◇パ・リーグ 日本ハム―楽天(2019年4月4日 楽天生命パーク)
日本ハムの斎藤佑樹投手(30)が4日の楽天戦(楽天生命パーク)で今季初先発。初回に3安打されて3失点するなど2回途中3失点で降板。約2年ぶりの白星はならなかった。なぜ、こんなに斎藤佑樹投手はダメになってしまったのか?原因・理由を考えてみた。
斎藤佑樹はなぜダメになったか?
原因・理由は一つではないと思う。様々なものがあって、総合的に判断するしかないはず。一番の原因・理由は【心の弱さ】に尽きるのではないだろうか?
ダメになった五つの原因・理由
⓵ 【心の弱さ】→【真摯に野球と向き合えない】プロ意識の欠如に尽きる。
⓶ 大学進学。行く必要などなかった。
⓷ 加えて女遊びだ。豪遊していたとの噂?
⓸ 物質的な欲にまみれ過ぎてるからとの指摘あり
⓹ 真面目だったから?
元高校野球界のスターの現在の悲惨な姿・・・そして今や哀れさを感じる。この先、どうなるのか?様々な憶測が飛び交っているが・・・4日の初先発を見ると危うさばかりを感じてしまう。
一時は「ハンカチ王子」と呼ばれ、高校野球のアイドルだった斎藤佑樹選手は、プロに入団後は、全然、際立つ活躍が出来なくなってしまった。純粋だった高校球児スターのその後の人生をちょっと追ってみよう。
高校時代の大活躍から徐々に転落・・・という印象しかない斎藤佑樹選手。
大学進学、女、豪遊?でダメになったなどと…巷ではささやかれてるけど、これは本当の話なのか。
早稲田実業では1年で既にベンチ入り。2年では出場を逃したものの、2006年(平成18年)3年生夏の甲子園で早実が26年ぶりの決勝戦へ。
その前の2回戦では大阪桐蔭戦で、プロ入り後にチームメイトとなる『中田翔』に4打数無安打3三振を奪う快投。
決勝では駒澤大学付属苫小牧高校のエース『田中将大』との投手戦になり、延長15回でも決着がつかず、引き分け再試合。翌日の再試合で先発を志願し4連投、最後は田中を三振に打ち取って13奪三振、早実は夏の甲子園で初優勝する。
この大会での投球回69、投球数948はどちらも一大会における記録としては史上1位の記録。さらに一大会における奪三振78は、1958年の板東英二(徳島商業高校)の83個に次いで歴代2位となった。
多くの人々を感動の渦に巻き込み、誰もが認める甲子園のスターになった。
振り返ってみるとここまでが、彼の人生のピークだったように思う。例えは悪いが、パンツのゴム紐が伸び切った状態で終わった感じ。この後の伸びしろが、もうないのだ。
同年秋、国民体育大会にてまたも駒澤大学付属苫小牧高校と対戦、再び田中将大と対決。
1-0で早稲田実業が勝利。斎藤佑樹はまたも優勝投手となるのだが・・・
記録を確認してみると、斎藤佑樹選手が当時 【本当に怪物級のスター球児】だったことが分かる。
大学進学後も活躍は続く。
東京六大学野球春季リーグ戦で1年生投手として史上初のベストナイン。
1年生で史上初の最高殊勲選手(MVP)
秋季リーグで防御率0.78を出し最優秀防御率賞
秋季リーグでもベストナイン賞(2季連続)
3回目のベストナイン賞
大学通算30勝300奪三振を達成。史上6人目の記録。
大学時代は自己最速150km/hを記録し、投球の半分近くを低めに集める制球力を武器とした。ここまでは高校時代の才能だけでやってこれた。
はっきり言って、今の六大学野球のレベルなどかなり低い。
狭い『籠の中の世界』で自己満足し、自惚れたのか?『飛べないバッタ』で終わってしまった。何処かの週刊誌にはそう形容されていた。本当にその通りだと思った。そう、まさに【井の中の蛙】で終わり。
高校時代ライバルだった田中将大は、高校卒業後すぐ楽天イーグルスに入団。真摯に野球と対峙していた。TVで見たが、練習を終えベッドに横たわり天井を見詰めながら黙々と右手で軽くボールを天井に投げ上げてはキャッチしている「マー君」の姿が瞼に焼き付いて離れない。
彼は執り付かれたように野球のことだけを考えていたのだ。このプロ意識としての姿勢の差が、今の斎藤佑樹と田中将大との『天と地』程の距離を生んだ。斎藤佑樹にとって、田中将大はすでに『雲上人』の存在だ。まるで比較になどならない。
今年で引退か?
今回の様なピッチングしか出来ないなら、シーズン途中の引退発表もあり得るのではないか?今、年俸は幾ら貰っているのか?1000万円位貰っているのか?だとしたらはっきり言って貰い過ぎだ。さっさと辞めて球団に再雇用してもらう道しかないなぁ。ぁ頭は悪くないのだから、第2の人生の方が上手く行くのではないか?もう限界だろう。才能はとうの昔に枯渇していてプロに残れる実力・資格はもうない。はっきりしている。後は自分で、いつ見切りをつけて決断するかにかかっている。
いつクビになってもおかしくない成績だ。8年間で15勝24敗セーブ0防御率4.32!酷すぎる!年俸を貰うに値しない成績だ。
しかし、球団はクビにもせず毎年期待をかけている。不思議だ。
今季こそはと復活をホントに信じているのかなぁ・・・信じられない!この球団の甘さも・・・まだ球団に余裕があるからか?
仏の顔も三度までという。斎藤佑樹は何度待って貰っているのだろうか。球団は甘やかし過ぎてはいないかな?なぜ斎藤佑樹だけこんなに優遇するのか?過去の栄光からクビに出来ないのか?世間体が悪いからか?
本人の自覚がまったく欠如していたのだから、どうやっても成長はしなかっただろう。いるんだよ。時々、こういう選手が・・・プロに入って努力しないとこうなる選手が毎年出て来る。何人も・・・斎藤佑樹も結局そういう中の一人だったということだ。
選手から不満の声が続出ても何ら不思議がない。
直球で138キロ?・・・134キロ?・・・というこの現実!どう直視出来るというのか?
プロで通用するスピードではない。今から努力しても遅すぎる。もう間に合わない。
鉄は熱い内に打たないとダメになるという典型例だ。
上がり目は到底望めまい。もう無理だ。恥をかき続けていないで早く引退した身のためだ。
緩急をつけたピッチングをしても限界がある。
抜群のコントロールがあるわけでもない。何らプロとしての決め球がないのだ。
プロ入団後の成績結果が酷すぎる
2010年のドラフト会議では4球団が斎藤佑樹選手を1位指名した。
新人としては破格の、年俸1500万円・契約金1億円・出来高5000万円で、交渉権を獲得した日ハムと契約し、プロ野球人生がスタートした。しかし、このプロ入団後がまったく悲惨な状態のままで終わっている。
プロ在籍8年間で、15勝24敗セーブ0防御率4.32・・・もう言葉がない。
よくクビにならなかったのが不思議な位だ。
そして、今年も4日の楽天との試合は結局2回途中、3失点を奪われ降板へ。
この先、見込みはあるのか?多分ない。
●2011年 ケガで全治3週間→2軍へ
5月ソフトバンク戦で途中降板。左内腹斜筋の捻挫で全治3週間→2軍行き
(最終的には6勝6敗防御率2.69、そんなに悪くはなかった)
入団早々ということもあり、まだ将来に期待を賭けられていた。
●2012年 2軍落ち→1軍→2軍、初完投勝利をしつつも、2軍を行ったり来たり。
(5勝8敗防御率3.98):しかし、成績は12球団の全投手の中でなんとワースト1位。
●2013年 2軍にて9失点・・・成績不振の極み。なんとか1軍に戻ったが、特にこれといった活躍はなかった。
(0勝1敗)この後も、それっぽい活躍は特にない。?マークが付くようになったのは、この頃からか。
●2014年は、2勝1敗防御率4.85。
●2015年は、1勝3敗防御率5.74。
●2016年 チームは優勝するもカヤの外。斎藤佑樹選手自体は未勝利。(2013年と同じ)
「勝負の年」と位置づけた入団6年目の結果が11試合に登板して0勝1敗、防御率4.56。
3年ぶりに未勝利に終わる苦しいシーズン。4年連続の減俸となる推定2千万円(前年比300万円ダウン)での契約更改。
成績だけを見れば、はっきり言って一軍半から二軍を往復するレベルの選手。この年、チームは10年ぶりに日本一となったが、斎藤はまったくの蚊帳(かや)の外。戦力外と言ってもいいほど、日本ハムに斎藤投手の居場所がなくなってきた。
今後の目標を記者に聞かれたときに、「目標とか言う感じじゃない」とうつろな表情で返事をしていたのが印象的だった。
●2017年は、1勝3敗防御率6.25という酷い結果で終わり。
●2018年は、また0勝1敗防御率7.27という酷さ・・・クビにならなかったのが不思議なぐらい・・・
栄光を手にしていた高校時代とは打って変わり、2012年頃を境にはっきりと転落している。プロ1年目がプロとして頂点だった・・・そんな意見があるほど不振を続けている。なぜ、こんなにもダメになってしまったのか?様々な意見がある。
ダメになった原因・理由 ⓵【心が弱い】~真摯に野球と向き合えない
野球に取り組む姿勢を疑問視する声は以前から多々あった。指導を受けても返事だけはそれなりにするものの、まず実践しない。チームメイトからも距離を置かれているとの事。上達には素直な心が必要なはず。それが明らかに欠如していたようだ。少し天狗になっていた様だ。
練習へ向き合う姿勢を指摘されるなんて、まるで子供だ。実際にそういう側面があったみたいで、プロ意識にまったく欠けていると言わざるを得ない。そして、結果として練習もしない。真摯に野球と向き合えないのが、もうそれだけでプロとして限界なのではないか?全ては結果が物語っている。
才能に恵まれ過ぎていて、大した努力もしないで今までここに来てしまったのだろう。
才能はないけど努力だけで何とか漕ぎついている球児が多い高校野球界や大学野球界の中ではトップの方にいられたが・・・全員に才能があって、しかもそんな才能ある人が必死に努力しているプロの世界では、すぐにストーンと落ちこぼれの集団に入ってしまったというところだろう。努力に優る天才はないとは良く言ったものだ。
例えばキャンプのブルペンで、ほかの投手が150球投げ込んでいるのに、斎藤は30球そこそこで切り上げてしまっていたという。聞けば『いろいろと考えて投げているから、30球でも意味がある』なんてうそぶいたそうだ。
人は彼を深い思考の持ち主とカン違いしてしまったが、実際には全然大したことを考えていなかった様だ(苦笑)。頭の中では、今夜の合コンは誰と何処へ行こうかとか・・・そんな事ばかり考えていたのではないか?
野球への真摯さというか、とことんやってやろうという気概みたいなものがいまだに見えてこない。キャンプで強制的に走り込みをするときだけ走るが、自主的にランニングはやらない。球団も甘やかし過ぎたな。栗山監督の監督責任も重い。これだけの選手を育てられなかったのだから・・・
先に引退発表したイチロ―選手と比べると自主性には相当な開きがあるな。彼の努力を以てしても45歳が限界だったのだから、大した努力もしていない斎藤佑樹が30歳で才能が枯渇しても何ら不思議はない。昔、神童。今、天才。二十歳過ぎたらただの人などと言われるのがオチだ。
弱肉強食のプロの世界に入ったのを自覚できずに、高校や大学のときと同じノリというかモチベーションで、プロ野球をやって来たのか。呆れる。
自分になまじ才能があるから、周りより長けていると思っていたのかもしれない。
それなら、上記のブルペンでの振る舞いはまさに天狗の鼻の一言に尽きる。
また、チームメイトもすでに見放されてしまっているという噂が気懸りだ。
まだダルビッシュ有が日本ハムにいた頃、斎藤を自分のグループに加えようと歩み寄ったことがあったらしいが、すぐに“ダメだ、こいつは”と見放したらしい。
後から話を聞くと斎藤は野球の話に熱心な男じゃなかったという。選手間でも『斎藤は合コンなど、野球と関係のない話ばかり』聞いてきたし、チーム内でも完全に浮いていたという。
たぶん、彼は野球をしにプロへ来た訳じゃなかったのだろう。それに付随する「女にモテる」「金持ちになれる」とか、そこが第一次的な目的だったのではないかと疑われるほど、野球に対する態度が真摯ではなかったみたいだ。
まずは真摯に野球に向き合うことに尽きるが、多分もう手遅れだ。30歳になってもう進歩は臨めまい。斎藤は『球の出し入れで勝負する』なんて技巧派ぶったセリフを吐いていたらしいが、そもそも球を出し入れするだけの精密なコントロールもない。もうスター気取りをやめ、ありのままの自分を見つめ直すべき時期だったのに気づくのが遅すぎた様だ。
自分が「弱い」「下手」という現実に向き合うのは相当な覚悟や勇気がいる。精神的にも泣きたくなるような過程を経ることになる。しかし、それがプロなのであり、それが出来ないのであればクビになるだけの話である。今年の斎藤佑樹には、もう残された時間などない。
ダメになった原因・理由 ⓶大学進学~行く必要がなかった
大学時代には華々しい戦果をあげた斎藤佑樹選手だが、大学に行かずにプロ入りしていたらこんな状態にはならなかった様に思われる。18歳という肉体的絶頂期に、プロの指導の元で肉体作りに励んでいたら、もっと良い選手になっていたのでは?
学生と違ってプロ入りすれば精神的にも成長していたはず。なぜ大学進学したのか、動機が未だに良く分からない。かつてのライバル、田中将大はもはや雲の上の存在だ。
スポーツ選手は体作りが第一。そして体が資本なのだから、もっとも大事なのは活躍する「年齢」だ。大学の4年間は、18~22歳という若くて体づくりに最適なタイミングなのに、彼は何をしていたのか。
斎藤に何より致命的な欠陥が体の硬さ。体が硬いからしなやかなフォームで投げられず、球威もキレも出ない。また、体の硬さは疲労の回復も遅くさせるので連投が利かない。
今は先発失格の烙印(らくいん)を押されて中継ぎに回っているが、中継ぎに必要な球威と連投可能なスタミナにも欠ける。
さらに制球もアバウトで、その日の調子はマウンドに上がってみないと分からないというタイプ。監督やコーチからすれば、実に使いづらい。
体づくりが上手く行っていないのは、明らか。そして、その原因は20歳前後に大学生活を漫然と送ってしまったことが原因と思われる。
「大学に行ったせい」っていう理由は何だか非常にキツイ言い方だが、斎藤佑樹の場合はそれが、どんぴしゃりな気がする。江川卓が大学に行ってダメになったのと同じだ。特に、投手には大学進学は時間の無駄なのだ。選手寿命がそれだけ縮まるだけの話だ。
大学は、高校時代にがんばったけど、ドラフト上位に掛からなかった人が行く場所。
プロ志望にもかかわらず、ドラフト1位で複数球団からの指名が予想されるなかで、あえて大学に進学するのは珍しいケース。
プロ入りしてすぐに活躍できなくても、二軍や長い寮生活を経験すれば、斎藤はこうならなかったのではないか。惨めな思いや失敗をすることで、選手としても人間的にも成長できたはず。
若い時期の「挫折」は、その後の人生に大きな影響を及ぼす。
悪い方に影響が出ることもあるので、必ずしも精神的挫折があった方が良いとは言えないが、未知の世界は早く知っておいた方が良かったはず。
大学野球という狭い世界しか見てこなかったから、野球界に対して「野球ってこんなもん」という先入観、価値観が刷り込まれてしまったようだ。
大学進学によって、【井の中の蛙】【飛べないバッタ】で終わってしまった。
大学1年の全日本大学野球選手権決勝で優勝投手になり、史上初の1年生MVPに選出されると、「一生何か持っているというか、こういう人生なのかなと思います」と発言したという。発言それ自体は問題ないのだが、周囲に敵のいない状態が本人を辛い鍛錬に向かわせるという気概が起きなかったのではないか。
自分を厳しい環境へ身を置きに行くんだ、という気概・勇気があったら、また違った運命になっていたはず。大学時代、彼は練習をしなかった。全体練習以外の個人練習こそが自分を高めていくのに、彼はそれを怠った。それが通じてしまった。
だから、大学1、2年のときは高校時代の貯金で抑えられたけど、3年以降は苦しみ、プロに入ってから伸び悩んだ。すべての元凶は大学進学にあるのではないだろうか。
世間に飛び出し、視野を広げる事が必要だったのだ。彼はその道を怠った。そのツケが今、全部自分に廻って来ている。
ダメになった原因・理由 ⓷加えて女遊びだ。豪遊していたとの噂もある。
斎藤佑樹の女遊び疑惑一覧
♡ 深田恭子(2009年)個室で焼肉デートが報道
♡ 北川景子(2010年)~正直羨ましいなと思う。
♡ 相武紗季、♡ 道端ジェシカとも噂になる。
♡ 年上の元キャバ嬢(2011年)斎藤佑樹選手のベッドで寝ている寝顔画像が流出した。
女性セブンのその記事は「私を抱いた裕ちゃんへ」というタイトル。やばすぎる!
♡ 小林麻耶(2012年)これは双方が否定。
♡ 宇賀なつみアナウンサー(2016年)試合に負けていた時に合コンしていたことが発覚。
♡ 一般女性(2017年)デパートでの買い物デートがフライデーされた。
これだけ疑惑があればさすがに「女遊び」がどうのとか言われても仕方ない。しかも、チームが常勝しているわけでもないのに…
キャバ嬢にうつつをぬかしてスクープされるとは愚の骨頂。その後、そのキャバ嬢はスクープ代を結婚資金にあてたとか。碌な話じゃない。呆れてものが言えない。入団した年じゃないか!練習しないで女遊びばかりしていてプロで通用する訳がない。自明の理だ。
その女もえげつないけど、その女を信じた斎藤佑樹選手も青い。それと、チームが低迷しているのに合コンにいそいそ出かけるのはいかがなものか?
プロ野球選手は子供たちのヒーローであり、将来の夢である存在ということを自覚すべきと言っても所詮若い内は無理か?
しかし、世間では試合に負けているのに遊んでいていいのかという批判の声が多い。溢れていると言っても言い過ぎではない。試合に負けているのだったら女にうつつをぬかしてないで、練習しろ・・・というのは道理だ。
ダメになった原因・理由④ 物質的な欲にまみれすぎてるからとの指摘あり
真偽は確認できていないので、飽くまで推定だが、ポルシェや財布、高級品を社長におねだりしていたという噂がある。
出版社の某社長に「車が欲しい」とおねだり。すると某社長は800万円のポルシェのマカンをリースして斎藤佑樹へ提供。
某社長から財布やバッグ、さらにはマンションまで提供されていたという。
スターと祭り上げられたことで図に乗ってしまい、自分の地位を利用して、寄って来る人物にパトロンのような行為をさせてしまう。
プロとしての自覚が足りなかったのではないか、
一時期チヤホヤされて自分が”成功者” かのように勘違いしてしまい、愚直な努力を怠ってしまったのではないか。
ダメになった原因・理由⓹ 真面目過ぎたから?
「自分のやり方でやれば成果が出る」今までの人生がそれで全部上手く行っていた場合、その根深い思考を変えるのは中々難しい。おまけに、言われた通りにやる学校生活、大学野球部等と違い、プロ野球の世界は「大人のビジネスの世界」である。汚い手を使ってくる大人はたくさんいるはず。
これは勝手な想像だけれども、もしかすると、世の中が汚いということを知らない坊ちゃんを貶めるために、あの手この手を使って人間を陥落させるための誘惑を仕掛けた”オトナ” がいたのかもしれない。
これだけの女関係のゴタゴタやお金のゴタゴタの問題が急にまとわりついてきたとなると、そういった可能性があったのではないか。特に「年上の元キャバ嬢」との関係からスクープまでの一連の流れはだいぶ怪しい気がする。( 個人的見解だが!)
しかし、プロとして大人としての自覚があれば、誘惑も未練も断ち切れたはずだから、悲しいかな、結局は本人の心が弱かったのが一番の原因である。世間ずれしていなかったのでは?ホントは素直で真面目だったのかもしれない。しかし、人気に胡坐をかいて努力しなかったのは明白な事実だ。反省も何もかも遅すぎる。
斎藤佑樹選手が、高校野球での栄光からなぜここまで現在転落してしまったのかについて、考察してみた。子供の頃、少し才能があった選手がプロに入って努力しないとこうなるという唯の典型例の一つだった。ただ、それだけのことだった。才能と人気に溺れてしまい、自覚を欠いていたのに気づくのが遅すぎたというだけのこと・・・それだけ。
なぜダメになったのか、これだというはっきりとした原因・理由がはっきりした訳ではないが、いろいろ書いて来た様に、それらしき原因・理由が多々あったのは多分間違いないはず。結論は以上です。
4日の試合内容~経過
初回、先頭の田中に外角変化球を中前打され、二盗を許した直後に茂木に右中間適時二塁打を浴びて先制された。さらに2死二、三塁から銀次に右前2点適時打された。2回2死から田中に四球を与えたところで交代を告げられた。
2017年5月31日の「日本生命セパ交流戦」DeNA戦(札幌ドーム)に先発し6回途中1失点で勝利して以来673日ぶりの白星を手にすることはできなかった。
早実時代に06年夏の甲子園を制するなどアマチュア時代は輝かしい実績を残してプロ入り。11年の入団から2年で計11勝をマークしたが、過去3年はわずか1勝に低迷している。今季のキャンプ、オープン戦の実戦4試合で計11回を3安打1失点と結果を残して中継ぎで開幕1軍入りを果たした。
3月29日の開幕オリックス戦(札幌ドーム)では2点ビハインドの8回から3番手として救援。開幕投手を務めた12年以来の開幕戦登板で1回を1安打無失点に抑え、直後の同点劇を演出。チームの延長10回サヨナラ勝利に貢献した。
前回の救援がそれなりの出来だったので、期待されていた初先発だったが、またほろ苦い結果となってしまった。再起を期待したい・・・無理だろうけど・・・