J・バエズ(ジョーン・バエズ)!
フォークロックの草創期から、今なお第一線で活動し続けて来た女性音楽アーティストの第一人者。キャリアは60年間にも及び、フォーク界に多くの足跡を残した。2017年『ロックの殿堂』入り。2018年、10年ぶりのアルバム『Whistle Down the Wind』をリリース。この作品と、それに伴うワールドツアーが最後になると明言し、第一線からの引退を表明。
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基本情報 | |
出生名 | Joan Chandos Baez |
生 誕 | 1941年1月9日(78歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 ニューヨーク州スタテンアイランド |
ジャンル | フォーク、フォークロック |
職 業 | ミュージシャン シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル、ギター、ピアノ、ウクレレ、ジャンベ |
活動期間 | 1958年 – 現在(2018年引退表明) |
レーベル | ヴァンガード・レコード、A&Mレコード、CBS Gold Castle Records、ヴァージン・レコード Guardian Records、Koch、Proper Records |
公式サイト | joanbaez.com |
今の若い人は、ジョーン・バエズの名前も歌も知らない人が多いだろう。
彼女の全盛期は50年以上も前にさかのぼるかな!
ベトナム反戦活動が盛んだった1960年代頃か?
月日が経つのは早い。
自分もいつの間にか、69歳にもなってしまった。
ブログを書くのに行き詰まったり、ネタが思い浮かばない時、いつもJ・バエズの「思い出のグリーングラス」を聴くのが習慣になってしまった。彼女の代表曲ではないのだが・・・一番好きな曲だ。
今の歌では、もうダメなのだ。心に響いてこない。
今流行っている歌で、どれだけ心の琴線に触れる様な曲があるというのだろうか?
自分には、どうやっても見つからない。
昨年一番受けた米津玄師のLemonは、やたら暗いだけ・・・陰々滅滅とした気分になって来る。好きになれない。NHKの紅白では徳島の大塚国際美術館で生歌を披露したというのに聴く気にもなれなかった。聴き返す気がおきて来ない。もう感動出来ないのだ。共感出来るものがない。
DA PUMP のUSA も同じ!歌もダンスは面白いと思うけど、ただそれだけ・・・心に残らない。感性が薄れたのかな?いや、ちょっと違うと思う。親子の愛とか、兄弟愛には関心があるけど、もう男女間の恋愛の歌には確実に興味が無くなってきている。もっと大きいというか、広い意味での愛=慈悲とでもいうものに心惹かれる。
今、流行っている歌やダンスで50年後も歌われるものやダンスが幾つあるだろうか?大多数は消滅してしまい、再び日の目を見ることはないと思う。
だが、彼女の歌は違う。50年以上経って聴いても色褪せていない。心に響いてくるのだ。Ventures、Beatles、Rolling Stones、queen・・・色々、音楽を聞いて来たけれど彼女のあの澄んだ透明な歌声には遠く及ばない。特に、『思い出のグリーングラス』!
死刑囚が処刑前日に夢見た故郷への思いが原曲に乗って心に響いてくるのだ。美しく悲しい歌・・・カントリー風に歌われると特にジーンときてしまう。30~40代頃に歌っていたのが一番好きだ。
彼女の代表曲ではないのに、なぜ、こんなに惹かれるのだろうか?良く分からない。でも心に響いてくるのだ。
これが、他の人の歌ではダメなのだ。森山良子などは、この名曲をただのロマンチックな歌に堕してしまっている。これ程、哀愁を帯びた曲なのに下手な和訳の歌詞が、原曲のイメージをぶち壊してしまっている。
♪思い出のグリーン・グラス
故郷の街並みは昔と同じ
列車を降りると 両親が迎えに来てくれている
通りを走ってくるメアリーが見える
金髪でさくらんぼのような唇の
故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ
そうなんだ 皆が迎えに来てくれる
両手を差し伸べて 優しく微笑みながら
故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ
古い家はまだちゃんと建っている
壁は干からびてひび割れてはいるけれど
そして 僕が遊んだあの古い樫の木もある
愛しいメアリーと一緒に小道を歩くんだ
金髪でさくらんぼのような唇の
故郷の緑に触れるのは気持ちが良いものだ
ダメなのだ。こんな下手な和訳では原曲の良さが伝わってこない。幻滅だ!!
特に3番目の一番大事な歌詞がないのが致命的だ。この曲はただの牧歌的な歌などではないのだ。
原曲では、最後の3番目の歌詞で看守に両腕をつかまれて死刑台に向かう描写をトム・ジョーンズなどはセリフで語っている。最後3番目の歌詞で「死体の私が故郷の人々に迎えられ芝生の下に横たわる」情景を想起させる歌なのだ。草の香りと触感が自然と感じられる様に3番目まで歌わないと全く違った曲になってしまう。
この原曲の歌詞を自分で和訳してちゃんと聴いてみて、本来の意味がやっとわかった。良く聴くと、まるで黒人霊歌のようなのだ。内容に驚き、少なからずショックを受けた記憶がある。この男は、どんな人生を送って来たのだろうか?心から改心してるなら、やはり死刑制度は廃止すべきなのでは?・・・などと思ってしまう。少なからず考えさせられる曲なのだ。
トム・ジョーンズの歌い方は上手い。セリフの部分も良い。ヒットもした。彼の歌が一番売れたのかな?しかし、彼女の歌ほどには自分の心に響いてこない。プレスリーも歌っている。上手い!だが、やはり心に響いてこない。プレスリーのどうだ!上手いだろうと言わんばかりの歌い方には反感を覚えるだけで、とても共感など出来ないのだ。
トム・ジョーンズの『思い出のグリーングラス』
なぜか?彼女の歌声でないとダメなのだ。天使の歌声に聞こえないのだ。
他の人では味わえない歌声なのだ。素朴で透明感のある歌声でないと共感出来ない。
他者では到底ダメ。 清らかな気持ちにさせてくれないのだ。
ジョーン・バエズは、ニューヨーク州のスタテン島にてメキシコ系の家に生まれる。彼女の一家は、クエーカー教徒であった。父親のアルバートは物理学者であったが、軍需産業への協力を拒否した。
それはジョーンの1960年代から現在まで続く公民権運動と反戦活動へと大きく影響を及ぼした様だ。妹のミミ・ファリーニャ(Mimi Fariña、1945年4月30日 – 2001年7月19日)もフォーク歌手であった。
歌手としての経歴は、1959年のニューポート・フォーク・フェスティバルから始まった。1960年10月、ファースト・アルバム『ジョーン・バエズ』をヴァンガード・レコードから発売。
同作は「ドナドナ」「朝日のあたる家」などトラディショナルのフォーク・バラード、ブルースと哀歌が、彼女自身のギターによって演奏された物であった。
1961年9月発売の『ジョーン・バエズ Vol.2(Joan Baez, Vol. 2)』はゴールド・アルバムとなり、翌年リリースされた『ジョーン・バエズ・イン・コンサート 』も同じくゴールド・アルバムを獲得した。
バエズは、1960年代初頭から中期に掛けて、アメリカにおけるルーツ・リバイバルの先頭に立ち、自らの聴衆に対し、ブレイク前のボブ・ディランを紹介し、また多くのアーティストは彼女を模倣した。
ジョーン・バエズとボブディラン
二人で歌っているこの歌はあまり好きではない。彼女の綺麗な歌声が、ディランの癖のある歌声にすっかり消されてしまい、彼女の歌声が良く聞き取れない。この頃、二人の間に恋愛感情はあったのだろうか?二人の距離が近過ぎて「?」となってしまう。ディランは歌で世の中が変わるなどとは全く思っていなかったのだろう。ジョーン・バエズと決定的に違っていた点がこの一点につきるかな?
1968年12月、ディランの作品のみを歌った2枚組のアルバム『Any Day Now』を発表。シングルカットされた「ラヴ・イズ・ジャスト・ア・フォー・レター・ワード」はバエズのコンサートの定番曲のひとつとなった。
1969年、ウッドストック・フェスティバルに出演。
2010年3月、スペイン政府より芸術文学の勲章を受勲し、Excelentisima Señoraの称号を得る。
2017年、『ロックの殿堂』入りを果たす。
2018年、10年ぶりのアルバム『Whistle Down the Wind』をリリース。
この作品と、それに伴うワールドツアーが最後になると明言し、第一線からの引退を表明した。
WhIstle Down The Wind
残念だ。最後に彼女の生歌をもう一度聞きたかった。you tubeで聞くと、若い時の張りのある高い声はもう出ていない。寂しい限りだなぁ・・・しかし、やはり思い入れが違う。
若い時からスペイン語やドイツ語でも歌っていた。流石だと思った。
ドイツ語で歌っていた『花はどこへ行った』も名曲と感じた。
あんな歌手が、又出て来ることがあるかな?
最後じゃないかなとさえ思う。
ジョーン・バエズ!・・・髪は白くなり、声もしわがれてしまった。
しかし、美しく年老いた。自分の心の中では、いつも永遠に輝いている。
見事な引き際だ!心から拍手を送りたい。
彼女の様な澄んだ伸びやかな透明な歌声でないと、どんな曲を聴いても、とても感動などもう出来ないのだ。