認知症になった母との共同生活が始まった。子供たち二人を含めて合計5人!!
妻の苦労は私以上だったと思う。
朝食を作り、母の昼食の用意までしてフルタイムで働きに行っていた。
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認知症の患者は身近に接する人にほど突っかかって来るとは聞いていたが、これほどまでとは想像できなかった。
私はこの頃の母の姿に完全に失望していた。
自分と同じ気性の者同士は本能的に嫌い、避けあうものなのだろうか?
ケンカばかりが起きる相手とは付き合っていられないものなぁ~。
自分が好きになる友人や知人は穏やかな人ばかりだし、口を開けば人の悪口や噂話ばかりするような奴らとは明らかに違う。
とにかく母は人の噂話ばかりしていたし、人に同情しているふりをしてその実、当の相手を自分の下に見ている。
うんざりするほど、人の噂話ばかりをしていた。
そんな性格が認知症発症と同時に、如実に現れてきた気がした。
60歳を過ぎた頃から、私はカッとなる感情を少しは抑えられるようになっていた。
でも、この頃の母の姿には嫌悪感すら抱いていた。
私は60歳で定年退職という形を取った。
しかし、本当は会社の業績悪化でリストラに近い形で退職を余儀なくされたというのが実情だ。
リーマンショクの影響はバブルの再来を思わせた。
不動産業界をまた直撃した。
当たり前だ。
形を変えてアメリカにも現れて来ただけの現象なのに…
アメリカの浮かれた景気の良い話を良くみれば賢い人はすぐ気付いていたはずだ。
低年収の人がそう簡単に高価な不動産など買える訳がない。
見せかけの景気であることは見抜けたはずだ。
サブプライム問題に警鐘を鳴らしている人は既にいた。
名前は忘れたが、確かにいた。
誰も過去の経験に学んでいない。
特に、日本の経営者は罪深いよなぁ~。
ちょっと会社の業績が良くなるとただただ拡大路線に走る。
地に足が着いていない。
人も育っていないというのに・・・
無理を重ねる。
雇われている人も不勉強だ。
くびになる覚悟も出来ていない。
経営者に面と向かって反論できる人などいない。
誰も育たない。
唯々諾々と従うだけ・・・
時代に流されているだけ・・・
その後のアメリカの対応も日本の対応も最悪だ!
日本の行政は真相にメスを入れない。
入れられない。
既得権者を駆逐できないし、市場をオープンにできない。
グローバル化に対応できない。
世界に遅れを取るだけだ。
私もそのダメな人間の中の一人だ。
そんな思いを抱きながら歯を喰いしばって求職活動をしていた。
そんな時に限って、母は何かをやりでかしてくれる。
我慢している気持ちを逆なでさせられるような事ばかりする。
今思い出しても腹立たしくなってくる。
当の本人は今ではそんなことはすっかり忘れ、自分がいかにつつましやかに、人に迷惑をかけずにやって来たかの様な顔をしている。
全く忌々しい。
だが、認知症患者なんて、みんなこんなものなのだろうな?
ただ、急激に悪くなった認知症は、劇的に良くなる時もある。
母の場合はその実に稀なケースの一つに当てはまった。
認知症発症から9ヵ月目ぐらいからかな。
当初の荒々しさが影をひそめ、漸くまともな会話が少しはできるようになってきたのは…。
しかし、ディサービスに週3~4回行き出して慣れてくると、また人の噂話が始まった。
「あの人は少しおかしいんだよ。きのう言ったことも忘れて、また同じことを聞いてくるんだよ」と・・・
「ほんの数か月前のお前もそうだっただろう」と叩きつけてやりたい言葉や感情をグッとこらえる。
ディサービスの迎えの車に「二人乗っていたが、全然口を利かない。おかしな人ばかりがいる。」と…
「あんただって相当おかしかったんだよ。」と言ってやりたいのを必死に抑える。
相変わらず母とはあまり会話が成立しない。
自然と拒否反応が出てしまう。
専ら、母の話し相手は私の妻と子供たち。
近所の何人かの人たちだけ・・・
介護サービスの人たちも良くしてくれたなぁ~。
あの人たちは本当に偉いと思う。
給料を含め待遇面でもっと報われて当然の人たちだと思う。
そのための増税や諸々の負担を我々は受忍すべきだと思う。
ただ、その前提としては嬉々として甘い汁をすすっている既得権者を一掃すべきだが…。
それをしないから誰も芯から政治を信頼しない。
ついていかない。
しかし、無関心はダメだなと思う。
根本的改革をしないとどうしようもない時代になってしまうと直感できる。
いや、もうなってしまっている。
私はあまりつまらない事に怒らなくなった。
人のあら捜しをする事や、人のうわさ話に加わることはない。
だから母のする話には興味が持てない。
拒否する自分がいる。
人の噂話ばかりに相槌など打てない。
結局は、人の悪口で終わってしまうのだから…もう、うんざり…耳にタコができる。