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  • 母の認知症は劇的に回復に向かった!その方法とは?


    平成24年8月頃には、母は1人で兄の所へ行き一日泊まり、翌日には埼玉の実家に戻ってゆける様になっていた。

    認知症発症から9ヵ月目、即ち平成24年6月頃から意識もかなり正常に戻って来ていた。

     

    認知症発症と同時に速攻の対応が功を奏したらしい。

    半ば強引に東京に連れ戻し、皆で介護に当たったのが正しかった。

    ショック療法が見事に当たったのだ!

     

    皆が皆、この方法で治るとは思えないが、我が家の母は間違いなく、この強引とも思えるやり方で成功した。

    長期入院で急激に認知症を発症した場合、即対応に当たれば治ることもあるという極めて稀なケースだったと思う。

     

    あのまま田舎に一人で置いておいたら、きっと重症化していたと思われる。

    しかし、その引き換えに払った代償はあまりに大きかった。

     

    私の方が完全におかしくなってしまった。

    鬱に近い状態に陥ってしまった。

     

    行きつけの心療内科の医者は睡眠薬が効くように大量の「ベゲタミン剤」ばかりを投与してよこす。

    ネットで調べてみると、今どき「ベゲタミン」ばかり投与する医者はもうあまりいないみたいだった!

     

    今は確か、投与は禁止されているはずだ!

     

    睡眠薬の効き目は良くなるが依存性が高くなり、常習化する弊害があり治療としては極めて安直なやり方だという事が分かって来た。

    医者への不信感が募る。

     

    駅前にあったから行き易いので安易に通っていたが、こんな医者では私の不眠症と鬱状態は治らない。

     

    この男もやはりヤブ医者だ!

    何よりも勉強不足だ!

     

    まだ、50代に届くか、否かぐらいなのに・・・

    何にも専門医療を研究している感じがしない。

     

    お調子ばかりが良く、私の症状が好転しないと、ころころと薬の種類ばかりを変えてゆく。

    そして大量の「ベゲタミン剤」投与!

     

    患者が来ないときは時々、診察室で下手くそなギターを弾き、これまた聞いていられないぐらいの下手くそな歌を歌っていた。

     

    聞くに耐えない。

    医者を変えねばならない。

     

    渋谷区の地域医療担当課に電話をし、事情を話した。

    我家から近くの区民センターに精神科医が来てもらえることになった。

    相談に乗ってもらうと、やはり最近では「ベゲタミン剤」投与はあまり行われていないとの旨。

     

    「4錠も投与されている」と言うと驚いていた。

    医者を変えた方が良いと言われたが、どこの医者が良いかは言わなかった。

     

    「医者の間にも仁義があるのかな?」と勝手に想像していた。

    地域医療の相談員に他の医師を教えて貰い、代えることにした。

     

    平成24年8月頃では仕事の疲れから、睡眠薬なしでも時々はまだ眠れていた。

    しかし、12月頃には完全にダメになった。

     

    過眠と不眠が交互に起こるようになった。

    退職しなければ、本当に鬱病になってしまう気がしていた

     

    妻と子供二人が妻の実家のある弘前市に帰省すると母と二人きりになる。

    母とは会話があまりできなかった。

     

    もう母の事を思いやる余裕など全くなかった。

    仕事の疲れと睡眠不足・・・頭が冴えない。

    新しい事が覚えられない・・・いつも頭がボーッとしている。

     

    昼間は生あくびばかり・・・

    不安に襲われる。

     

    精神安定剤を飲む・・・悪循環・・・。

    焦りが募る。

     

    この頃、飲んでいた「イリコロン」という睡眠薬のせいか?

    しかし、薬の量を減らすと夜中に何度も目が覚めてしまう。

     

    今度は「ミンザイン」という薬に変わった。

    何にも変化はない。

    早く医者を替えねばならない。

     

    仕事には何とか出かけていた。

    しかし、物忘れが酷くなり、メモをしっかり取っていないと2~3週間前の事などすぐ忘れてしまう様になった。

     

    脊椎管狭窄症で腰も痛い。

    太ももに力が入らない。

    若い時と比較にならないぐらい体力が衰えている。

     

    不安に襲われると精神安定剤を飲むしかない。

    仕事の事を考えると胃がキリキリと痛むようになった。

     

    幸いなことは母が認知症から奇跡的に回復したことだけだった。

    この時の私はもう認知症患者の介護など到底できる状態ではなかった。

     

    仕事から戻ると疲れのため風呂にも入らず眠ってしまう事が何度もあった。

    遅刻と早退を繰り返す様になってきてしまった。

     

    63歳の誕生日はこれまでの人生の中で最悪だった。

    胸の動悸、息切れ、吐き気・・・間違いなく鬱症状だ!!

     

    自殺願望がなかったのは生来の負けん気の強さだろう。

    しかし、限界が近づいていた。

     

    自分で「認知行動療法」を試みる。

    自己催眠に近い・・・頑張っても心が晴れない。

     

    結局、診断書を添えて休職届を提出する。

    図書館に行き「心の晴れるノート」などを読み認知療歩を再度試みる。

     

    続かない・・・「鬱病を治す関係の本」が読めない。

    根気が続かない!

     

    友人が心配して家まで来てくれた。

    12月7日(金)又、東北を震源地とする地震があった。

    東日本大震災を彷彿させられる。

     

    平成24年はこんな調子で終わってしまった。

    悔いだけが残った。

     

    心療内科の医者は「男の更年期障害ではないか?」などと言い出した。

    ダメだ!

    この医者を替えないと治らない。

     

    昨日の出来事が思い出せない日が多くなった。

    腰痛も酷い・・・腰痛体操をしても治らない。

    朝、極端に早く目覚める様になってしまった。

     

    体調は最悪になった。

    母は「私がものぐさでちっとも田舎に行こうとしない」「米も田舎で買った方が安いのに・・・」などと妻に愚痴ったらしい。

     

    人の置かれた状況が分かっていない。

    認知症が劇的に治ったとは言え、他人の事を思いやる気持ちなどは持ち合わせていない様だ。

     

    さすがに、妻も頭にきて「今、体がおかしいのだから田舎になんか行ける訳ないでしょう!」ときつく母を諫めたみたいだ。

     

    私鬱状態になった原因の一つは母の介護に当たった事だ。

    それは間違いない。

    認知症になった母の介護だけが原因ではないが、少なくとも私の鬱状態を作りだすきっかけの一つにはなっている。

     

    しかし、母は自分が原因の一つであるなどとは露ほども思っていない。

    この無神経さに腹が立つ事が多々あった。

     

    下の娘の大学入試試験と重なり、どこに入れるか、その進学費用は幾らぐらいかかるのか、心労が尽きない。

    幸いにも早稲田大学に推薦入学が出来た。

     

    ホッとしたのも束の間で、今度は帯状疱疹にかかり体が酷く痛くなった!

    一錠500円の薬を一週間も飲む羽目になった。

    一万円以上の治療代にビックリする。

  • 2回目の家出後の母:少しは落ち着いてきたか?


    2回目の家出後、母も少しは反省して落ち着いてくれるといいと思ったが、あまり大した変化は見られない。

     

    幻覚はあまり見なくなったみたいだが、幻聴の方は相変わらず誰かが歌を歌っているとよく言っていた。

     

    だが、家出から5日後にはディサービスに行き出した。

    まだ、週1回きりだが、これで少しは落ち着いてくれると助かるのだが・・・

    どうなるか、油断は出来ない。

     

    私の方はハローワークの求人に碌なものがない。

    履歴書を送る宛もないので図書館へ数か月振りに出かけてみた。

     

    やはり年寄りの男が多いなぁ・・・やけに目立つ。

    私と同い年ぐらいか、それとももっと上か?

    なんでこんなに多いのだろう?

     

    以前から感じていたのだが、私と同様に失業中なのか?

    それとも定年退職して行く宛もなく図書館で過ごしているのか?

    図書館なら金がかからず、過ごせるからなぁ。

     

    いずれにしても勉強や研究をしている様子ではない。

    週刊誌ばかりを占領してテーブルの上に何冊も置いて読んでいる奴がいる。

     

    早くも居眠りしている奴がいる。

    まだ午前中だぞ!

     

    行く宛もなく図書館で一日中過ごしているのか?

    金がかからないから時間を潰しているだけか・・・

     

    情けないなぁ!

    人の事を言えた義理ではないが・・・

     

    「認知症に関する本」を棚から取り出して読んでみる。

    あまり頭の中に入ってこない。

    難しいことが書いてあると読む根気が続かない。

     

    諦めて「60歳以上の働き方」などの本を読む。

    読んでいる内に油汗が出てくる。 焦りを感じる。

     

    今度は日経新聞を読んでみる。

    やはり読むことに集中できない。

    気力が起きてこない。

     

    困ったものだ!

    こんな調子では再就職も覚束ない。

    運動不足を補うために図書館に来たのだが、早々に切り上げて自宅に帰る。

     

    今日の朝、「早くいい仕事が見つかるといいね」などと少しはまともな事を言っていた母が昼寝から目覚めて起きて来た。

     

    また、とぼけたな事を聞いてくる。 「今日は20日かい?」と・・・

    まだ、今日は12月10日だ! やはり、曜日や日付の観念がおかしい。

     

    12月中旬ぐらいになると、昼飯時に母が言う。

    「あたしがあんなバカな事をしなければ・・・あんたにこんな世話をさせて・・・」

    と少しは殊勝な事を言っている。

     

    私が昼ごはんの用意をしているのを済まないという感情が出て来たらしい。

    散歩にもよく出かける様になった。

     

    ディサービスから戻り、コタツに「イテテ・・・」と言いながらポッンと座っていたかと思うと、

    また「イテテ・・・」と言いながら横になる。

     

    天井をぼんやりと眺めている。

     

    昨日は大分、正常に近い喋り方をしていたが、やはりどこかぼんやりとしている感じがする。

    普通ではない感じがする。

     

    私は相変わらず不眠症が治らず、体中のあちこちが痛む様になってしまった。

    鬱状態に近いなと自分でも感ずる。

     

    家を新築したので都税事務所に提出する固都税減免申請書を書いていたら、頭がクラクラしてきた。

    やはり、どこかおかしい。

    失業したことによるストレスなのか、認知症の母の介護のせいなのか、良く分からないが体調は万全ではない。

     

    運動不足を解消しようとウオーキングに出かけるが腰が痛んで思うように歩けない。

     

    又、自宅近くのクリニックに連れて行って初めて分かったのだが、母が勝手に自分の判断で「アリセプト」の服用を

    辞めていた。

    それで手の震えが治ったと言い張る。

     

    認知症悪化の不安がよぎる。

    あんな介護はもう二度としたくない。

     

    本当に鬱病になってしまう。

    認知症の進行を止めるには、今は「アリセプト」ぐらいの薬しかないのだが・・・

     

    その後、3回目の家出はなく無事に平成22年は暮れた。

    新年を迎え、順調に行くかと見えたがしばらくすると母が起きてこない。

     

    妻が母の部屋に行ってみると又、メソメソと泣いているみたいだ。

    「田舎に帰してくれ!」と言っているらしい。

     

    つい2~3日前にも長男の成人式が終わったら「田舎に帰ると」と言いだしていた。

    また、それを蒸し返している。

     

    どれだけ自分の田舎がいいのかなぁ・・・理解し難い。

    やはり、本当には認知症が治っていないなと感じる。

     

    ドタバタやっている内に私のアルバイトが決まった。

    派遣でも何でもやらないと手持無沙汰のまま人生が終わってしまう。

     

    2月初旬からアルバイトだが、不動産関係の仕事で働き出した。

    母は相変わらずいい加減じぶんになると泣きだす。

    まったく嫌になる。

     

    まだ田舎に一人で帰す訳にはいかない。

    しかし、あまり押さえつけてると、夜になり「死にたい」とか「あん時、逝っちまえばよかった」とか、又愚痴や繰り言ばかり言って来るようになる。

     

    暖かくなったら田舎に連れて行ってやるか?

     

    認知症患者はこんなに愚痴っぽくなるものなのか?

    まだまだ、情緒が不安定だなと思える。

     

    どうして、こうも情けない事ばかり言うのだろう?

    積極的に生きようという気力が湧いてこないのだ。

     

    やはり、病気のなせる業か?

     

    3月になると母が兄の所へ泊まりに行った。

    勿論、一人では無理だ! 妻が連れて行った。

     

    兄の所へ泊りに行ける様になっただけでも以前と比べては大部状態が良くなって来ているのだと思うが・・・

     

    私は自宅でもっと条件のよい勤務先に提出する書類を作成していた。

    そんな時、3月11日(金)東日本大地震が起こった。

    子供達二人は家にいて無事だった。

     

    私は次の勤務先に勤める積りで、既にアルバイトを辞めていた。

    自宅にいたので助かった。

    あのままアルバイトをしていたら神田から徒歩で帰宅しなければならないところだった。

     

    母はディサービスに行っていた。

    建物が頑丈だったので大きな揺れを感じたと言っていたが、無事だった。

     

    大変だったのは妻の方で、仕事で大森の税務署に行っていたから徒歩で何時間もかけて帰宅しなければならなかった。

     

    その後の騒ぎは皆の記憶に残っている通りで、福島第一原発が爆発したり、仙台の石油コンビナートが炎上したりで大変な被害が出た。

     

    津波で亡くなった人は何万人だったかな?

    石巻は津波で壊滅状態だったし・・・

     

    今、調べると2017/12/8 現在で死者15,894人 行方不明者2,546人

    避難者 7万7,436人となっている。大変な数字だ!

    私の味わった苦労など、苦労の内に入らないな・・・

     

    我が家も水や食料の買い出しのため遠方のス-パーに行ったり、結構あおりをくらった。

    せめて水や食料を3日間ぐらいは用意しておくべきだった。

    やはり日頃の心掛けが必要だな。

    悔んでも遅い。

     

    母に「埼玉に居なくてよかったよかっただろう?」と言ったら、「いっそ、死んじまった方がいい」と答えた。

    まったく素直じゃないな。

    認知症になった人は皆こんなものなのか?

    そうとばかりとは思えない。

     

    どうして、あんな言葉しか出てこないのだろう?

    認知症だけのせいだけではない気がする。

    持って生まれた性格が認知症発症と同時に露骨に現れて来たという気がする。。

     

    「兄の所へ電話だけでもかけたらどうなんだ!この間泊まったばかりだろう?」と言うと素直に従ったが・・・

     

    俺や兄貴が母親の所へすぐに助けに行けると思っているのか?

    ほんと性格が歪んでるなぁ・・・愚痴やひがみ根性が治らないなぁ。

     

    全く嫌になる。持て余す。

    認知症患者なんてこんなものなのか?

     

    この捨て鉢な性格は治らないのか?

    自殺も出来ないなら頑張って生きるしかあるまいと思うのだが・・・

     

    聞かされるこちらの方がいい加減気が滅入ってくる。

    世話をしてる甲斐がない。

    二言目には「早く逝きたい」「生きててもしょうがない」と愚痴る。

     

    助けた事を有り難迷惑とでも思っているのか?

    素直じゃないなぁ・・・

     

    これではホント生きてる甲斐がないなぁ・・・と思わせられる。

    母の様な生き方だけはしたくない。

     

    一見まともに見えて、良く見るとまともじゃない。

    認知症発症と共に本性が現れる。

    救い難い。

     

    救われない性格だな!

    どうしようもない。

     

    今はほっとくしかない。

    何を言っても逆らってくる。

    ホント厄介な病気だなぁ・・・生来の本性か?

    相手にしてられない。

     

     

  • 認知症の母が2回目の家出!新宿鉄道警察隊からの知らせは?

    認知症の母が2回目の家出!新宿鉄道警察隊からの知らせは?


    やはり認知症患者の取る行動は良く分からない。

    池袋で降りるとばかり思っていたら、新宿駅で降りてしまった。

    認知症の母が2回目の家出~急いで新宿に引き返す

    急いで新大久保駅で降りて新宿駅行の電車に乗った。

    同じ場所に降り立っても影も形もない。

     

    やられたと思った。

    周りは人の波・・・

    辺りを見渡しても全然見つからない。

     

    しばらく捜したがまったく分からない。

    仕方がない。一旦、家に戻ろう。

    こんなに人が多いのでは見つけようがない。

     

    どうせ、どこかで誰かに見つかり家に連絡が来るだろうと思った。

    今回は警察にも届けなかった。

    駅にも連絡しなかった。

     

    警察署に行き、前回の様に詳細に姿、形、年齢、いなくなった時の服装、家出までの事情などもう話していられない。

     

    駅に届け出ても同じ事だろう。

    話している内に誰かに見咎められ、発見されるはずだ。

     

    きっとどこかで誰かに保護され、家に連絡が来るだろうと高を括っていた。

    朝飯も食いそこなった。

    くそ忌々しい。

    家に戻ると・・・

    腹を立てながら家に戻ると、案の定、「新宿の鉄道警察隊から今電話があった」と妻が言う。

    家出から2時間も経っていない。

     

    仕方がない。

    迎えに行くしかあるまい。

    朝飯は抜きか?

     

    新宿の鉄道警察隊の事務所に行くと、母が座っていた。

    私を見ても何も言わない。

    こちらも声をかけない。

     

    鉄道警察隊の職員に礼を言っていると別室に招かれた。

    50代半ばぐらいの隊員だったかな?

     

    やはり白いゴムシューズを履いてうろうろしているのを誰かが不審に思って駅員に連絡したらしい。

     

    「私にも同じような母がいます。腹が立つこともあるでしょうが勘弁してあげてください。」などと諭される。

     

    しばらく話を聞いていると、どうやら又、母は適当に作り話をしていたみたいだ。

    認知症の患者でも他人に自分のことを話すときは、涙ながらに語るらしい。

    隊員が言うには「自分は我儘で家族に迷惑をかけている。北本に帰り、一人で暮らす。早くあの世に行きたい。」などと言っていたらしい。

     

    迷惑をかけていることは間違いないが、口で言うほどしおらしい女ではない。

    前回の家出の時と同じパターンだ!

     

    隊員は母に同情し、俺に何か言わなければならないと思ったらしい。

    まるで、又俺が虐待でもしている様なものの言い方だ。

     

    俺だけ我慢しなければいけないらしい。

    他人には母の正体が見えていない。

    鉄道警察隊員に事情を話す気力も起きて来ない

    あの近所の○○からの電話の時と同じ様に「はい、はい」と繰り返し答える。

    この人を説得しても何も問題は解決しない。

     

    話すだけ時間の無駄だ。

    どう話した所で分かるまい。

     

    丁重に礼だけ言って、母を連れて我家のある駅に向かう。

    途中で母の言動に思わず、ぶん殴ってやろうかと思った程、腹が立った。

    辺りに人の目がなかったら、本当に殴り倒して踏みつけていたかと思う。

     

    新宿駅で山手線に乗る前に「どこで間違えたんだ?」と聞くと「間違えたんじゃない。分からなくなっただけだ!次にはもっと研究してから出て行ってやる。」と答えやがった。

     

    言うに事欠いて、「もっと研究してから出てやる」との言葉に心底腹が立った。

    それを如何にも悔しそうに憎々しげに言う。

     

    まったく可愛げのない女だ!

    鉄道警察隊員の前でのしおらしい態度とは真逆の有様だ!

     

    自分が悪いなどとは露ほども思っていない。

    これが家族に迷惑をかけていると自覚して言う女の言葉か?

    「今回は研究不足だった」との言い草だ!

     

    ここまで負けん気が強いと、まあいささか異常だなぁ・・・。

    駅を降りると途中で私だけ先に家に帰った。

    母は歩くのがのろいので「先に行っていい!」と叩きつける様に言う。

     

    言われなくても先に行く。

    一体、こんなバカな事を何回繰り返せば気が済むんだ。

     

    家に戻り、朝昼兼用の食事を済ませる。

    腹が立っていたのも薄れ、半ばもう呆れ果てていた。

    勝手に交番に行けよ!

    午後になると今度は「交番に私の事を通報する」と言い出した。

    「勝手にどうぞ!」と送り出す。

     

    暫くすると家に戻って来た。

    1時間半ぐらいは経っていたかな。

     

    交番で相手にされなかったのだろう。

    家に戻って来て、又泣いている。

     

    自分の名前も言えなかったらしい。

    言い出せなかったのだろう?

    恥ずかしくて…

     

    新宿駅で保護された時、住所や電話番号は言えたのかな?

    不思議だ!

     

    東京でもディサービスに行ける手続きを済ませていた。

    靴や服などに名前を書き始めていたから、そこから判明したのかな?

     

    しかし、名前だけでは住所や電話番号は分からないはずだ。

    保護されたときは覚えていて言えたのかなぁ?

     

    どうやら何か住所や電話番号が分かる様な物を持ち出して家出したらしい。

    そうでなければ、あんなに速く家に連絡は来なかったはずだ。

     

    どうも良く分からない。

    こちらも調べもしないし、又聞きもしない。

     

    何度、家出しても同じ事になるだろう。

    その内、落ち着くのを待つしかあるまい。

     

    今は好きにさせとくしかない。

    今に目覚めるだろう。

     

    母の事だけ考えているとこちらの頭がおかしくなってくる。

    「この先どうなるのだろう?」とあまり真剣に思っていると、昼間から精神安定剤でも飲まないと不安に駆られて、又夜に眠れなくなる。

     

    母の事は脇に置いといて、まず再就職先を探さなければならない。

    昼間、母と二人きりになると気が滅入ってくる。

    妻や子供がいるだけで救われる。

     

    しかし、認知症患者で頻繁に徘徊する場合は家族も大変だろうなぁ。

    枕を高くして眠れまい。

     

    鉄道事故でも起こせば家族は介護の注意義務違反を指摘され、鉄道遅延の損害賠償請求訴訟を起こされる危険性さえある。

     

    実際、そんな裁判が起こされた事例があったなぁ。

     

    最高裁もそこまでバカな判決は下さないだろうと思っていたが、一般人には訴訟を起こされただけで大変な負担を強いられるだろう。

    在宅看護の限界を感じる

    弁護士を頼むだけでもお金がかかる。

    ただでさえ、大変なのに判決が出るまでの間、心労が重なるだろうなと思う。

     

    24時間眠らずに認知症患者の行動など見張ってはいられまい。

    在宅看護の限界の一つだなぁ!と感じる。

     

    我家でも放っておけば、やはり危ないのかな?

    ではどうすれば良いのだろう?

     

    妙案は浮かばなかった。

    なったら、なった時に考えようと思っていた。

     

    今から取り越し苦労をしても何も始まらない。

    身が持たない。

     

    ただ、あまり放任しておく訳にもいかないな。

    かと言って何ができただろう?

     

    交番にまで付き添ってやるか?。

    この人が、この母が私の事を「泥棒!泥棒!」と呼んでいますと…自己申告してやれば気が済むかな?

     

    あー、もうアホらしくてやってられない・・・

    母のことは、もう考えたくない、放棄したいという気持ちになっていた。

    勘弁してほしい。どこまで人を振り回せば気が済むのか!?

    底が知れない。

  • 認知症の母!又、又、やってくれました!2回目の家出とその結果は?

    認知症の母!又、又、やってくれました!2回目の家出とその結果は?

    最初の家出から10日目に又、母が家出をした。
    日曜日の朝だった。日記を読み返して見ると平成22年(2010年)12月5日だった。
    晴れてはいたが、結構寒い朝だった様に記憶している。

    認知症の母!又、又、やってくれました!2回目の家出

    又、埼玉に一人で帰ると言うので玄関先で私と揉めた。
    私は、母が玄関の扉を開けようとするのを力づけで止めた。

     

    しかし、百姓で鍛え上げて来た母の力は並み大抵の力ではなかった。
    とても88歳の老婆とは思えないほどの力で逆らってきた。

     

    扉を開けようとするのを私が辞めさせ様と力を籠めると、そのまま二人一緒に玄関先のフローリングの上に倒れこんでしまった。

     

    思わず母に怪我をさせてしまったかと思うほど強く倒れこんだ。
    幸いにも怪我はしなかったが、勢いよく立ち上がると母は叫んだ。

     

    「こんちくしょうめ!人をこんな誰一人知らない所へ、見ず知らずの土地へ連れてきやがって!」

     

    「こんちくしょうめ!こんなところに居られるか!田舎に帰るんだ!こんちくしょうめ!」と泣きながら、喚き散らし怒鳴り始めた。

     

    目は吊り上がり、尋常でない眼で私を睨み返してくる。
    気がふれたかと思うほど、地団駄踏んで悔しがっている。

     

    「こんちくしょうめ!こんちくしょうめ!」と泣き喚き散らしながら玄関の土間をどんどんと踏みつけている。

     

    もうまともな状態ではない。
    何を言っても無駄だと分かったので、私も止めるのを辞めた。

     

    「好きにしなよ」と母に言って、私は目を背けた。
    もう完全に狂っていると思った。

     

    昨日も、一昨日も近所の家に遊びに行っている。
    世間話をして帰って来ていた。
    まず、誰一人知り合いがいない場所なんかではない。

    2回目の家出とその結果は?~我が家が他人の家に見えたのか?

    母には建て替えをした我が家が見ず知らずの土地の上に建っている家に見えたのかな?
    今も良く分からない。認知症になった人の頭の中までは分からない。

     

    そのまま、母は玄関の扉を蹴飛ばすように出て行った。
    妻が心配そうに見ている。

     

    私は妻に「どうせ一人では帰れないよ。跡をつけて、どこかで迷った所で、連れて帰って来るよ。
    今はもう止めても無理だと思う。」と告げて跡をそっとつけて行った。

     

    母は相変わらず白いゴムシューズを履いて、うつむき加減でよたよたと歩いてゆく。
    上着こそ暖かそうな物を着ているが履物がいかにも不自然だ。

     

    歩きやすい様に、いつもの白いゴムシューズだ!
    一目見て、外出用の靴ではないことが分かる。

     

    気づかれないようにそっと跡をつけて行ったが、母は振り返ることもなく、どんどん駅まで歩いてゆく。

    最初の関門~駅で切符が買えるのか?

    切符は買えたみたいで、そのまま構内に入ってゆく。
    私は気づかれないように後をつけ、やがてやって来た山手線の電車の同じ車両で、ずっと離れた所に座った。

     

    遠くで母の様子を見ていたが、前をじっと見つめて周りを見ることもない。
    玄関先では何かに憑りつかれたような目つきをしていたな。
    やはり、尋常ではない性格だ!

     

    埼玉の田舎に帰るには池袋で乗り換えねばならない。
    渋谷辺りから人がどんどん乗り込んできて、人波で母の姿が見えなくなった。

     

    でも、安心していた。
    池袋で降りるだろうから、離れて跡をつければいい。
    どうせどこかで行先が分からなくなるだろうから、その時声をかけようと思っていた。

     

    新宿駅で人がドッと降りて、またどんどん乗り込んできた。嫌な予感がしたので、母の座っていた方へ近づいて行った。

     

    案の定いない。
    電車の扉はもう閉まりかけていた。

     

    人波で、押し分けて降りようにも降りられない。
    見失った。

     

    又、又やりでかしてくれました。
    新宿で降りても埼玉の田舎には戻れない。

     

    見事に煙にまかれたか? いや、そうではあるまい。
    やっぱり、母は間違えたんだ。
    乗り換える駅を・・・あーあー・・・参った!参った!・・・

  • 母が家出・第1回目!認知症は本当に厄介な病気だ!その家出先は?

    母が家出・第1回目!認知症は本当に厄介な病気だ!その家出先は?

    認知症を発症した母には東京に戻ってから半年以上悩まさせられた。

    散々、振り回され翻弄させられた。

    世の中には同様な目に合っている人が多いのではないかと思う。

    母が家出・第1回目!

    まぁ、他にもっと深刻な病気を抱えて生きている人ははるかに多いのだから、あまり愚痴ってばかりも言っていられないのだが・・・とにかく手がかかる。

     

    まず、当の本人に狂っているという自覚がないのだから・・・手がつけられない。

     

    我家では、当初、町会長さんや町内の見守り隊の人々に協力してもらった。
    朝晩、心配して見回りにも来て頂いた。

     

    しかし、当の母はそんなことなど全く関係がない、自分が人に迷惑をかけているなどという自覚は全く感じられなかった。

     

    何を考えているのか、トンとつかめない。
    何のためにあの人たちは家に来るのだろう?
    そのぐらいにしか考えていなかったと思う。

     

    人が自分のためにどれだけ動き回っているのか、など全然理解していなかった。
    住民票を移したり、新たに介護・福祉申請をするために区役所に行ったりした。
    地域振興センターには何度も電話した。

     

    東松山の精神病院からの紹介状を持って、近所のクリニックに連れて行ったり、我家が行きつけの眼科にも紹介状を持って連れて行ったりした。

     

    ディサービスはどこの施設がいいか、近所の知り合いに聞いたり・・・
    どれだけ苦労させられているか、まるで馬耳東風という感じ・・・。

     

     

    認知症は本当に厄介な病気だ!

     

    まず、本人に狂っているという自覚が全くない。時計の針も読めない。

     

    何月何日かも分からない。
    何時何分か、分からない。

     

    しかし、夜になると「あんとき、逝っちまえばよかった」と嘆く。
    繰り返し繰り返し嘆く。よく泣く。相当女々しい。

     

    軽い熱中症ぐらいで死ねるなら誰も苦労しない。
    二言目にはこの言葉が出る。

     

    「あんとき、逝っちまえばよかった」と・・・耳にタコができる。
    埼玉に居たときからそうだった。

     

    正直、尽くしてやった甲斐が薄れる。
    そんなに生きるのが嫌なら、自殺でもすればいいのに・・・と幾度も思った。

     

    その度胸も覚悟もない奴に限って「早く逝っちまいたい」などと口にする。
    そんな奴に同情する気はまったく起きて来ない。

     

    世の中には、生きたくても生きられない人が多くいる。
    予期せぬ事故や病気で無念さのうちに、亡くなってしまう人の事を思えば軽々しく口に出してはいけない愚痴の数々だ。

     

    人間、生きている内は天寿を全うすべきなんだ。
    その覚悟をすべきなのだ!

     

    我と我が身を振り返って、晩年は本当に賢く生きたのか?・・・
    と母に問いただしてやりたかった。

    軽々しい言葉ばかり発して恥ずかしくないのか?

     

    しかし、今は何を言っても通じない。
    適当に相槌を打ち、適当にあしらうだけしかない。

     

    誰だって嫌でも死んでゆくんだ。
    普通は歳の順だ。
    焦ることなどないのだ。

     

    母の繰り返す愚痴にはほとほと嫌気がさしていた。
    なぜ、もっと堂々と生きられないのか。

     

    その家出先は?

    昼間、反抗的な態度で突っかかって来るのに夜になると一転して泣く。
    感情の起伏が激しく持て余す。

     

    東京に戻り、何日かして最初の家出があった。
    昼間、急に姿が見えなくなった。

     

    町会長さんや見守り隊の人にも協力してもらい捜しまわった。
    しかし、どこへ消えたのか夕方になっても皆目分からない。
     

    どこそこで見かけたという人も現れない。

     

    警察署に届けを出し、各方面に電話をしている時に1本の電話が鳴った。
    近所に住む○○からだった。

     

    今、母が○○宅に居るという。
    そして、○○はしみじみと言う。

     

    「どうか、お母さんを大事にして上げて下さい。もう年寄りなのだから・・・どうか、労わってあげてください。私からくれぐれもお願いします」と・・・

     

    冗談じゃない!
    人がどれだけ心配して捜しまわったと思っているんだ!
    お前みたいな奴に何がわかるんだ!

     

    まるで、この俺が母親を虐待しているとでも言わんばかりのものの言い様だ。
    この3か月間、俺がどれだけ我慢に我慢を重ねて接して来たか、知っているのか!

     

    「このくそ婆あ奴が!」と・・・口にしたいところをグッとこらえる。

     

    怒鳴りつけたい気持ちを必死にこらえ、「はい、はい」と黙って聞く。
    もう余計なことは言わない。

     

    言っても、「この婆あ」には通じない。話すだけ時間の無駄だ。
    この女も人の言うことには耳を貸さない。

     

    この女は子供が二人いるのにどちらとも同居していない。
    誰もが持てあますからだ。

     

    ただ、頷づいて「はい、はい」とだけ答える。
    こんなばか女と話を長引かせたくない。

     

    電話器を置く。怒りがこみ上げて来る

     

    もっと早く電話をしてくればいいものを・・・暗くなってから、電話をしてくる。
    しかも自分からじゃない。

     

    どんな作り話をして人の同情を引こうとしたのか?
    認知症の患者でも、まだら模様に正気に戻って作り話をする時がある。

     

    この○○という女はT生命の保険外交員だった女だ。
    亭主は大工だった。
    随分と高い手間賃だけは取っていった。
    不動産の仕事に就いて、それが良く分かった。

     

    バカバカしい程の家の修理代を我が家は払っていた。
    そんな奴らを母は相手にしていた。
    この女はバブルが弾けて会社が潰れる前に自分の分だけ、さっさと保険の解約をして逃げ出した奴だ。
    近所では口も聞かなくなった人が何人もいる。

     

    私の入っていた生命保険も外資に吸収合併されて二束三文になった。
    当然、私だって快く思っていない。
    よりよって、こんな女のところへ家出するとは・・・呆れて言葉が出ない。

     

    情けない。
    怒りを通り越して情けなくなってくる。
    迎えには家内と息子に行ってもらった。自分から迎えに行く気には到底なれなかった。

     

    これが1回目の家出!

    一緒に捜してもらった人たちに連絡を入れ、見つかった旨を伝える。
    やれやれとは思ったが、この先が思いやられる。

     

    皆、口々に「見つかって良かった」「無事で良かった」と言ってくれた。
    私はお礼を言いながら、「これで済む訳はないな。そんな殊勝な女じゃない。」と感じていた。

     

    母は妻と息子には謝っていたが、私には決して謝らなかった。
    生来の性分が分かるというものだ。

     

    家出までにはいかなかったが、何日か前には朝、突然身支度して家を出て行こうとした。
    「どこへ行くんだ?」と聞けば田舎に帰るという。
    「一人で帰れる訳がないだろう。どこで乗り換えるんだ!! 分かるのか?帰り道が分かるのか?」と聞けば、人に聞けば分かると言い張る。

     

    言い争っているうちに家を出て行った。
    仕方なく跡を付ける。

     

    案の定、駅に来て切符の買い方も分からない。
    路線図を眺めながら、自分の帰る駅を探している。
    しかし、母には分からない。でも諦めない。

     

    口答えだけは一人前だ。
    なだめてもダメで、私は怒って力づくで家に連れ戻した。
    昨夜、いくばくかの金を渡したのが失敗だった。

     

    朝、又、泣いていたのを私は無視していた。
    毎度のことだから・・・ほとんど一日おきに泣く。

     

    そう言えば、朝からおかしな事を言っていた。
    「箱に入れていた10銭玉が無くなった。埼玉の田舎に行って捜してくる」と・・・
    私は本気で聞いてはいなかった。

     

    母の頭の中では10銭玉がまだ世の中で使えると思っているらしい。
    とても一筋縄ではいかない。
    しかし、狂った頭でも脱走する。

     

    やはり散歩ではなかったな・・・この頃の母は・・・。徘徊に近い。

     

    いつも白いゴムシューズの靴なので、とても外出用の靴ではない。
    そこらを徘徊していれば、誰かに見咎められる、不審がられても不思議はないのに、そんな時に限って誰にも発見されずに姿を消す。

    家出後の処理・対策

    家出の後、親戚の家に電話をかけたり、兄の所へ電話をかけたり、事情を話し我が家に来て、母の話し相手になってほしい旨を伝える。

     

    この頃、珍しく妻がイライラしていた。無理もない。疲れたのだろう。
    終わりが見えない。介護には・・・

     

    私に甲斐性がないために妻に負担がかかっている。
    フルタイムで働いて帰って来て、又家事の支度では疲れも溜まってくる。
    「済まない」という思いが頭をよぎる。
    しかし、今は妻にフルタイムで働いてもらわないと子供を大学まで行かせられない。

     

    心の中で「甲斐性なしで御免・・・」と謝る。
    母の事で私は妻に愚痴ってばかりいる。

     

    私が妻に代わって家事全般をすれば済む事なのだが、それが私にはできない。
    妻にばかり負担がのしかかっている。

     

    母は相変わらず泣いてばかりいる。
    「もう何もかもイヤになった。早く、逝っちまいたい。」と・・・
    呪文の様に母は唱えている。

     

    「気持ちが悪い。」と言っては夕飯を抜く。
    「膝が痛い。」「胸が痛い。」と言っては騒ぎ、横になる。

     

    「早く、逝っちまいたいなら、それぐらい我慢しろよ。」言いたいのをグッとこらえる。
    翌日には医者に連れて行く。

     

    検査の結果は大してどこも悪くない。腎機能が少し劣っているぐらいだ。
    「月に一度はその注射をしましょう。」
    その程度で終わってしまう。

     

    徘徊したり、家出する元気があるのだから当然と言えば当然だ。
    ディサービスなどではなく本気で特別養護老人ホームへ入れることも考えていた。
    ケアマネージャーに聞けば100人待ちの状態と言う。

     

    かといって我が家には母を民間の介護付き老人ホームに入れられる程、金銭的に余裕はない。
    取り寄せたパンフレットを眺めながらため息をつく。

     

    貧乏人には在宅看護しか残された道はない。
    一部の金持ちしか、いい所の老人ホームには入所できない。

     

    不合理さを嘆いても始まらない。
    世の中はそう出来上がっているのだから。

     

    突然、父の墓参りに行きたいと母が言い出した。
    東京に戻った当初は、まだ頭がおかしい時の絶好調であったため、仏壇を買いに行くのも一苦労だったのに・・・。

     

    どうやら、時には正気に戻ることが有るみたいだ。
    しかし、私は極度の不眠症で疲れが全く取れない状態だったので、「悪いが、兄に連れて行ってもらってくれ。」と断った。

     

    私の体の状態は決して良くはなかった。
    母の願いを受け止めるほどの心の余裕も体力もなかった。

     

    こんな状態のまま私は職探しを続けていたのだから、相当無理があった。
    私の頭ではまだこの時、認知症の母をどう受け止めていいのか、まだ心の整理ができていなかった。

     

    油断もしていた。隣近所へ行き、世間話をして帰って来ていたから・・・。

     

    そこへ第1回目の家出

    やっぱりやってくれましたね!・・・と言う感じしか受けなかった。

    この母は・・・!!これだけで終わるまいと薄々感じていた。

  • 認知症の母だけにかまっていられない!私の再就職先はどこに?

    認知症の母は少し落ち着て来た様に見える。
    ディサービスも週1回だけだが行ける様に契約を済ませた。
    近所に散歩に出かける様にもなった。

    これで、少しは順調にゆくかなと淡い期待を抱かせてくれた。
    まもなく、そんな想いは吹き飛ばされることになるのだが・・・ 

    認知症の母だけにかまっていられない!私の再就職先はどこに?

    当時の私は再就職先を見つけるに必死だった。とにかく子供を大学に行かせるために学費を稼がねばならない。

    認知症の母だけにかまっている暇はない。

     

    最終的には50社ぐらいに履歴書を送り、面接までいったのは2社だけだった。

    世の中は私が思っていたより、キャリアや実力を評価してもらえなかった。年齢だけで、まず撥ねられる。

     

    そんな事実を突きつけられて、初めて気がついた。私はただ自惚れていただけだった。
    真の実力など身に付いていなかったのだ。

     

    真に実力があればリストラもされなかっただろうし、されても再就職先ぐらいすぐに見つかったはずだ。
    こんな単純な事に気づくのに私は60年もかかってしまった。

     

    バカも極まれりだ!
    母のことを笑えない。

     

    ヘッドハンティングされる実力も人脈も形成できていなかった。
    ただ、私はリストラなんかに打ちのめされているほど柔ではない。
    しかし、やはり精神的に不安定になるときがあった。

     

    謙虚にならねばならないと思った。
    認知症になった母をできるだけ介護し、妻だけに負担がかからないようにしなければならない。

     

    だが、結局、母も私も似た者同士なのだ。
    互いに気が強く、頑固で強情者で、衝突が起きるのは仕方がないことなのだ。

     

    兄の言動に呆れる

    そして、兄も歳相応に大人になりきれていない人間だった。

    すぐ、カッとなって人を怒鳴りつけることしか能がない。
    自分の感情を抑えられない、幼稚な大人だった。

     

    とても実母の介護などできない。任せられない。
    一度、母がこんな事になる前に母と兄と私の3人で話し合った事があった。

     

    その時、兄は母に面と向かっていきなり「俺はてめえの面倒なんか一切見ねえからな!」とのっけから怒鳴ったことがあった。
    さすがに私も黙っている訳にはいかず「兄貴、そういう言い方はないだろう?」「兄弟でお母さんのことを考えるのは当然のことだろう。」と諭したことがあった。

     

    どうして、兄はこの様な言い方しか出来ないのだろうか?
    兄もこの時はすぐに黙ったが、母に謝りもしなかった。

     

    母も悪い。何も言い返さない。
    その様に育ててしまった。

     

    兄嫁の母を引き取って暮らしていたとはいえ、面倒はほとんど兄嫁が見ていたようだ。
    兄は人の世話など出来る人間ではない。

     

    優越感がコンプレックスの裏返しの人間なのだ。
    私には、その原因も分かっている。

     

    口に出して言わないだけだ。
    傷つくのが分かっているし、実の兄なのに哀れな奴だなと感じる時がある。

     

    仕事で人を育てられない。
    管理職としては致命的欠陥があり、組織には向いていない。

     

    ただ強がっているだけで、本当に強い者には歯が立たない。 その知恵も力もない。

     

    戦い方を知らない。 大人の戦い方ができない。
    自分でもそれが分かっているから、殊更に強がる。
    要するに幼稚なのだ!

     

    血は争えない。
    亡くなった父もそういう所がちょっとあったなぁ・・。
    強がっていた。

     

    弱さを家族に見せなかった。 それが致命的で短命に終わった。

     

    67歳で亡くなってしまった。 しかも、晩年の12~13年間は病院通いばっかりだった。

     

    ただ、違っていたのは私たちより遥かに働き者で、人に頼られる存在だった。
    私は亡くなった父の歳をすでに超えた。
    負けない様に頑張らねばならないと思う。

     

    しかし、兄嫁は言っていた。 嘆いていたなぁ・・・
    兄の下に付いた人はすぐ仕事を辞めていってしまうと・・・

     

    すぐ怒鳴り付けるためだ。 人に寛容でない。 
    どうして、この男はこんな言い方しか出来ないのだろうか? 
    精神的に片輪だなぁ~・・・と思うことがよくある。

     

    言葉に棘がある。 殊更に事を荒立てる。

     

    孫も時として怒鳴り付けるみたいだ。 
    訳の分からないことで・・・だから、孫は兄の家に泊まってはいかないらしい。

     

    隣近所のおばさん連中にさえ嫌われているみたいだ。
    兄嫁がこぼしていた。
    「悪いけどお宅のご主人、私大嫌い!」と隣の人に面と向かって言われたらしい。

     

    兄嫁も相当ショックだっただろうなと思う。
    普通は思っていても口には出さないものだが、よほど嫌われているらしい。

     

    歳をとって、そんな性格が顕著に現れて来ている。
    やがて自分が歳を取れば、人を怒鳴り付ける力さえ無くなることに気づいていない。

     

    今時稀な珍しい人間だなと思う。
    もう少し、大人になっていい歳なのに・・・

     

    当然、私ともあまり気が合わないし、付き合いもあまりない。
    私が会いたいと思える人間ではないのだ。

     

    実の弟がそう思うぐらいなのだから、他人の目から見たらもっと厳しく批判的にみられていると思う。

     

    決して悪い人間ではないのだが・・・損をしているなぁと感じる。
    どうしてもっと素直になれないのだろう?

     

     

    血は争えない:同族なのだ

    母もそうだ! まったく素直でない。 血は争えない。

     

    しかし、兄は自分の性格が片輪だと、気づいていないのだろうか?
    母が亡くなれば付き合いが途絶えてしまう気がする。

     

    自分もやはり時として本性が出てしまう。
    もっと歳相応の人間にならなければいけないという自覚はしているが・・・

     

    やはり、血は争えない。 兄ほどではないにしても・・・

     

    肝心なところで我儘であるし、我が強い所は一生直らないだろうなぁ~!
    ただ、人前でそんな感情を表に現わさないという自覚、努力だけはしている積りだが・・・

     

    もう歳なので、最近少しマシになって来たかなという感じはしているが・・・
    他人からどう見られているか、あまり自信はないなぁ。

     

    とにかく兄は他山の石だ! 反面教師だな!

     

    私も兄も勉強さえしていればいいという育てられ方をされた。
    父も母も尋常高等小学校しか出ていない。

     

    若くして世の中に出て苦労してきた。
    戦中、戦後の混乱した時代を私にはとても乗り越えられなかったと思う。

     

    父や母は私たちに、あんな辛酸をなめさせたくなかったのだろう。
    その事に私たちは胡坐をかいていた。

     

    勉強が出来ている内はそれでも良かったが、成績が下がり出すと、もう私たち二人には何の取り得もなくなった。

     

    甘ちゃんだった。
    つくづくそう思う。

     

    妻にも、それを指摘される。
    私は10年以上司法試験を受験し、結局ダメで不動産屋になった。

     

    合格しないのも当然だった。
    真剣じゃなかった。
    同期で合格していった連中は皆もっとハングリーだった。

     

    真剣さの度合いが違っていた。
    負けて当然だった。

     

    父や母にこの事では大変な迷惑をかけている。
    謂わば高等遊民だった訳で、今のニートを笑えない。

     

    ただ、自分の子供にだけは迷惑をかけまいと思っている。
    これからでも人に必要とされる人間にならねばならない。

     

    価値を提供できる人間になりたいと思う。
    稼ぐも稼ぐが、それだけで終わりたくない。

     

    何か世の中に貢献できる人間になりたい。
    ならねばならないのだと思う。

     

    ただ、晩年の父や母の二の舞は繰り返すまい。
    長生きしても母のように病気ばかりではあまり意味がない。

     

    老後は決して子供に頼るまい。
    自分の生き、死には自分で決めるべきと決意している。

     

    尊厳死を考えるべき時代が来る

    今はそのために努力する準備期間なのだ・・・と。

     

    高齢者の「尊厳死」を真剣に検討すべき時代になっているのではないか?

     

    これだけ高齢化と核家族化が進み、人口が増えなければ今の制度のままで社会は成り立っていかないはずだ。
    我々、団塊の世代がもっと高齢化したら、世の中一体どうなるんだ!

     

    そこら中、葬式であふれかえる。
    これから儲かるのは葬儀関係の仕事だな。

     

    人口減少、生産労働力の減少、女性の社会的進出を阻むもの、待機児童数の増加、保育園増設も進まない。
    移民政策を進めるしかあるまい。
    大変な時代が到来すると思う。

     

    どうやっても、このままで世の中が成り立ってゆく訳がない。
    年金制度が崩壊するのは目に見えているし・・・
    若い世代ばかりにツケが回る。

     

    もう、やめておこう。
    人の批判や理屈ばかり話していても何にもならない。

     

    不動産屋として独立、開業できないなら私はどかに再就職してもっと稼がねばならないのだ!!
    失われた時間を取り戻さねばならない。
    当然、母の介護だけしている訳にはいかない。 
     

  • とにかく人の噂話が好きだなぁ!もーついてゆけない!バカじゃないの?

    とにかく人の噂話が好きだなぁ!もーついてゆけない!バカじゃないの?

    認知症になった母との共同生活が始まった。子供たち二人を含めて合計5人!!
    妻の苦労は私以上だったと思う。
    朝食を作り、母の昼食の用意までしてフルタイムで働きに行っていた。

    とにかく人の噂話がすきだなぁ!もーついてゆけない!

    認知症の患者は身近に接する人にほど突っかかって来るとは聞いていたが、これほどまでとは想像できなかった。

    私はこの頃の母の姿に完全に失望していた。
    自分と同じ気性の者同士は本能的に嫌い、避けあうものなのだろうか?

     

    ケンカばかりが起きる相手とは付き合っていられないものなぁ~。
    自分が好きになる友人や知人は穏やかな人ばかりだし、口を開けば人の悪口や噂話ばかりするような奴らとは明らかに違う。

     

    とにかく母は人の噂話ばかりしていたし、人に同情しているふりをしてその実、当の相手を自分の下に見ている。

     

    うんざりするほど、人の噂話ばかりをしていた。
    そんな性格が認知症発症と同時に、如実に現れてきた気がした。

     

    60歳を過ぎた頃から、私はカッとなる感情を少しは抑えられるようになっていた。
    でも、この頃の母の姿には嫌悪感すら抱いていた。

     

    私は60歳で定年退職という形を取った。
    しかし、本当は会社の業績悪化でリストラに近い形で退職を余儀なくされたというのが実情だ。

     

    リーマンショクの影響はバブルの再来を思わせた。
    不動産業界をまた直撃した。

     

    当たり前だ。
    形を変えてアメリカにも現れて来ただけの現象なのに…

     

    アメリカの浮かれた景気の良い話を良くみれば賢い人はすぐ気付いていたはずだ。
    低年収の人がそう簡単に高価な不動産など買える訳がない。
    見せかけの景気であることは見抜けたはずだ。

     

    サブプライム問題に警鐘を鳴らしている人は既にいた。
    名前は忘れたが、確かにいた。

     

    誰も過去の経験に学んでいない。
    特に、日本の経営者は罪深いよなぁ~。
    ちょっと会社の業績が良くなるとただただ拡大路線に走る。

     

    地に足が着いていない。
    人も育っていないというのに・・・
    無理を重ねる。

     

    雇われている人も不勉強だ。
    くびになる覚悟も出来ていない。

     

    経営者に面と向かって反論できる人などいない。
    誰も育たない。

     

    唯々諾々と従うだけ・・・
    時代に流されているだけ・・・

     

    その後のアメリカの対応も日本の対応も最悪だ!
    日本の行政は真相にメスを入れない。

     

    入れられない。
    既得権者を駆逐できないし、市場をオープンにできない。

     

    グローバル化に対応できない。
    世界に遅れを取るだけだ。

    バカじゃないの?~人のうわさ話ばかり…

    私もそのダメな人間の中の一人だ。

    そんな思いを抱きながら歯を喰いしばって求職活動をしていた。

     

    そんな時に限って、母は何かをやりでかしてくれる。
    我慢している気持ちを逆なでさせられるような事ばかりする。

     

    今思い出しても腹立たしくなってくる。

     

    当の本人は今ではそんなことはすっかり忘れ、自分がいかにつつましやかに、人に迷惑をかけずにやって来たかの様な顔をしている。

     

    全く忌々しい。
    だが、認知症患者なんて、みんなこんなものなのだろうな?

     

    ただ、急激に悪くなった認知症は、劇的に良くなる時もある。
    母の場合はその実に稀なケースの一つに当てはまった。

     

    認知症発症から9ヵ月目ぐらいからかな。
    当初の荒々しさが影をひそめ、漸くまともな会話が少しはできるようになってきたのは…。

     

    しかし、ディサービスに週3~4回行き出して慣れてくると、また人の噂話が始まった。
    「あの人は少しおかしいんだよ。きのう言ったことも忘れて、また同じことを聞いてくるんだよ」と・・・
    「ほんの数か月前のお前もそうだっただろう」と叩きつけてやりたい言葉や感情をグッとこらえる。

     

    ディサービスの迎えの車に「二人乗っていたが、全然口を利かない。おかしな人ばかりがいる。」と…
    「あんただって相当おかしかったんだよ。」と言ってやりたいのを必死に抑える。

    母と会話が成立しない

    相変わらず母とはあまり会話が成立しない。
    自然と拒否反応が出てしまう。

     

    専ら、母の話し相手は私の妻と子供たち。
    近所の何人かの人たちだけ・・・

     

    介護サービスの人たちも良くしてくれたなぁ~。
    あの人たちは本当に偉いと思う。
    給料を含め待遇面でもっと報われて当然の人たちだと思う。

     

    そのための増税や諸々の負担を我々は受忍すべきだと思う。
    ただ、その前提としては嬉々として甘い汁をすすっている既得権者を一掃すべきだが…。

     

    それをしないから誰も芯から政治を信頼しない。
    ついていかない。

     

    しかし、無関心はダメだなと思う。
    根本的改革をしないとどうしようもない時代になってしまうと直感できる。
    いや、もうなってしまっている。

     

    私はあまりつまらない事に怒らなくなった。
    人のあら捜しをする事や、人のうわさ話に加わることはない。

     

    だから母のする話には興味が持てない。
    拒否する自分がいる。

     

    人の噂話ばかりに相槌など打てない。
    結局は、人の悪口で終わってしまうのだから…もう、うんざり…耳にタコができる。

  • 東京にやっと戻れた!東京の新居での新生活が始まったがその実態は?

    認知症を発症した母を連れて東京に戻ってからも、本当には母から解放された訳ではなかった。連れ戻した結果、これから6か月間は散々母に振り回される羽目になった。

    東京にやっと戻れた!東京の新居での新生活が始まったが…

    この時はまだ、細かい事まで気が回らなかった。

    とにかく早く東京に戻りたかった。

    埼玉の土地を離れたかった。

     

    母の尋常ではない頑固さや強情さには早くから気づいてはいた。

    しかし、認知症を発症したときに、露骨に生来の気性の激しさが現れた。

     

    ただただ、負けん気だけで生きて来た。

    本来的に人を信じてはいない。

     

    実の息子でさえ、朝一で人を泥棒呼ばわりし、人間不信の極みにいたようだ。

    東京に移る、この時でさえ私を本当には信じていなかったと思う。

     

    言い出したら、何と言っても聞かない。その頑固さには呆れさせられた。

    その本性に、東京移転後も半年以上は悩まさせられ、翻弄された。

     

    だが、私の頑固さも、気性の激しさも父と母譲りのものだ。

    「こんなことでこんなクソ女に負けてたまるもんか」と、その時は思っていた。

    しかし、想像以上に母の気性の荒さには呆れさせられた。

     

    この頃の母はもう誰も信じてはいなかった。

    誰を見ても泥棒に見えたのだろう。

    落ち着くまで何ヶ月かかったか?

    東京に強引に連れ戻し、何か月経ってからだろうか?少し落ち着いてきたのは?

    漸く私の妻のいう事を聞き、通帳や印鑑の管理を任せる様になったのは・・・。

     

    不思議なもので私の妻と兄嫁の事だけは信じていた。

    素直に妻の言うことは聞くようになっっていった。

     

    妻は経理事務所に長く勤めていたし、駆け出しの税理士や社労士には負けないぐらい税法の知識があった。

     

    家計のことは安心して任せられた。

    そのことはさすがの母も段々思い出してきたようだった。

     

    しかし、東京に連れ戻した頃は、まだ十円玉、百円玉、千円札の数え方を思い出せず、毎晩通帳や印鑑を隠すのに必死に動き回っていた。

     

    それを見ていると、本当に浅ましいと感じた。

    「この女の正体は一体何なんだ!?」実母を見て、つくづくそう思わされた。

     

    育ててもらった恩義や感謝の念は、この頃もう吹き飛んでいた。

    母に優しく接しようとするのだが、ことごとく逆らってくる。

     

    普段、私も我慢はしているのだが、時としてあまりの小生意気さに思わず、声を荒げてしまう。

     

    以前に、ほっぺたをひねり上げてしまったのは失敗だったが、全く一睡もできず、疲れ切っていた私に到底我慢ができる出来事ではなかった。

     

    根性の悪さはこれが今までの母と同一人物とは到底思えなかった。

    いや、これが母の本当の姿なのか?

    母の本性は性悪なのか?

    良く分からない。

    認知症になった人の気持ちは今でも分からない。思い出したくもない。

     

    分かっているのはただ一つ!

    東京でも、妻や家族、「町会長さん」や「町内の見守り隊」、「隣近所の人たち」や「行政や公的な介護サービス」がなかったら、とてもこの母の面倒は一人で見きれなかっただろうという一点だけだ。

     

    ある程度、行政や公的サービスを知っている積りだったが、こんなに急に認知症が発症したのでは到底、生半可な知識では迅速に対応など出来なかった。

     

    東京でも右往左往しながら、行政や公的サービスを誰彼構わず質問し、有益な情報を集め、結局は人の力を借りることで救われた。

     

    しかし、埼玉の時ほど大変ではなかった。

     

    妻や子供たちがいたので安心して家を空けられたし、介護、福祉関係の申請も埼玉で一度、行っていたから手順は覚えていたし、余裕をもって楽に出来た。

     

    でも、やはり自分一人では到底、こんな気違いのようになった母を支え切れなかったと確信している。

    家族の協力、近隣の人達、ケアマネジャー、その他公的なサービス、色々な人々に助けられて何とか乗り切れた。
    ホントに必死だった。

    まとめ~新生活が始まったがその実態は?

    この狂った母にどう接していいか、分からなくなる時が多々あった。
    周りの支援がなかったら、多分、私は母に暴力をふるっていたかも…。

     

    そのぐらい激しく抵抗してきた。
    何度、殴り飛ばしてやろうかと思ったことか!・・・数えきれない!

     

    その衝動を抑えるに必死だった。
    生半可な認知証に関する知識だけではとても抑え切れなかった。

     

    周りに助けてくれる人がいて、私の感情が爆発しないで済んだ。
    これだけは確かな事だった。

     

    可愛げのない女!
    クソ女!…何度、心の中で罵ったか!…実の母親なのに…
    憎しみばかりが募った。

     

    怒りの感情を抑えきれない。
    爆発しそうになる気持を必死に抑える。

     

    拳を握りしめる。
    歯ぎしりが…畜生!…と。

  • どうなっているんだい!認知症になった母の頭の中身は?発狂したか?

    どうなっているんだい!認知症になった母の頭の中身は?発狂したか?

    認知症になった母の頭の中はもうどうでもいいことばかりに支配されている。
    気に病むことでも、何でもないのに・・・
    何を言っても、もう言うことを聞かない。
    放っておけば、ぶっ倒れるまで動き回っている。

    どうなっているんだい!認知症になった母の頭の中身は?

    単なる認知症かな?・・・ここまで急にすすむのかな?
    一時的にでも発狂したのかな?・・・などと思ってしまう。

     

    明らかに精神を病むでる気がした。
    極度の心配症が出てきている。
    まともな人間なら考えもしないことまでを心配している。

     

    早く、柚子の木を切らないと近所の子が入って来て棘で怪我をする。
    速く燃やしてくれ!
    洪水が起きたら、この家は水没してしまう。
    何とかしないと・・・付き合い切れない。
     

    誰も来やしないって・・・。
    近所の子供なんて・・・

     

    何度、言っても聞き訳がない。
    水没しそうになったら近所の学校へ逃げればいいだろうに・・・

     

    仏壇に線香を上げたい。
    でもライターの火の付け方がまだ分からないという。
    黙って火を付け、母に渡す。

     

    相変わらず、トイレにゆく回数も尋常ではない。
    喉に握り飯を詰まらせ救急車で病院に運ばれてから一層ひどくなった。

     

    一日に飲む麦茶の量が半端ではない。
    放っておくとデカボトル2本ぐらい飲んでしまう。

     

    幾ら言っても止む気配はない。
    又、救急車で運ばれるのが怖いのだろうが、極度の心配症だ。
    手がつけられない。

     

    喉に何かが詰まるのが心配なのだ。
    ちょっと何か食べただけでも呆れるほど麦茶を飲む。


    発狂したか?

    幻覚と幻聴も治まる気配がない。
    相変わらず誰も来ていないのに、亡くなった父が来たと言う。

     

    来るはずのない兄が来た。
    お前と今一緒にそこで横になって寝ていた。
    同じことを何度も言う。

     

    歌が聞こえる。
    誰が歌っているんだろう?・・・と。

     

    知るか!・・・そんなこと・・・
    見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる。
    レビー小体型認知症の典型だな・・・

     

    一生治らないのかな?
    時には不安に駆られた。

    東京の新居が完成真近

    11月に入ると、我が家の新居もいよいよ完成真近になって来た。
    母を一人にして置けないので、東京に連れ帰ることに決めた。
    妻や子供の同意も得た。

     

    新居の引き渡しが終わるのを待って母を迎えに行く。
    まだ渋る母親を説得し、強引に車に乗せる。

     

    有無を言わさず連れ帰ることにした。
    とにかく必要な物だけ持って一旦私の家に戻る。

     

    認知症の人を見知らぬ土地に転居させる事は、時として症状を悪化させることが有ることは百も承知していた。

     

    しかし、兄と私を育てるのに40年以上も居た場所だ。
    顔見知りもいる。仲の良かった人もまだ存命だ。

     

    父が糖尿病から心筋梗塞を患い、離職して埼玉のこの土地に移る前に住んでいた所だ。
    全く見知らぬ土地に移るのとは事情が違う。

     

    この田舎に移って来た年月以上に元々住んでいた土地だ。
    母をこのまま田舎に置いて行っても、一人ではもう何も出来なくなっている。
    東京から何度も、このド田舎に来て面倒みていられるか!
    バカバカしい。とんでもない話だ!

     

    食事は作れない。
    一人では満足に風呂にも入れない。

     

    掃除も洗濯も出来ない。
    クーラーのフィルター清掃など到底無理だ。

     

    着替えすら満足に出来ない。
    季節の衣替えなど全く不可能だ!

     

    ショック療法で認知症を治すしかないと思った。
    私が、母の実家に入るなどという選択肢は全然考えもしなかった。
    第一働く場所が見つからない。
    田舎の付き合いは、隣近所の付き合いも親戚付き合いも殊更に面倒臭い。

     

    何の刺激もない。
    夜は真っ暗闇のド田舎だ!!

     

    冗談じゃない。
    俺の人生はまだ終わっていない。

     

    こんなド田舎でくすぶっていられるか!
    母の介護だけで人生を終われるか!
    こんな場所からは、さっさと離れるに限る。

     

    隣近所への挨拶を済ませ、粗品を渡して各家を出る。
    母を力づくで車に乗せ、ハンドルを握る。

     

    やっと、この忌まわしい土地から離れられる。
    もう、これで何度もこの家に来なくて済む。

     

    心底、ホッとしていた。
    でも、実際は私の考えがまだ甘かった。
    東京に戻って来ても、母に散々振り回される羽目になった。

  • 認知症の母から東京の我が家へバカな電話が入る!その中身とは?

    認知症の母から東京の我が家へバカな電話が入る!その中身とは?

    3週間目に入ると、やっと介護保険の認定が下りた。
    介護度はなんと「1」!?
    しかし、こんな状態で「1」か!?・・・とやや不満は感じたが・・・
    これで公的な支援が受けられる。
    やっと、ディサービスに週2~3回は行けるようになった。

    認知症の母から東京の我が家へバカな電話が入る!その中身とは?

    朝、迎えにきてくれる職員には感謝の言葉が自然と出る。
    本当に助かる。
    心から「ありがとうございます」と・・・。素直に言える。

     

    強制退院させられた病院に、もう頭を下げなくて済む。
    それだけでも大部精神的に大分楽になった。

     

    ショートステイも受け入れて貰い、安心して東京に帰れる様になった。
    しかし、相変わらず母のおかしな言動、幻聴、幻覚は止む気配がない。

     

    失業中の身であるので時々東京に戻り、碌な求人はないのだが、ハローワークにも通い、これはと思うところに履歴書を送る。

     

    ほとんどは面接までいかない。
    通り一遍の挨拶文で断りの文書が送られてくるだけである。
    いわゆる「お祈り文書」だ!
    口惜しさが募る。

     

    履歴書さえ送り返さない所が多い。
    写真代だってバカにならない。

    駄目ならダメで使い廻したいぐらいだ。
    腹立たしさを抑え、一社ごとに自己PR文を添えて送る。

     

    そんな状況の時、決まって電話が鳴る。
    電話に出ると、また母からだった。

     

    その話の中身は、大体次の様な内容だ。
    「○○君 ずいぶんとあんたはひどいことをしてくれたね。」
    「農協の通帳から全部見つけたよ」

     

    「あ、そう。それはよかったね。」
    「よかったね、じゃないよ。こんなことをするなら、あたしはここを出ていくよ。」
    「あ、そう。好きにしなよ。」

     

    途中で、腹立たしくなり電話を叩っ切る。
    バカバカしくて、とても相手にしていられない。
    どこまで人を泥棒呼ばわりすれば気が済むんだ!?
    東京に戻って来て、必死に仕事を探しているというのに・・・

     

    必要な用事を済ませて、母の実家に戻るとコタツに突っ伏して顔を上げようとしない。
    私の顔をまともに見れないのだ。
    電話をかけてきた後に正気に戻ったのだろう。

     

    この後も何度、訳の分からない電話を我が家にかけてきただろうか?

     

    1人でいると不安になるのだろうか?
    時には、心配で妻と二人で様子を見に行った事が何度もある。

     

    そんな時は決まってコタツに顔を突っ伏している。
    私達が行く頃には正気に戻っているのだ。

     

    妻が慰めの言葉をかける。
    「ごめんよ。ごめんよ。」と母は言う。

     

    顔をコタツに突っ伏して泣きながら謝る。
    私は、「またか!」と憮然として、突っ立っまま見守る。

    ディサービス施設からの電話

    ディサービスは吉見の百穴に近いT園に行っていたのだが、時々、職員から電話がかかってくる。
    「目薬を忘れた」と不安がっていると・・・。

     

    1~2年前に左目を白内障の手術をして以来、目薬を手放せなくなっている。
    「半日ぐらい目薬を付けなくても大丈夫なんだがなぁ~・・・」とため息をつきながらT園に目薬を届けに行く。どこまで人に手をかけさせれば気が済むのか?

     

    夜になると、また「トイレの位置が分からなくなった」と起きてくる。

     

    ベッドに戻ると、シクシク泣いている。
    「どうして、こんな風になっちゃったんだろうか?・・・」と繰り返し愚痴を言っている。

     

    「母さんは頑張りすぎたんだよ。」
    「負けず嫌いで働き者だから、少し休むべきなんだよ。」

     

    「ちゃんと食べて、良く寝て、きちっと運動して病気を直すようにしよう。」と優しく言っても、泣き止まない。途中で諦めて、もう放って置く。

     

    金勘定ができなくなった。
    十円玉、百円玉、千円札が数えられない。

     

    薬をよく失くすようになった。
    目薬も・・・大抵、ベッドの枕もとの下にあるのだが・・・

     

    薬を飲んだことさえ忘れる。
    薬の袋をちゃんと開けられない。

     

    錠剤をどこかに落として分からなくなる。
    朝、昼、晩に飲む薬が分からない。

     

    着替えができない。
    裏、表が逆になっていたりして・・・
    パジャマの上下が分からない。

     

    風呂に入れば、シャワーの切り替えができない。
    鍵を失くす。

     

    ほんの20~30分前の出来事を忘れる。
    時には5分前のことも・・・本当にこれが同じ人間だったのかと我が目を疑う。
    相当おかしい。

     

    「いくらあたしが馬鹿でもそこまでバカじゃない」と時折気色ばむが、相当ボケがきている。

     

    便秘して下剤を飲んで大騒ぎ。
    トイレに間に合わず、下着を汚してしまう。

     

    紙オムツに切り替える。
    母をやっと納得させる。

     

    食べたことも忘れる。
    すぐ前に食べているのに「朝から何も食べていない」と言い出す。

     

    しかし、黙って見ていると碌な物しか食べない。
    食事のバランス、必要な栄養が足りていない。
    嫌いなニンジンなんかは箸もつけない。

     

    子供に戻った状態

    付きっきりで見ていないとダメで子供に戻ったみたいだ。
    そして、どうでもいいような事ばかりを繰り返し心配する。
    突き放せば、夜になると泣き出す。

     

    「着物」や「茶碗」を買ってくれる人はいないか?
    「垣根の木」を切らないと・・・「庭の木蓮の木」も・・・
    「柚子の木を切らないと近所の子供が庭に入って来て棘で怪我をする。」

     

    子供なんか誰も来やしない。

     
    「今、ここでそんな事を急いでやらなくても大丈夫なんだ。
    病気が治ってから、やればいい」といっても耳を貸さない。
    本当に持て余してしまう。

     

    「今はやってる暇がない。他のことで忙しい」と私は適当にあしらう。
    本当に忙しいのだから仕方がない。
    役場へ行かねばならない。食事の世話をいなければならない。
    介護サービスの手配もしなければならない。
    しかし、どう言っても納得しない。

     

    繰り返し、繰り返し何度も同じことを言う。
    うんざりさせられる。
    何とかならないものかと・・・時々思案に暮れる。