最初の家出から10日目に又、母が家出をした。
日曜日の朝だった。日記を読み返して見ると平成22年(2010年)12月5日だった。
晴れてはいたが、結構寒い朝だった様に記憶している。
Contents
又、埼玉に一人で帰ると言うので玄関先で私と揉めた。
私は、母が玄関の扉を開けようとするのを力づけで止めた。
しかし、百姓で鍛え上げて来た母の力は並み大抵の力ではなかった。
とても88歳の老婆とは思えないほどの力で逆らってきた。
扉を開けようとするのを私が辞めさせ様と力を籠めると、そのまま二人一緒に玄関先のフローリングの上に倒れこんでしまった。
思わず母に怪我をさせてしまったかと思うほど強く倒れこんだ。
幸いにも怪我はしなかったが、勢いよく立ち上がると母は叫んだ。
「こんちくしょうめ!人をこんな誰一人知らない所へ、見ず知らずの土地へ連れてきやがって!」
「こんちくしょうめ!こんなところに居られるか!田舎に帰るんだ!こんちくしょうめ!」と泣きながら、喚き散らし怒鳴り始めた。
目は吊り上がり、尋常でない眼で私を睨み返してくる。
気がふれたかと思うほど、地団駄踏んで悔しがっている。
「こんちくしょうめ!こんちくしょうめ!」と泣き喚き散らしながら玄関の土間をどんどんと踏みつけている。
もうまともな状態ではない。
何を言っても無駄だと分かったので、私も止めるのを辞めた。
「好きにしなよ」と母に言って、私は目を背けた。
もう完全に狂っていると思った。
昨日も、一昨日も近所の家に遊びに行っている。
世間話をして帰って来ていた。
まず、誰一人知り合いがいない場所なんかではない。
母には建て替えをした我が家が見ず知らずの土地の上に建っている家に見えたのかな?
今も良く分からない。認知症になった人の頭の中までは分からない。
そのまま、母は玄関の扉を蹴飛ばすように出て行った。
妻が心配そうに見ている。
私は妻に「どうせ一人では帰れないよ。跡をつけて、どこかで迷った所で、連れて帰って来るよ。
今はもう止めても無理だと思う。」と告げて跡をそっとつけて行った。
母は相変わらず白いゴムシューズを履いて、うつむき加減でよたよたと歩いてゆく。
上着こそ暖かそうな物を着ているが履物がいかにも不自然だ。
歩きやすい様に、いつもの白いゴムシューズだ!
一目見て、外出用の靴ではないことが分かる。
気づかれないようにそっと跡をつけて行ったが、母は振り返ることもなく、どんどん駅まで歩いてゆく。
切符は買えたみたいで、そのまま構内に入ってゆく。
私は気づかれないように後をつけ、やがてやって来た山手線の電車の同じ車両で、ずっと離れた所に座った。
遠くで母の様子を見ていたが、前をじっと見つめて周りを見ることもない。
玄関先では何かに憑りつかれたような目つきをしていたな。
やはり、尋常ではない性格だ!
埼玉の田舎に帰るには池袋で乗り換えねばならない。
渋谷辺りから人がどんどん乗り込んできて、人波で母の姿が見えなくなった。
でも、安心していた。
池袋で降りるだろうから、離れて跡をつければいい。
どうせどこかで行先が分からなくなるだろうから、その時声をかけようと思っていた。
新宿駅で人がドッと降りて、またどんどん乗り込んできた。嫌な予感がしたので、母の座っていた方へ近づいて行った。
案の定いない。
電車の扉はもう閉まりかけていた。
人波で、押し分けて降りようにも降りられない。
見失った。
又、又やりでかしてくれました。
新宿で降りても埼玉の田舎には戻れない。
見事に煙にまかれたか? いや、そうではあるまい。
やっぱり、母は間違えたんだ。
乗り換える駅を・・・あーあー・・・参った!参った!・・・