コロナの話題一色で、世の中が埋め尽くされてしまった感が…新聞を見ても、今日が「子供の日」であるのに心なしか、例年になく取り上げ方が小さい気がします。「自粛警察」とか、「他県ナンバー狩り」とか…殺伐とした文字ばかりが目に飛び込んできます。無理でも明るい話題を追ってみたくなりました。無邪気に笑う子供の姿が今一番とても大事だと思います。鯉のぼりの写真にも心が癒されます。
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5月5日、なぜ「鯉のぼり」を飾るのか。由来を尋ねてみました。立夏か…東京は28.4℃!どうりで暑い訳だ。
来年は、下のツイッターの様に、見事な鯉のぼりの群れを無心に眺められる日が来ることを祈念します。柴犬の表情が何とも言えません。可愛いですね。
何気ない日常が、今はとてつもなく大事な日々であったことを痛感しています。
夏が来る前に、コロナの勢いが弱まるといいのですが…。
アメリカのどこかで発表したという、「コロナは紫外線に弱い。高温多湿だと消滅しやすい」という説を信じたいと思います。使い捨てのマスクを1回では捨てずに、日に干して使い回しています。
いつか、…ではなく「必ず」なのですね。必ず、災害はやってきています。
阪神淡路大震災の時は、オウムの事件がありました。
大雨の後は、各地で土砂崩れが起きました。
そして、東日本大震災が起こり、放射能が漏れだしました。
去年も各地で、川が氾濫しました。
東京では多摩川が氾濫し、二子玉川のマンションが水に浸かりました。
10年と持たずに、大災害が起こっています。
信じられないスピードで、地球温暖化が進んでいる様な気がしています。
それでも、明るい未来が来ることを願ってやみません。
ここで絶望している訳には行きません。
我々には、子供らの時代に明るい未来が訪れる様に努力する責務があります。
このまま破綻しかかった財政負担を子供らの世代に押し付け、黙って逃げ切って、良い訳がありません。どこかで踏ん張って、頑張らないと、未来の子供らに合わせる顔がありません。
先の戦争の標語ではないですが、「欲しがりません。勝つまでは…」の精神が今、我々に問われているのでは…?子供らは我々の背中を見て育ちますから。
子供らに見られて恥ずかしくない人生を送らねば…と痛切に感じています。
感じるだけでなく、現実に努力しないと、未来は開けません。準備だけはおさおさ怠りなく。
どうジタバタあがいて、這い上がるか!
最後の最後まで諦めない覚悟だけは出来ているのですが…輝ける未来を迎えるために…。
我々はコロナなんかで死ぬわけにはいきません。ましてや経済なんかで死ぬ訳にもいきません。
歯を食いしばって、何とか生き延びなければなりません。
自殺なんか、絶対してほしくないです。安易に死を選べば、喜ぶ輩ばかりです。
働かないで給料が貰える、生きてゆける奴らを喜ばす訳にはいきません。
「人間の力をもってしても変えられぬ宿命などあってたまるものか」…革命に失敗し、死を覚悟して投降しようとする史文秀の気持ちを翻意させるために、亡命して「生き延びる」という難しい生き方を選ばせようと懸命に努力する人々の姿を描いた・浅田次郎「蒼穹の昴」の一節が、堪らなく好きですね。
我々は生きて生きて生き抜いて、権利を主張し、しかるべき人間に罪を償わさせなければなりません。このままではあまりに理不尽です。我々に残された義務は、こういう政府を生じさせてしまったという大罪を甘んじて受け入れることです。
そして、これ以上、後顧の憂いを憂いを残さず、生きている限り働き続けることです。働き抜いた、その先に未来が必ず開かれるはずです。輝ける未来が…真実は、ただこれだけであるという気がしています。