぽっちでいる覚悟や強さを持ち合わせていないと
流されるだけで終わってしまいます。
何よりも自由でいるということがとても大事なことだと思います。いい加減に見えて、TVでは「グズ」などとも呼ばれている蛭子さんですが、一貫して底流には自由でいることの大事さを大切に生きてきた人生の重さを感じることができますね。
友達付き合いに悩んでいる10代の子供たちにとって、蛭子さんの生きてきた処世訓はかなり示唆に富む話ではないでしょうか?一人でいる辛さに耐えられないと本当に後悔のない人生を開拓することはできないでしょう。時代は変わっても通ずるものはあると思われます。
一人でいなければならない期間などそう長くは続くものではないでしょう。
やがては一人で培ってきた得意な分野で、人との絆も生まれ人生が切り開かれて行くのではないでしょうか?
人生に一人で我慢が必要な時もあるのですね。
蛭子さんの独特の人生観が垣間見えて面白い対談集になっていますね。