ブログ

  • 母の住んでいた土地は取得すべきではなかった! 母の涙の原因の一つは?

    認知症を発症した母がよく泣く原因の一つが今住んでいる土地の件だった。
    どうしようもない叔父と土地の譲渡契約をしてしまった。
    やはり、私がもっと前に出て話をすべきだった。
    司法試験を受験しているのを理由に最後まで話をまとめるのを怠ってしまった。

    土地の特定

    正直言って、この話はもう面倒臭かったのだ。
    そうしたら、よりによって母の生家の裏手の沼地を譲ってよこした。
    父も悪かった。
    譲る土地を特定する時に、「どこでもいい」と叔父に言ってしまったらしい。

    どっちもどっちの話だが、当然父は激怒した。
    母に辛く当たった。
    無理もない。
    叔父がここまでずるい奴とは思わなかったのだろう。

    ここの土地は叔父が自分の妹から借りた50万円の借金のかたに担保に入っていた土地だった。
    いわくつきの土地だった訳だ。
    それに何よりも沼地なのだから、土盛りをするのに相当金がかかる。
    土盛りした直後に、地盤が沈下して来る。
    また、土盛りをする。
    この30年間で何回土盛りをして、何百万円かかったことだろう?

    ずる賢い叔父

    そんな土地を100万円で我が家に譲った訳だから、父からしてみれば、
    いいように自分が騙され、利用されたと怒ったのだと思う。
    今更、どうのこうの言っても、もう栓のない話だ。
    しかし、我が家が落ちぶれて叔父の世話でこの田舎で生活が出来ているような話を叔父は隣近所に話していた。

    父は警視庁に奉職して39年間、捜査畑一筋に勤務してきた。
    年金も十分に出ていたし、再就職せずとも贅沢をしなければ楽に暮らしていけた。
    こんな叔父の助けなど全く必要としていなかった。

    仕事一筋だった父と怠け者で酒飲みの叔父とは話が全然噛み合わない。
    付き合いがうまくゆく訳がない。
    ほどなくして、父と叔父はろくに口を利かない仲になってしまった。

    母はそのことを気に病んでいた。
    しかし、母も悪かった。

    自分の生家にええかっこしいで、一度私がこの話をまとめようと叔父の家に出向いた時、横からくちばしを散々はさみ、全く私に肝心な話をさせなかったという経緯がある。

    途中で私も猛烈に腹を立て、帰りの車中で「もう、どうなっても俺は知らんぞ!!」と母に怒鳴りまくった記憶がある。
    女の浅知恵を止められなかった私にも責めはある。

    もう30年以上も前のことになるし、父も叔父もすでに亡くなっている。
    そこの土地と家もすでに売却しており、母も我が家に転居して来ているので、もう何を言っても栓のない話だ。
    しかし、後味の悪さだけは残っている。
    私も亡くなった父に済まなかったという後悔の念が未だに消えない。

    自分の浅はかさを恥じる

    父に、こんな土地を勧めた自分も浅はかだった。
    心筋梗塞を患い、刑事の仕事を辞めざるを得なくなった父の日記をある日、そっと読んだ事があったのだ。

    そこには「埼玉辺りに行って、野良仕事をしたいなぁ~。」と確かに書いてあった。
    しみじみと・・・
    良かれと思って進めたのが、間違いだった。

    私が司法試験を諦め、不動産の仕事に従事する様になってそのことを痛烈に感じた。
    こんな土地はよほどの好き者以外、誰も買わない。
    不動産の事が分かって来るにつれて、その思いは強くなった。

    とんでもない間違いだった。
    父には済まなかったと今でも思う。

    遊ぶこともなく仕事一筋に39年間、身を粉にして働いてきた父に何にも報いてあげられなかった。
    しかし、30年以上前には、野良仕事をしながらのんびり過ごせるような土地を見つけてあげることが出来なかったのも、又事実なのだ。

    今の私なら、父にもっと相応しい土地を見つけてあげられたのにと・・・
    司法試験など早く諦め、不動産関係の仕事に就かなかったことを今でも悔いている。

    母の嘆きなど自業自得であり、今更どうにもならない。
    しかし、繰り返し悔んでいた。

    処分を急いだ所で、クリアしなければならない法律的な問題が、この土地には山積していた。
    何回か役所に出向いて簡単に話が済む様な土地ではなかった。

    父も父で建築課からの指摘を無視してセットバックをせず、家を建てたり自ら問題をこじらせていた。

  • 認知症になった母の介護!兄が一時交代してくれた! その結果は?

    認知症になった母の介護!兄が一時交代してくれた! その結果は?

    母が認知症を発症してから3か月間が、一番辛かった。
    この間は基本的に自分1人で世話しなければならなかった。

    昼間、話し相手がいない。
    誰にも愚痴をこぼせない。
    妻と一人だけの友人に、夜になると車の中から電話をかけて、よく愚痴をこぼした。
    友達とは有り難いものだ。無条件に・・・

    認知症になった母の介護

    車の中から何十分も話していたなぁ~。
    認知症になった母の介護は覚悟していた以上にしんどかった。

    ホントに口を利くのも嫌気がさして来る時がある。
    話が全くまともではない。頭が狂っているのでは?・・・何度思ったことだろう。

     

    唯一の「ストレス解消の手段」は夜一人になれた時、車の名から「妻」と「たった一人の友人」に電話をかけ、愚痴をこぼす事だった
    何回、電話を掛けたことだろう?

     

    友達も良く話を聞いてくれたものだ。何十分も・・・「うっとおしかったろうなと」反省はしているが。
    ただ、黙って聞いていてくれるだけで有り難かった。
     

     

    「柚子の木を切らないと近所の子供が入って来て棘で危ない」と母が言う。
    「着物を処分しないとどうしようもない。」
    「茶碗も何とかしないと・・・」・・・あれや、これや訳の分からない事ばかり言ってくる。

     

    どうでもいい事ばかりなので、あまり相手にはしていられない。
    しかし、黙って見ているとぶっ倒れるまで動いている。目が離せない。

     

    ツケは後でこちらに回ってくる。
    遣り切れない思いが募る。

     

    兄が一時交代してくれた! その結果は?

    何回かは交代のため兄夫婦が来てくれた。
    一瞬、助かる事は助かるのだが・・・その後が・・・あ~あ~・・・

     

    まあ、取り敢えず一息は付ける。
    東京に戻り、やけ酒を煽り、多めの睡眠薬を飲んで一時(いっとき)の眠りに就く。

     

    イビキをかいて寝ていたと妻が言っていた。
    4時間は眠れたので、朝すっきりと目覚めた。
    これで何日かは頑張れる。

     

    母の家では全く眠れない時が多々ある。
    深夜の徘徊・・・預金通帳と印鑑を隠して回るために、その物音と何度も明かりを付けたり消したり・・・極度の不眠症に陥った。
    睡眠薬さえ効かない。一睡も出来ない!

     

    午後2時頃に母の実家に戻ると兄嫁がそっと言う。
    「庭のびわの木は切らないでくれ!」と母が泣いて頼むのを兄が無視して、「うるせえ!黙ってろ!」と怒鳴りつけ、脚立を放り投げた上、無理矢理びわの木を切ってしまったらしい。

     

    夜になっても、母はシクシク泣いている。
    こらえ性のない兄のことだから仕方がないのだが、「1日も我慢ができないものなのか」と、思わずため息が出る。

    兄夫婦が帰り、夜になると、また母が訳の分からないことを言い出し始める。
    「ここの土地は幾らで売れるだろうか?」とろれつが良く回らず聞いてくる。
    適当な値段で答えると少しは納得したらしく大人しく自分の部屋に戻った。

     

    しかし、寝室を覗きに行くと、又ベッドの上でシクシクと鳴いている。
    「なんで、こんな土地を父さんに買わせちまったんだろう・・・」と。

     

    昼間、兄とケンカになったのが多分に影響している。
    良く分からないけど自分を責めている。
    哀れさを感じるが、後悔先に立たずだ!

     

    しかし、兄の手助けは母の症状をより悪化させてくれるよなぁ。
    もう少し、「何とか我慢ができないものか?たった1日のことだぞ!」と、深い深い吐息が出る。

     

    田舎の土地問題

    今、母が住んでいる土はすったもんだの挙句に取得したものだ。
    売買ではなく贈与の形を取っている。
     

    法律上、簡単に売買の形式が取れなかったので登記上、贈与にしただけだ!
    実際は大枚はたいて買っている。

     

    母の弟が母の生まれた実家を継いだのだが、これが甲斐性なしのええかっこしいの男だった。
    譲渡すると言った土地を我が家から金だけ貰って譲ろうとしない。
    したくても出来ない。
    農地なのだから当たり前だ。
     

    簡単には出来ない。
    農地委員会の許可が要る。その手続きが出来ない。進まない。
     

    進まないだけでなく、許可が下りなかったのだ。
    出来ないなら出来ないで、さっさと父の所に来て説明して、謝罪すれば良いのにそれが出来ない。

     

    渡した金に相当する農地をもうこれ以上父に譲れない。
    結局、公言した約束を守れない。

     

    父は叔父の話になると顔色が変わるほど怒っていた。
    母は父に顔向け出来なかったのだ。

  • 認知症の母!握り飯を喉に詰まらせ救急車に!かかった費用は?

    認知症の母!握り飯を喉に詰まらせ救急車に!かかった費用は?

    突如、認知症を発症した母!とてもじゃないですけど、こんな荒れ狂った状態では母を独りで放置して置けません。
    入院先の病院を強制退去させられてからの母の言動は目に余るものがありました。
    幻覚、幻聴、深夜の徘徊・・・手が付けられません。
    とにかく、これはと思える病院には連れて行きました。

    認知症の母!~精神病院へも連れて行く

    病院には何軒も連れて行った。何と精神病院にまで連れて行った。
    嫌がる母を無理矢理、車に乗せ強引に連れて行きました。
    自分が病気などとは本気で思っていないのです。

    適切な治療を施さなければなりません。
    しかし、にわか勉強の私にはその方法がすぐには分かりません。

     

    近所の評判で良いと聞いた病院には無駄だと分かっていても、やはり連れて行きました。
    そして、母は医者に言い張ります。

     

    「今度という今度は許せない。例へ、息子でも金を盗んだのだから警察に行く。絶対に行く。」と・・・
    真顔で真剣に言う。必死に訴える。

     

    こればっかり・・・
    強情な性格が発症とともにストレートに出てきている。

     

    「オレの金だ。オレの金だ。」と・・・
    「私のお金だ」というような綺麗な言い方ではない。

     

    育ちが分かるというものだ。
    まともな女性が使う言葉ではない。

     

    呆けた横顔を見ながら、「まともな顔ではないなぁ」とつくづく実感させられる。
    精神病院の医者は母に聞く。
    「元気がないように見えますが、どうしましたか?」と優しく聞く。

     

    母はどこへ行っても同じように答える。
    「絶対に金を盗んだ。間違いない。警察に届ける」と言い張る。

     

    「今日の今日のことだから、もう一度帰ってからよく探した方が良くないですか?」
    3回ほど諭される。しかし、聞き入れない。

     

    結局、私に「被害せん妄ですね。」
    長期入院の弊害でしょうね
    統合失調症ではないでしょう・・・」と母の言い分にはまともに取り合わない。

     

    薬を渡され、「あまり刺激をさせない様に・・・」で終わり。
    どこの病院でも同じ様なことを言われた。

     

    認知症を見分けるチェック方法

    「ハサミ、桜の花、自動車」などの絵が順に描いてある本を見せる。
    そして、本を閉じて順番に答えさせる。これぐらいは答えられる。

    しかし、「〇、△、□」を組み合わせた絵を見せてから本を閉じる。
    別紙に同じ様に絵を描かせてみる。

     

    全く描けない。 同じ絵にならない。奇妙奇天烈なものを描いている。

     

    「時計の絵」を書いてくださいと言われる。真ん丸を書いて、その中に数字を入れ始める。
    まったく時計の絵になっていない。
    真ん丸の中には1~13までの数字を入れている。

     

    真ん丸の中の数字もメチャクチャだ!
    隙間がものすごく空いている。

     

    真ん丸の中の三分のニぐらいまでに1~13の数字が書いてある。
    後は空欄だ! 完全に狂っている。

     

    普通にやられているチェックでは認知症発症を見抜けない。
    ここまでやらないと頭の中がおかしくなっているのが分からない。

     

    病院から帰宅すると、「さっさと警察を呼んで被害届を出せよ。」と母に言ってやる。
    さすがに、そこまでは母も出来なかった。

     

    だが、相変わらず預金通帳を隠しまわっている。
    もう何も言う気力が起きてこない。

     

    夜、食事を済ませた後に薬を出す。
    聞こえよがしに母は言う。

     

    「こんなもの飲んだって治りゃしない。気狂いなんだから治りゃしない。」と・・・肝心なところで逆らってくる。

     

    発作的に思わず「首でも絞めてやろうか」という衝動が起きる。
    まったく可愛げがない。
    一言声をかければ、二言、三言逆らう言葉が返ってくる。

     

    面倒をみている甲斐がなくなる。
    必死に怒りを抑え、薬を飲ませる。

     

    今はアリセプトぐらいしか認知症に効く薬はないらしい。
    認知症には色々な型があるのだから、一種類の薬だけで治るわけがない。
    素人にもそれぐらいは分かる。
    しかし、母の言い草には心底腹が立つ。

    握り飯を喉に詰まらせ救急車に

    病院から強制退院させられた2日後には、ちょっと目を離した隙に、コンビニで買ってきた「握り飯」をほうばり、喉に詰まらせ、のたうち回り始める。

     

    いつまでも治まる気配がない。
    麦茶を何杯飲ませても治らない。

     

    「グェッ! グェッ!」と音をたてて、食べた物を吐き出そうとするが出て来ない。
    仕方なく、とうとう救急車を呼ぶことにする。
    本人も「呼んでくれ!」と懇願してくる。

     

    しかし、田舎のことだから、すぐに救急車は来ない。
    30分以上も経ってだろうか?救急車が来たのは・・・

     

    隣近所から人が集まってくる。
    しかし、遠巻きにしているだけで誰も近くに寄っては来ない。

     

    関わりになるのが嫌なのだろう。
    薄情な奴らだなぁ・・・と感じる。心底腹が立って来る。
    最近の母の状況は薄々知ってるはずなのに・・・力を貸そうとする奴らはいない。

     

    隊員に事情を話し、念のため行田のG総合病院に運んでもらう。
    母は神妙な顔をして救急ベッドに横たわり運ばれて行く。
    後から私が保険証やら靴やら身の周りの物を持って救急車に乗り込む。

     

    病院に着いた頃にはもう元に戻っていた。
    案の定、診察の結果は異状なし。

    かかった費用は?

    レントゲンには何の影もなし。
    7,000円以上の治療費を払って救病院を後にする。

     

    割り切れない思いのままタクシーに乗り、無言のまま母の実家に戻る。
    タクシー代が幾らかかったか? もう忘れた。 結構、払ったなぁ~。もう、うんざり・・・

     

    家に戻ったころにはケロッとしている。
    ドッと疲れを感じる。

     

    今日、半日で1万円以上の出費だ!
    これも全部自腹だ。

     

    狂った母の預金通帳からお金は引き出せない。
    介護する者はここまで覚悟しなければならない。

     

    そして強制退院から5日後には、夜8時頃になって急にベッドでのたうち回り始める。
    「苦しい。苦しい」と言いながらドッタンバッタンやっている。
    「どこが、どう苦しいのだ?」と聞いても、まともに答えられない。

     

    「どこが苦しいのか、なんて分からない。とにかく苦しい」と・・・訴えてくる。
    病院からもらっておいた鎮静剤を飲ます。

     

    次第に落ち着きはじめ眠りに就く。
    毎日がこんなことの繰り返し・・・。

     

    この3日後には、あめを喉に詰まらせ強制退院させられた病院へ行く羽目に・・・
    まったくどこまで手がかかるのか?
    気の休まる間がない。

     

    この3日後には昼頃になって、又「苦しい、苦しい」と言い始める。
    粥を2膳ぺろりと平らげるとケロッと治った。
    付き合いきれない。

     

    白内障手術後の目薬を貰いに眼科へも連れて行く。
    東京に戻った時のために他の病院への紹介状を書いてもらう。
    治療費が・・・お金が・・・羽が生えたように消えてゆく。

     

    自腹の費用での出費を覚悟すること~とにかく金がかかる

    郵便局で思わずため息がでる。10万、20万、30万円単位で出費がかさんでゆく。

     

    しかも「母の通帳からの金」は使えない。
    委任状すら書けない。 自分の名前すら書けない。
    母の通帳からはお金を引き下ろせないのだ!!

     

    すべては自腹だ!
    みんな覚悟しておいた方が良い。
    認知症患者の通帳からは金を下ろせないのだ!
    想像以上にお金がかかる。

     

    時には車の中で1人なって、しばらく休む。
    少しの間でも母から離れていたいという気持ちになる

     

    疲れが澱の様に溜まってゆく。
    気持ちが沈んでゆく・・・際限もなく・・・どうしようもなく・・・

     

    後、どれくらい辛抱すれば状況が変わるのか!
    まだまだ、全然先が見えない。

     

    とにかく誰かと一時、交代してほしい。。
    四六時中、母と一緒にいるとこちらの頭がおかしくなって来る。
    無性にまともな人と話したくなる。
    田舎にいると話し相手さえ見つからない。

  • 認知症になった母が朝一番で私に聞いてくることとは? 3つの事例!

    認知症になった母が朝一番で私に聞いてくることとは? 3つの事例!

    ① 財布をどこに隠した? お前のカバンの中身を見せろ!

    ② 幻覚~亡くなった父がさっき、そこに来ていた。どこへ行ったんだろう?

    さっき、お兄ちゃんが来ていたろ?お前とそこで横になって寝ていただろ!

    ③ 幻聴~誰かが歌を歌ってた。誰なんだろう? 一晩中歌ってた。

    認知症になった母が朝一番で私に聞いてくることとは?

    大体、以上の三つ!朝一で3つの内の一つは聞いてきます。
    これが連日続くのですから、とてもまともには相手にしていられません。

    レビー小体型認知症の患者に限らず、認知症の患者は大抵、一番身近で世話する人間を泥棒呼ばわりします。

     

    不眠症で疲れの取れない私にとっては、耐えがたい時があります。
    朝一で「財布をどこに隠した?」などと・・・
    あまりにしつっこいと本当にぶん殴りたくなります。殺意すら覚えます。

     

    私は60歳で定年退職し、次の仕事が決まらなかったので、必然的に私が母を看護するしかありませんでした。妻はフルタイムで働いているし、子供達に到底任せられることではないです。第一、まだ学生の身分。

     

    たった一人の兄も本当には宛にならない。
    兄は兄で嫁の母親を引き取って暮らしているし、働いているからと私と交替して介護しようとはしない。

     

    丁度、我が家の建て替え時期とも重なり、タイミング的には最悪の時期でした。
    月に1度、ハローワークに失業保険受給の申請にゆくのも苦痛。
    全く眠れずに埼玉から出かけるときは朝から疲れ果てていた。

     

    埼玉の母の実家は陸の孤島と言ってもいいくらい、思いっきり電車の駅から離れていた。民間のバスはない。

     

    役所の施設を循環するバスが日に数便出ているだけ。
    時間ばかりがかかり、遠回りで不便極まりない。
    要は使えないバスなのだ。

     

    残暑が厳しい盛りにフラフラになりながら、渋谷のハローワークまで歩いて行った。自家用車がなかったら、埼玉の最寄りの駅までとてももたなかったと思う。

     

    病院に連れてゆくのも車がないと、とても無理な話で埼玉とはいえ完全な田舎だった。ただの農村地帯だ。
    私にとっては、ただただ、もう忌むべき場所だった。

    穏やかに老いていってくれたならば・・・

    母の症状は「レビー小体型」だった。
    アルツハイマー型血管性認知症型についで、日本では3番目に多い症状らしい。

     

    幻覚幻聴・・・東京に戻ってからの荒れ狂い様・・・
    並大抵のものではなかった。
    穏やかに老いてゆくケースが多いアルツハイマー型などとは明らかに違っていた。

     

    そして訳の分からないことをいつまでも言っていた。
    見えてもいないものを見たと言う。

     

    人が歌っているのが聞こえる。
    一晩中歌っている、今も歌っていると云う。

     

    適当にやり過ごすのだが、いつまでも訳の分からぬことを言ってくる。
    少しは聞いて、本人の言う通りにしてやらないと一晩中歩き回っている。

     

    預金通帳を盗まれまいとして、夜中じゅうあっちこっちに隠して歩く。
    うるさくて眠れない。

     

    電気を付けたり、消したりその明かりや音で目が覚めてしまう。
    段々、こちらの頭もおかしくなってくる。
    ただでさえ、眠れないのに拍車がかかる。

     

    眠れないということはここまで人を追い込んでくるものなのか・・・

    3つの事例!・・・朝一番で顔を見るなり聞いてくる事

    夜中にず~と、「通帳と印鑑」を散々隠しまわり朝になると、実に嫌な顔をして私に尋ねてくる。

     

    通帳を見なかったかね? きのうはここにあったんだけどね!」と・・・
    あっちこっちに隠し回った挙句、どこの場所に隠したか、思い出せなくなっている。

     

    何十回、そんなことが続いたかな?
    ある日、一睡もできなかった朝に、また「通帳を知らないか?」「どこに隠した?」と・・・聞いてきた。

     

    その後、母が何を言ったか、もうよく思い出せないが・・・。
    お前のカバンの中を見せろ!」と言うので、思いきり体に叩きつけてやった。

     

    その後、私の取った行動は母のほっぺたを思いきり、ひねり上げてやることだった。そして「まだ言うか!そういうことを言わせるのか!この口は!この俺に向かって、このくそババアめが!」と・・・大声で怒鳴ってしまった。

     

    自己嫌悪・・・
    病気なんだ!

     

    怒ってもダメなんだと分かっていても、もう自分を抑えきれない。
    お前の通帳なんか見ていない。お前が勝手にどこかに隠したんだろう!ふざけるな!バカやろう!」・・・

     

    怒鳴り付けられて、憮然とした顔で睨み返してくる。
    しかし、怒鳴られてようやく思い出したらしい。
    仏間の小さな箪笥の上に置き、裏側に落ちたということを。

     

    そして今でも母は言う。
    あの時、私に殴られたと・・・。

  • 病院を強制退去させられた母の幻覚、幻聴の現象とは?88歳の女性に起きる事例とは?

     

    認知症の患者でも母の様なレビー小体型の場合は幻覚幻聴が酷いです。
    母は何度も次のような事を繰り返し言っていました。

    ①20年以上も前に亡くなった父がさっき、そこに来ていた。どこへ行ったんだろう?
    お前の兄ちゃんが来ていた。さっきそこでお前と横になって眠っていただろ?何を寝ぼけているんだい?

    ②誰か歌を歌ってた。誰が歌っていたんだろう?一晩中歌っていた。

    ③入院先の病院で夜、みんなが「オレ」の周りに集まって来て針を刺そうとした。
    みんな黙って見ている。

    針治療は痛いから、ヤダと言ったのに肩を押さえつけられた。
    だから大声を出したんだ!家に帰ると言ってやったんだい!・・・あ~

     

    病院を強制退去~母の幻覚・幻聴!88歳の女性に起こる事例とは?

    病院を強制退去させレれた母の症状はかなり酷いものでした。母の幻覚、幻聴の症状は半端ではありませんでした入院先の病院では針治療などしていません。針鍼灸師もいません。

     

    覚悟してましたが、これだけ狂った状態の患者の介護だと想像以上に大変です。
    解決策などありません。有ったら、私は今でも聞きたいです。

     

    「あっ、そう!・・それは困ったね」「どうしたらいいんだろうね?」と適当に相槌を打って、かわすしかありません。
    本人はいたって大真面目です。諭したところで効き目はないです。
    本当に見えてる。聞こえているのですから・・・本人だけには・・・手に負えない。

     

    完全に狂ってる状態なのですから・・・正すのは無理です。
    時が経過して落ち着くのを待つしかありません。

     

    耐えるしかありません。
    そうして話を聞いてるうちに、こちらの頭の方がおかしくなってきました。

     

    まず介護している私が酷い不眠症になってしまいました。
    昼間の疲れが全く取れない。眠れない。完全に重症化しました。
    睡眠薬を飲んでももう効かないのです。

     

    一晩中、起きていて通帳と印鑑を隠して回る母の行動が、私の眠りを妨げる。
    この頃の母はきっと誰を見ても泥棒に見えたのでしょう!

     

    そして、昼寝から目覚めると母が「兄ちゃんはどこへいった?」と聞いてくる。
    「兄ちゃん・・・て誰のこと?」と聞き返すと、又実兄のことらしい。何度も繰り返す。

     

    さっき家に来ていたと言い張る。誰も来ていないのに・・・
    来たのを見たと言い張る。

     

    「さっき、あんたと横になって寝ていたじゃないか」と・・・もう相槌を打つ気も起きません。

    寝ぼけているのではないのです。本人にだけは見えているのです。

     

    夜中の母の声

     

    夜中に声がするのでトイレの方へ行くと母が立っている。

    「何をしているの?」と聞けば「トイレに行く道がわからなくなった」と答える。

    トイレは目の前にある。
    ドッと疲れを感ずる瞬間・・・頭痛がしてくる。

     

    昼間、町役場で介護、福祉関係の申請を済ませ、病院に迎えに行くと、又おかしな事を言い出す。
    隣のベッドに座っている見ず知らずの女性を「あんたの同級生だよ。〇〇さんだよ。小学校時代の友達だろ?」と・・・

     

    私も当の相手も黙って頭を下げるしかない。
    目を交わしても挨拶を何と言っていいか分からない。

    私は埼玉で生まれていない。
    東京で生まれ、60年以上東京に住んでいる。

     

    小学校も東京だ!
    埼玉に同級生など居るわけがない。

     

    病院から連れ帰っても、又おかしな言動が始まる。
    20年以上も前に亡くなった父が「さっき、そこに来ていた」と又言い出す。
    まともな会話が全く成立しない。

     

    トイレへ行く回数も尋常ではない。
    1日に15~16回は行く。それでも間に合わず粗相をする。

     

    恥ずかしさからか、そっと隠れて下着を洗っている。
    しかし、汚れは落ちていない。母が寝室に行くのを見届けてから洗い直す。疲れる。

     

    昼寝から目覚めるとまた、おかしい。
    仏壇に線香をあげるのにライターの付け方が分からないと言う。
    仕方がなく黙って火をつけて渡す。

    ある朝には「ハァー、ハァー」と息をつきながら起きてくる。
    「暑い!暑い!」と繰り返している。

    氷枕を用意して、寝室に行くと夏だというのに、なんと掛布団を何枚も掛けている。
    これでは汗をかいて暑くなるのは当たり前だ!!完全におかしい。

     

    残暑厳しき日々!

     

    母はもう暑いだの、寒いだのという感覚が狂っているらしい。

    東京へは時々帰り、また母の介護のために埼玉に戻るという生活を繰り返す。
    疲れと虚しさを感じる。

     

    母はもう料理も作れなくなっている。
    カボチャを煮るのに大量の砂糖を入れたりする。
    とてもじゃないが食べられた代物ではない。母はいつもと同じ物を作ったと思っている。

     

    時々、兄嫁が兄と一緒に来て差し入れを置いていってくれた。
    妻が作ってくれた物を東京から運んできて母に食べさせた。

    私は料理が苦手で、あまり気の利いたものは作れない。
    随分と助かった。

     

    兄もたまには一人で差し入れに来てくれた。
    何か、欲しいものはないか?必要なものはないか?」と聞く。

     

    何もない。とにかく誰かに、一時でもいいから交代要員を出してほしい。」と言えば黙ってしまう。
    やはり、本当には頼りにならない。
    誰も、こんなしんどい事はしたくないのだ。無理もない。
    もう一度、やれと言われれば、多分は拒否するだろう。

     

    家族の誰かが認知症などを発症したときは、とにかく誰かに相談し手助けを頼み、何らかの公的な関係各機関を利用して少しでも早く助けて貰うしかない。

     

    一人で悩んでる間はない。
    まず、自分の身が持たない。
    一息つける時間ができると、近所の寺社、神社に詣で母の回復をお祈りに行く。
    普段、無信仰、無心神なのだから「神様、仏様も随分と自分勝手で迷惑な話だろうな」と思いを巡らすが、祈らずにはいられない。

     

    藁にもすがりたいというのは、こんな状態の時をいうのだろうな。
    車を運転してほんの一瞬でも母から解放される時間、空間を作り出さないと自分自身の精神まで破壊される。

    やられてしまう。
    自分がしっかりしないと何も解決しない。

     

    何も先には生まれない。
    歯を喰いしばって頑張るしかないと、この時は思っていた。
    思い通りにならない現実に苛立ちが募る。

     

  • 介護サービスの現状と課題とは?現状での解決策は3つしかない!

    介護サービスの現状と課題とは?

    現状での解決策は、以下の三つしかありません。

    ①人の力を借りる

    ②充分な金を持って駆けつける。

    ③恥も外聞もなく誰彼構わず聞き回り解答を見つける

     → これでようやく行政や公的サービスにたどり着けます。

     介護サービスの現状と課題とは?

    介護サービスの現状と課題とは、
    すぐに介護サービスを受けたいときに、それ相応の手続きをしないと何も始まらないという
    現実です。

    必要な時に直ちに介護サービスは受けられないのです。
    当然なことですが、手順が要ります。

     

    まず、申請手続きが必要です。
    それは自分でしなけばなりません。
    その手続きをするための時間が確保できないのです。

     

    黙って待っていても行政の方から先にこちらに、働きかけてくれる事はあり得ません。
    こちらから町役場の介護課、福祉課へ出向かねばなりません。
    それをする時間的余裕を確保できないのです。

     

    私の場合は、当初、昼間誰にも母の面倒を見て貰えませんでした。
    昼間だけでも誰かに母の面倒を見て貰わないと町役場に介護、福祉の申請にも行けないのです。

     

    狂った母を一人にして置けないのです。
    一人にしておくと何をしでかすか、分からない有り様でした。
    火でも使わせれば火事になる危険性さえありました。

     

    まずは昼間、母の面倒を見てもらうために誰かに来てもらわなければなりません。
    その解決策が以下の3つです。

    現状での解決策は3つしかない!

    解決策の一つ目

    3ヵ月間は農協系列の福祉サービス機関に自宅に来てくれる人の依頼をしました。
    ヘルパーさんには何回来てもらったかなぁ~?もう忘れてしまいました。

     

    昼食だけでも作って貰えれば、自分が外出できる。これだけでも助かる。
    介護、福祉関係の申請手続きが進められる。

     

    とにかく、こんな時は誰かに、何らかのお手伝いをお願いしないと、とてもじゃないけど
    一人で母の面倒を見るのは限界があるのです。

     

    一日中母の面倒を見ていられない。
    介護、福祉の手続きが進められない。

     

    解決策の二つ目

    充分な金を用意する。
    当座の金でも20~30万円は最低限必要です!
    当然といえば当然です。

     

    何をするにもお金が要ります。
    お金がなければ誰にも何も頼めません。

     

    介護が長引けば長引くほど、追加のお金が要ります。
    兄弟にも応分の負担を求めなければならなくなります。
    私の場合は言わなくても持ってきてくれましたが・・・5万円の見舞金でも貴重です。

     

    肝心な事を書き忘れていました。

    認知症の患者が通帳に預金を持っていたとしてもそれを引き出して使えません。
    委任状一つ書けない状態では実の息子でも金融機関は引き下ろしを受け付けてくれません。
    自腹でとにかく多めにお金を持って駆けつけるしかありません。

     

    病院に連れて行くだけでも金に羽が生えたように消えてゆきます。
    1軒では済みません。2軒、3軒と連れて行くときもありますから・・・

     

    当然ですが、生活費もかかります。
    最低でも20~30万円は準備しておく覚悟が必要です。

     

    解決策の三つ目

    恥も外聞もなく誰彼構わず、所構わず、電話しまくる。聞き回る。

     

    隣近所には母を預かってもらえなかった。
    親戚は近くにいても、こんな時ほど頼れない。
    皆、仕事やアルバイトに出かけている。

     

    母の妹が近くにいるが、この人も高齢者だ!
    人の世話などしていられない。

     

    できる歳でもない。
    いつも「あそこが痛い。ここが痛い」が口癖だ。

     

    とてもこんな人達に任せられない。
    親戚も、隣近所の連中も見舞いにこそ来てくれるが、こちらが一番にしてほしいことの
    手伝いを誰にも期待出来ないのです。

     

    私も無理には頼まない。恩に着せられるだけだから・・・。
    赤の他人に金を払って見てもらった方が気楽なのです。

     

    ヘルパーさんなら、ある程度の責任があるから、それなりに注意を払ってくれる。
    しかし、母はヘルパーさんが来るのを嫌がっていた。
    これだから困ってしまう。

     

    ヘルパーさんも頼めないときは誰にも母の面倒を見てもらえない。
    仕方がなく闇雲に誰彼構わず、電話をかけてみる。

     

    ケアマネージャーの女性にも相談する。母の実家へも来てもらった。
    しかし、やはりすぐには施設に受け入れられないという結論だった。

     

    すぐ申請しても判定会議が開かれるのは2週間後である。
    そこで預かれるか、どうかが決まるという。

     

    申請する評議員だか、相談員さえすぐに我が家にこれない。
    母の容態を見に来れるのは早くても2~3日後だという。
    ディサービスでさえ、この状態です!

     

    仕方なく、追い出された病院へ「昼間だけ母を預かってほしい」
    「もうわめき散らすことはないと思う」と頭を下げて頼み込む。
    ・・・そして何とか受け入れてもらった。

     

    受付の女性は明らかに迷惑顔だ。
    医師も仕方がないという感じ・・・。

     

    母が夜中に騒ぎ出したとき、当直担当の看護師は一睡もできなかったのだろう。
    迷惑顔されるのも止むを得ない。

     

    我慢だ!辛抱だ!それしかない

    ほんの一瞬のことなのだ!と・・・自分に言い聞かせる。

     

    離れて暮らしていた母が突如、認知症を発症したときは、こんな感じでした。
    多少の知識があってもすぐに対応が出来ません。
    近くに親戚がいても、まず頼りになりません。

     

    公的サービスもすぐには受けられません。対応は後手、後手に廻ります。
    皆さんも今から覚悟しておいた方が良いです。

     

    最初は1人で踏ん張るしかないのです。
    後はなりふり構わず、誰彼構わず聞き回り、探し回り、どんな公的サービスを受けられるか
    調べるしかありません。

     

    離れて暮らしている親の健康状態の変化はたまに顔を見に行く程度では把握できません。
    日頃から余程周到に準備しておかないと、まず瞬時に対応できません。

     

    これも私が失業中だから出来たことです。
    仕事がある人は役場を廻って行政や公的サービスにどんなものがあるか、調べるだけでも一苦労です。

     

    調べてどんな制度が受けられるか、手配するのも、これまた大変です。
    まず時間がかかります。
    すぐには手配ができません。

     

    そして、その公的サービスを受けるだけで済むのかも大問題です。
    仕事のある人は何ヶ月も認知症患者の面倒は見きれません。
    しかし、認知症患者は狂った直後の状態では一人にして置けないのです。

     

    誰かに身の回りの世話をして貰わないと、とても一人では生活できないのです。
    これはディサービスを受けたり、ヘルパーさんに来てもらったりするだけでは全く無理な話です。
    とても解決できません。

     

    介護福祉士に来てもらっても24時間見てもらえる訳ではありません。
    そんな制度があるのでしょうか?

     

    私も不勉強で調べても分かりませんでした。
    在宅看護の限界がこの辺にあるかと思います。

     

    このままでよいのか、我々は今一度考えなければならない時期に来ていると思います。
    覚悟しておいた方が間違いありません。

     

    それも相当な覚悟が必要です。
    いざという時、頼りになるのはまず自分だけです。

     

    最終的には、何とか地域振興センターのサービスや介護サービスにたどり着けるでしょう。
    他人や行政の助けも受けることが出来る様になるでしょうが、まず最初は自分しか動ける
    人間がいないというのが現状です。

     

    気軽に病院にも役場にも連れて行ってくれる様な信頼できる人が、親の身近に居ればいいの
    ですが・・・まず、そんな人がいるのは稀でしょう。

     

    ましてや、充分な介護サービスをしてくれる民間の老人ホームなど余程、金銭的に余裕のある人でなければ入所することはできないです。

     

    これだけ高齢化と核家族化が進んだ日本で、介護の担い手がまず第一義的に親族であるという制度自体が、私にはもう無理であるという気がしてなりません。

     

    離婚した人で、掛け持ちで幾つもの不定期な仕事をしないと生活が出来ない人に親の介護など、すぐにできるのでしょうか?まず無理でしょう。

     

    また、介護で退職を余儀なくされた人達にどれだけの金銭的余裕があると政治家どもは思っているのでしょうか?
    もう、第一義的には社会全体が、行政が受けるべきものなのではないでしょうか?

     

    そのための負担は我々も受忍すべきであるし、増税もやむを得ないことと思われます。
    少し長くなり過ぎました。

     

    しかし、今の制度のままでは根本的な解決策はあり得ないと断言できます。
    今、現状で対応しようとすれば、上記の三つしか解決法はないと私は確信しています。

  • 母が認知症を発症&原因は長期の入院だった!発症した時の対処方法に何があるか?

    母が認知症を発症&原因は長期の入院だった!発症した時の対処方法に何があるか?

    平成22年9月13日(月)朝、母の入院先の病院から、私の自宅に1本の電話が入りました。
    母は埼玉で一人暮らしをしており、軽い熱中症に罹ったため3週間も入院していました。
    後から考えるとこれが致命的なミスでした。
    長期入院が認知症を発症させる原因の一つであると、後で知りました。
    ヤブ医者にかかると、それを知らぬまま後期高齢者であることを幸いに、長期入院させ治療費を稼ごうとする輩がいるのです。迂闊でした。悔やんでも悔やみきれません。

    母が認知症を発症&原因は長期の入院だった!

    高齢者が長期入院をすると、私の母の様に、往々にして認知症を発症してしまうケースが多いらしいですね。知りませんでした。体験するまで…認知症になるなど!…実感していませんでした。

    長期にわたる入院中の拘禁状態が、そのきっかけを創り出してしまうのですね。
    認知症に対して大した知識を持ち合わせていない医者にかかると、そんな手痛い目に合います。

     

    年寄りを気安く入院などさせるべきではないのです。後で知りました。
    ましてや3週間もの長期入院は相当に用心しなければなりません。

     

    高齢者の親が入院する時は、できるだけ長期にならない様、医者にも注意ができるぐらいの知識を持ち合わせていないと本当に後で後悔します。骨身に沁みました。

     

    不必要な検査や治療などは高齢者の負担額が低いため、往々にして気安く行われている気がします。患者本人も家族も治療費が安いことに安心しきっています。ここが落とし穴です。

     

    世間一般では何歳ぐらいから認知症になるのでしょうか?
    65歳以上になると、もう用心しなければいけないみたいですね。

     

    75歳以上になると、その可能性はもっと高くなります。
    私の母は88歳になっていました。

     

    迂闊でした。
    離れて暮らしていると、その微妙な変化の兆候に気づかない事が多いのです。

     

    入院中の病院で夜中に、急にベッドから這いだし、大声で喚き始め「這ってでも家に帰る!」と散々、訳の分からない事を言いだし、騒いだらしいのです。

     

    当直の看護師は慌てふためいたことでしょう。きっと気がふれたと思ったはずです。

     

    丁度、3週間目でした。
    真夜中に病院中がひっくり返る様な騒ぎを起こしたため、「すぐに引き取ってほしい」との要請電話でした。

     

    朝一で病院から掛かって来た電話で「一人で退院させるわけにはいきませんので、すぐ迎えに来てください」と言われました。

    謂わば強制退去です!!

    とにかく急いで、取るものも取り敢えず車を運転して病院に駆けつけると、肩を落とし意気消沈した母がそれこそ「ショッボ~ン・・・」とベッドに座っていました。

     

    一目見て、まともな状態ではないことが分かりました。

     

    狂ったか?

    認知症にでもなったのか?…これが認知症という奴なのか!

     

    ほうけた感じなのです。目はあらぬ彼方をぼんやりと眺め、口は半開き・・・
    手早く退院手続きを済ませ、母を自分の車に乗せ、母の自宅へ連れ帰りました。

     

    あんな軽い熱中症など2~3日入院すればいいだけなのに・・・。
    郵便局の簡易保険金でも欲しかったのか?

     

    20日以上入院しないと貰えない保険だから、わざと長く入院していたのか!
    一瞬にして様々な思いが駆け巡っています。

     

    2~3週間も楽を決め込んで入院し、拘禁状態から発作的に被害せん妄を引き起こしてしまったらしいのです。

     

    食事を作るのも、もうおっくうになっていたのかな?
    それなら、弁当の配達でも頼めばよいのに・・・
    8年前でもそういう福祉関係の団体があったはず。

     

    安く配達もしてくれたはずだ。
    歳をとると暑さ、寒さに鈍感になるのかな?

     

    それとも電気代が惜しくてクーラーをつけなかったのか?
    この頃の夏の暑さは異常なくらいだ。

     

    クーラーをつけなければ、若くとも熱中症になる。
    88にもなったのだから、クーラーをつけるべきと口を酸っぱくして言ってきた。

     

    全然、耳を傾けない。
    全く理解に苦しむ。

    発症した時の対処方法に何があるか?

    しかし、88歳になるまで我が家に引き取らなかった自分の不甲斐なさに引け目を感じていました。

     

    しかし、あんな軽い熱中症で3週間も入院するとは…させてしまった自分も本当に迂闊だった。

     

    点滴など3週間もする必要はない。2~3日で充分のはずなのに・・・

    • 何十分もベッドに拘束される。必要のない治療! 長期入院!

    点滴での拘禁状態! すべてはこれが原因だな。

    病院が病人を創り出してしまうのだ!!

     

    1週間前に見舞いに行った時、今から思うと変な言動がありました。
    その時はその兆候に気が付かなかった(離れて暮らしていると分からないものです)…見過ごしてしまった。

     

    思えば、真夏の長期入院は母の年中行事のようになっていました。もっと、注意すべきでした。

     

    夜になれば、4人部屋なのだから皆カーテンを引いて寝る。
    それが嫌だと言っていた。

     

    この時に、もう長期入院の拘禁症状が現れていたのだ。
    今なら分かる。

     

    でも、この時は分からなかった。 油断していた。
    長期に渡って拘禁された環境が認知症発症のきっかけを作り出したのだ。

     

    しかし、どう考えても賢い行動ではない。
    まともな人間なら、すぐに気づいていいはずだ。

     

    歳をとって多少ぼけて来ても、ここまで馬鹿だとは思わなかった。
    嫌になったのなら、すぐに退院すればよいものを・・・

     

    様々な思いが浮かんできては腹立たしくなってくる。
    今でも許せないという思いがある。 誰のせいでもない。
    そう、自傷行為なのだ!これは…

    誰のせいでもない。自傷行為なのだ!

    だが、高齢者の判断に任せて敢えて注意をしなかった自分にも責任はある。

     

    病院から連れ帰り、しばらく面倒を見ている内にだんだんと疲れが溜まって来る。
    昼間はいろいろな病院へ連れてゆき、帰ったら食事の世話、洗濯、風呂の用意をする。

     

    1人ではもう何も出来なくなっていた。
    医者に連れて行かない日は、車を運転して町役場まで行き介護、福祉関係の申請をする。

     

    介護保険の申請、後期高齢者の被保険証更新・・・等々。
    行政や公的介護サービスを調べまくる。 聞き回る。

     

    取り敢えずはこんな手段しかない。
    余程、普段から高齢者の親に注意を払っていないとこんな目に合ってしまう。

     

    帰ってくれば、食事の支度、洗濯、風呂にも入れなければならない。
    残暑が厳しく汗をかく、着替えもさせなければならない。

     

    疲れ果てているところへ、どこで聞きつけたのか、電話がかかってくる。
    何とか社会福祉協会の人が「ボランテイア」で来てくれるという。
    話を聞いて丁重にお断りをする。

     

    とてもじゃないが、ボランティアで何とかなる状態ではない。
    「私の交代要員を寄こせるならお願いします。」と言えばそれは無理だと言う。

    現状の介護・福祉サービスが頼りにならない!

    介護、福祉関係の申請も東京の家が完成すれば、東京に引き取るという話をすると、それでは埼玉県で介護や福祉のサービスをすぐには受けられない、受け付けている間がないという。

     

    八方ふさがりの状態に苛立ちが募る。
    公的な介護サービスもここまで急に発症するとすぐには受け入れて貰えない。

     

    9月12日夜、認知症発症!
    11月中旬には我が家が完成するはず。

     

    東京にすぐ戻るという前提では、ディサービスもまともに受けられないという話に納得ができない。

     

    本当に急に介護が必要な時には面倒な手続きばかり…先に済まさないと何も受け付けてくれない。

     

    しかし、これが日本の介護サービスの現状なのだ!
    これで良いのか?という思いが突き上げてくる。