平成22年9月13日(月)朝、母の入院先の病院から、私の自宅に1本の電話が入りました。
母は埼玉で一人暮らしをしており、軽い熱中症に罹ったため3週間も入院していました。
後から考えるとこれが致命的なミスでした。
長期入院が認知症を発症させる原因の一つであると、後で知りました。
ヤブ医者にかかると、それを知らぬまま後期高齢者であることを幸いに、長期入院させ治療費を稼ごうとする輩がいるのです。迂闊でした。悔やんでも悔やみきれません。
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高齢者が長期入院をすると、私の母の様に、往々にして認知症を発症してしまうケースが多いらしいですね。知りませんでした。体験するまで…認知症になるなど!…実感していませんでした。
長期にわたる入院中の拘禁状態が、そのきっかけを創り出してしまうのですね。
認知症に対して大した知識を持ち合わせていない医者にかかると、そんな手痛い目に合います。
年寄りを気安く入院などさせるべきではないのです。後で知りました。
ましてや3週間もの長期入院は相当に用心しなければなりません。
高齢者の親が入院する時は、できるだけ長期にならない様、医者にも注意ができるぐらいの知識を持ち合わせていないと本当に後で後悔します。骨身に沁みました。
不必要な検査や治療などは高齢者の負担額が低いため、往々にして気安く行われている気がします。患者本人も家族も治療費が安いことに安心しきっています。ここが落とし穴です。
世間一般では何歳ぐらいから認知症になるのでしょうか?
65歳以上になると、もう用心しなければいけないみたいですね。
75歳以上になると、その可能性はもっと高くなります。
私の母は88歳になっていました。
迂闊でした。
離れて暮らしていると、その微妙な変化の兆候に気づかない事が多いのです。
入院中の病院で夜中に、急にベッドから這いだし、大声で喚き始め「這ってでも家に帰る!」と散々、訳の分からない事を言いだし、騒いだらしいのです。
当直の看護師は慌てふためいたことでしょう。きっと気がふれたと思ったはずです。
丁度、3週間目でした。
真夜中に病院中がひっくり返る様な騒ぎを起こしたため、「すぐに引き取ってほしい」との要請電話でした。
朝一で病院から掛かって来た電話で「一人で退院させるわけにはいきませんので、すぐ迎えに来てください」と言われました。
とにかく急いで、取るものも取り敢えず車を運転して病院に駆けつけると、肩を落とし意気消沈した母がそれこそ「ショッボ~ン・・・」とベッドに座っていました。
一目見て、まともな状態ではないことが分かりました。
狂ったか?
認知症にでもなったのか?…これが認知症という奴なのか!
ほうけた感じなのです。目はあらぬ彼方をぼんやりと眺め、口は半開き・・・
手早く退院手続きを済ませ、母を自分の車に乗せ、母の自宅へ連れ帰りました。
あんな軽い熱中症など2~3日入院すればいいだけなのに・・・。
郵便局の簡易保険金でも欲しかったのか?
20日以上入院しないと貰えない保険だから、わざと長く入院していたのか!
一瞬にして様々な思いが駆け巡っています。
2~3週間も楽を決め込んで入院し、拘禁状態から発作的に被害せん妄を引き起こしてしまったらしいのです。
食事を作るのも、もうおっくうになっていたのかな?
それなら、弁当の配達でも頼めばよいのに・・・
8年前でもそういう福祉関係の団体があったはず。
安く配達もしてくれたはずだ。
歳をとると暑さ、寒さに鈍感になるのかな?
それとも電気代が惜しくてクーラーをつけなかったのか?
この頃の夏の暑さは異常なくらいだ。
クーラーをつけなければ、若くとも熱中症になる。
88にもなったのだから、クーラーをつけるべきと口を酸っぱくして言ってきた。
全然、耳を傾けない。
全く理解に苦しむ。
しかし、88歳になるまで我が家に引き取らなかった自分の不甲斐なさに引け目を感じていました。
しかし、あんな軽い熱中症で3週間も入院するとは…させてしまった自分も本当に迂闊だった。
点滴など3週間もする必要はない。2~3日で充分のはずなのに・・・
点滴での拘禁状態! すべてはこれが原因だな。
病院が病人を創り出してしまうのだ!!
1週間前に見舞いに行った時、今から思うと変な言動がありました。
その時はその兆候に気が付かなかった(離れて暮らしていると分からないものです)…見過ごしてしまった。
思えば、真夏の長期入院は母の年中行事のようになっていました。もっと、注意すべきでした。
夜になれば、4人部屋なのだから皆カーテンを引いて寝る。
それが嫌だと言っていた。
この時に、もう長期入院の拘禁症状が現れていたのだ。
今なら分かる。
でも、この時は分からなかった。 油断していた。
長期に渡って拘禁された環境が認知症発症のきっかけを作り出したのだ。
しかし、どう考えても賢い行動ではない。
まともな人間なら、すぐに気づいていいはずだ。
歳をとって多少ぼけて来ても、ここまで馬鹿だとは思わなかった。
嫌になったのなら、すぐに退院すればよいものを・・・
様々な思いが浮かんできては腹立たしくなってくる。
今でも許せないという思いがある。 誰のせいでもない。
そう、自傷行為なのだ!これは…
だが、高齢者の判断に任せて敢えて注意をしなかった自分にも責任はある。
病院から連れ帰り、しばらく面倒を見ている内にだんだんと疲れが溜まって来る。
昼間はいろいろな病院へ連れてゆき、帰ったら食事の世話、洗濯、風呂の用意をする。
1人ではもう何も出来なくなっていた。
医者に連れて行かない日は、車を運転して町役場まで行き介護、福祉関係の申請をする。
介護保険の申請、後期高齢者の被保険証更新・・・等々。
行政や公的介護サービスを調べまくる。 聞き回る。
取り敢えずはこんな手段しかない。
余程、普段から高齢者の親に注意を払っていないとこんな目に合ってしまう。
帰ってくれば、食事の支度、洗濯、風呂にも入れなければならない。
残暑が厳しく汗をかく、着替えもさせなければならない。
疲れ果てているところへ、どこで聞きつけたのか、電話がかかってくる。
何とか社会福祉協会の人が「ボランテイア」で来てくれるという。
話を聞いて丁重にお断りをする。
とてもじゃないが、ボランティアで何とかなる状態ではない。
「私の交代要員を寄こせるならお願いします。」と言えばそれは無理だと言う。
介護、福祉関係の申請も東京の家が完成すれば、東京に引き取るという話をすると、それでは埼玉県で介護や福祉のサービスをすぐには受けられない、受け付けている間がないという。
八方ふさがりの状態に苛立ちが募る。
公的な介護サービスもここまで急に発症するとすぐには受け入れて貰えない。
9月12日夜、認知症発症!
11月中旬には我が家が完成するはず。
東京にすぐ戻るという前提では、ディサービスもまともに受けられないという話に納得ができない。
本当に急に介護が必要な時には面倒な手続きばかり…先に済まさないと何も受け付けてくれない。
しかし、これが日本の介護サービスの現状なのだ!
これで良いのか?という思いが突き上げてくる。