カリスマボランティアとモンスターボランティアの違いとは?

      2019/05/09

山口県周防大島町で行方不明となった2才の男児、藤本理稀(よしき)ちゃんをたった一人で山中に分け入り、20~30分で発見したことで「カリスマボランティア」として一躍、時の人となった尾畠春夫さん78。軽ワゴン車に食料や水、寝袋を積み込み、助ける側から一切、力を借りないことが信条だと語り、今もボランティアを続けている。

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尾畑さんは「自己完結するのが真のボランティアだ」と語る。

対価や物品、飲食、これらは一切いただきません。決して『してやる』ではなく、『させていただく』の気持ちで私は臨んでいますと語る。決して経済的に恵まれているわけではない。
尾畑さんの収入は国民年金だけ。月に5万5000円!

お金がないなと思ったら、朝ご飯だけ食べて、昼と夜は食べない。
それだけのことですと事もなげに語る。
生半可なことで言える言葉ではない。

65歳まで大分県別府市に鮮魚店を営んでいたが、お店をたたんだ後の人生がすごい。残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきたと、全国各地で車中泊しながらボランティア活動を行ってきたという。
どこからこの志が生まれてくるのか?不思議だ。私などには到底真似のできない行動だ!

阪神・淡路大震災(1995年)をきっかけに、日本でもボランティアが浸透した。しかし、最近は「モンスターボランティア」という言葉が登場したぐらいに、その精神をはき違えている人が確実に存在するらしい。

ベテランのボランティアが語る。
中には『ボランティアすれば就活に有利だから』といってスニーカーにTシャツといった軽装でやって来て倒れる若者や、夜になって『私の宿はどこですか?』と聞く人もいます。人に感謝されやすい、目立つ仕事だけをやりたがって、汚れ仕事を嫌がる。仲間うちで盛り上がって、がれきを前に笑顔で記念写真を撮る人もいましたと言う。

こんな奴らはボランティアなどに来ない方がよっぽど世のため、人のためになる。土足で人の心の中に入り込んでくる本当に思いやりのない輩だ!

この7月中旬、西日本豪雨被災地の岡山県倉敷市にボランティアで訪れた高知県の町議が酒を飲んで、小学校の避難所に無理やり泊まり、自衛隊が仮設した風呂にも入浴するというトラブルもあった。

まったく町議ともあろう者が・・・恥ずかしくないのか!いない方が余程ましだ。

女性セブン記者が「被災地には目に余るボランティアもいませんか?」と尋ねると、それまで笑顔で取材に応じていた尾畠さんが「私は人のことはあれこれ言わない。ノーコメントです」と顔を曇らせた。「日本のボランティアの質の向上のため、どうか話してほしい」と食い下がると、尾畠さんは居住まいを正し話し始めた。

恥を知れ、炊き出しを食らうボランティア!

東日本大震災の直後、私は避難所となっていたアリーナ(スタンドに囲まれた競技場)にいました。本来、1000人しか収容できないアリーナに1800人が避難していて、本当に満員だった。足も伸ばすことができず、女性は正座を強いられていた。そんな現場でやっと来た炊き出しに、数人のボランティアが並んで、食べていたんです。『あーっ』と思いました。

100人分の炊き出しがあっても1人のボランティアが食べれば99人分に減る。避難所でも1人分の寝場所が減る。それに気づかない人がいた。

それでも私は何も言いません。私も一介のボランティアだからです。もちろん、『どうしたらいいんでしょう』と聞かれれば答えますが・・・

 

トレードマークの赤いハチマキやツナギにも意味がある。

地味な色では元気が出ませんし、山で捜索するときなどは目立った方がいい。あまり言いたくないですが、被災地ではどさくさに紛れてドロボウが出ることもある。
だから、わざと目立つ服装をしています。私は怪しい人間じゃないぞ、とね・・・

尾畠さんが被災者に接するときに大切にしていることがある。
ボランティアは被災者に根堀り葉堀り聞かないことです。家が流されたかもしれないし、ご家族が亡くなったかもしれない。これからの生活に途方に暮れているかもしれない。自分が被災者だったら、あれこれ聞かれるのは嫌だなと思うんです。聞くことはたった1つ。
『おけがはなかったですか?』この一言だけです。

もちろん、話を聞いてほしいという人がいれば、徹底的につきあう。
東北の震災で、浮かない顔をしたかたがいて、もし悩んでいることがあれば話してくれませんかと言ったことがあります。聞くと、倒壊しそうな家の中に、『親の形見の琴』を残してきたそうです。とび職の経験を生かして、取ってきてあげたら、たいそう喜んでくれました。

尾畠さんと一緒に活動をした経験がある南三陸町社会福祉協議会の三浦真悦さんの話・・・
尾畠さんが特別なのは、『被災者の気持ちに寄り添える』ことです。
『思い出探し隊』では、誰が写っているかわからないような写真でも、『すべての写真1枚1枚に思い出がある』と、とても丁寧に集めて、汚れを落としていたのが印象的でした。尾畠さん、以前はお酒が大好きだったそうです。
でも、『東北から仮設住宅がなくなるまで断酒する』と、今も気持ちを寄せてくれています。

かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」──これが尾畠さんの座右の銘らしい。苦労を苦労とも思わないのは、若いときにつらさを乗り越えたゆえか。しかし、誰にでも出来る事ではない。彼の精神から学ぶべきことは多い。言うは易く行うは難しの例え通りだ!

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尾畑春夫さんのボランティア歴がすごい!

尾畠春夫さんは、各地に行って作業するプロのベテランボランティアである。今までのボランティア歴が本当にすごい!
正確には何年続けているのだろうか?24~25年か?

●宮城県南三陸町をボランティアで毎年訪れている
●熊本地震(熊本県益城町)他の12人のボランティアを統率
●大分県日出市三和地区床上浸水清掃
●広島土砂災害ボランティア
●東日本豪雨ボランティア
●西日本豪雨ボランティア
●3日間行方不明で無事発見された藤本理稀(よしき)ちゃんの捜索にも加わった(これで一躍、時の人となった次第。)

しかし、発見した時の尾畑さんを警察は当初、不審者扱いをしたらしい。何百人も警察官を動員し、まったく見つけられずメンツは丸潰れ!これじゃ、留置場から容疑者も逃げ出すぐらいの失態を犯す訳だ。

また、尾畠春夫さんは、「東日本大震災の復興を願う旅」として、お遍路さんの格好をして本州一周を歩いて旅をし、被災地を忘れないでと訴えかける旅をした。それが、FNS系のドキュメント九州で放送されたそうだ。

本当に頭が下がる。苦労を乗り越えて傲慢になる人間もいる。そういう人とはまったく正反対の人だなぁ・・・

昭和14年生まれ、大分県安岐町(現・国東市)の出身。戦争が激化する時代に生まれ、戦後の貧しい時代に育った。杵築市の八坂中学校に在籍していたが、ほとんど学校には通えなかったという。

親父は下駄を作って売る職人でした。明治生まれだから厳しい人でね。よく殴られました。食うのも厳しい時代だった。小学生のときに母親が亡くなりましてね。それから農家に丁稚奉公に出されました。育ち盛りにいつも腹を空かせて、つらい思いをしましたよと語る。

ボランティアも昨日、今日始めた事ではない。鮮魚店を営みながら地域のために骨身を惜しまず貢献していたそうだ。学歴などなくても根っからの善人なのか?

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