上級国民などという言葉は好きではありませんし、あまり使いたくはないのですが、この飯塚幸三被告(89)の無罪主張を聞くと、やはり無理ですね。下級国民としては、やはり霞が関と関係があったキャリア官僚や政治家の取り扱いと一般国民との取り扱いには歴然とした差があるのではないか、…とついつい勘繰ってしまいます。事故直後は、飯塚被告もケガをしていたから逮捕は出来なかったとしても、全快すれば89歳という高齢でも断固、逮捕・勾留するべきだったのでは?事故の大きさや犠牲者の数、世間一般の処罰感情を考慮すると、通院させた後の在宅起訴はやはり、まづかったと思います。警察や検察のミスとまでは言いませんが、元TOKIOのメンバーだった山口達也が飲酒運転の末、物損事故を起して現行犯逮捕され、家宅捜索までされたのと比較すると、明らかに両者の間に開きがあると感じます。事故の大きさや性質が違い過ぎるので、単純に比較はできないかも知れませんが、一般庶民としてはひがみの一つも言いたくなってしまいます。日本社会もすでに分断されている…?
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昨年4月の〝池袋暴走事故〟で自動車運転処罰法違反(過失致死傷)に問われた旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三被告(89)が、8日の初公判で起訴内容を否認し、無罪主張するとネット上では激しいバッシングが起きました。無理からぬことだと思われます。
起訴状によると、飯塚被告は2019年4月19日、東京都豊島区の道路で乗用車を運転中、アクセルペダルをブレーキと間違えて踏み続け、時速約60キロから約96キロに急加速。自転車で青信号の横断歩道を渡っていた松永真菜さん(当時31)と長女の莉子ちゃん(同3)をはねて死亡させたほか、通行人ら9人を負傷させたとされる。
被告人には無罪を主張する権利があるというのは、ほとんどの国民が理解していると思います。しかし、頭で理解するのと感情とは一致しません。両手に杖を付いて、実況見分した時と車椅子に座って入廷した時の被告の様子を見比べると、やはり酷い。いたたまれませんね。
こんなヨタヨタの老人に二人の親子が跳ね飛ばされ死んだ!こんな状態の人間がなぜ、車の運転などしたのか?二人の人間を轢き殺した(?)挙句に、形式的に詫びることで、かえって世間の処罰感情が爆発した感じが…。
東京地裁で開かれた初公判で飯塚被告は、冒頭で「(遺族の)ご心痛を思うと言葉がございません。心からおわび申し上げます」と謝罪したが、起訴内容の認否を問われると「車の何らかの異常で暴走したと思っております」と否認。これでは被告への共感などは、まず得られないでしょう。
遺族側の夫である松永氏が、『被告は事故と本当に向き合っているとは思えない』『悪いと思っていないなら、謝罪してほしくなかった』と批判していますが、当然の主張であると思います。論理が矛盾していますから…。
飯塚被告を批判する意見の中には、メーカーのトヨタや車検をした会社は、被告を訴えるべきだとまで言っている意見がありますが、これも宜(むべ)なる主張かなと…。
弁護士が入れ知恵したのか、被告の思い込みなのか、判然とはしませんが『過失致死傷罪』は成立しないと主張したことで、世間との認識のズレが際立ったことと思われます。しかし、飯塚被告の様に、はっきりと主張した方が裁判の論点がはっきりします。
遺族にとっては辛い日々が続くでしょうが、これほど思い込みの激しい高齢の被告には、断固たる処罰が下される方が良いと思います。裁判所は高齢のドライバーが重大事故を起せば、ただでは済まないと世間に、はっきりと知らしめるような判決を下すべきです。
リーディングケースになるべき事件であり、これをきっかけに田舎ではなく都会に住んでいて、加齢に伴う肉体的、精神的な衰えを自覚できない高齢者には、免許更新はハードルの高いものにすべきです。
簡単に免許更新などさせない様にすべき時代になっています。フレンチに行くなら、タクシーで十分でしょう。何で急いで、自分で運転しなければいけなかったのか?
山口容疑者の様に、ケガ人のいない物損事故で家宅捜索まで行われたのは、極めて異例です。まぁ~、これも伏線があってのことだとは思うのですが…。
逮捕直後には、酔っていたと認めたものの、弁護士との接見後に『酔っていたとは思わなかった』と自供を翻したことが交通警察の逆鱗に触れたのだと思います。丁度、秋の交通安全運動の最中でしたから…。
軽い酩酊状態などではなく、泥酔していたとメンツにかけて家宅捜索を行い、空に近い焼酎瓶などを押収したのでしょう。警察の逮捕や家宅捜索が思い付きなどではなく、適法だったと思わせるために…基準値を大幅に超える0.7ミリグラムのアルコールが検出されたのも、追突された車に乗っていたのが警察官だったのも、運が悪かっただけでは…?
しかし、飯塚被告も当初は、『ブレーキとアクセルを踏み間違えたかも知れない』と認めていたのです。それが時間が経過して、初公判時には、はっきりと『アクセルとブレーキを踏み間違えた記憶はない』と無罪主張したのですから、完全に事情聴取時の自供を翻しています。
それなのに、逮捕・勾留しなかったのは適法だったのでしょうか。
幾ら、高齢でも当初の自供を翻す行為だけを取り上げてみれば両者は同じです。片や、在宅起訴!片や、逮捕・家宅捜索では明らかに格差があり過ぎます。捜査関係者は『邪推にすぎない』と言っているようですが…。
そうとばかりは言えないようです。一般的にほかの類似の事故で逮捕される人たちと比べると、やはり、飯塚被告の扱いは平等性を欠いているのでは…?霞が関の省庁をまたいだ現役官僚やOBの〝組織〟があると聞いたことがあるという人までいます。
飯塚被告がそのネットワークの中で守られた可能性は十分あり得るのでは…と。
罵声を浴びせ続ける人もどうかと思いましたが、初公判での主張を聞くと宜(むべ)なるかなの感が…。『おい!こら!謝罪しろ。おい!こら!』…このぐらいで済むなら、日本は優しい方では?
弁護側も、まさか無罪判決が下されるとは思っていないでしょう。しかし、高齢で服役に耐えない体だと認定されれば、刑の執行停止もあり得ます。
検察によれば『車は1か月前の点検でブレーキやアクセルの機能に異常はなく、後続車の運転手はブレーキランプを見ておらず、ブレーキが踏まれた記録も残っていない』としており、車の不具合を主張するには無理がある状況だと認識した上での無罪主張です。
誰も無罪になるとは思っていません。容疑を認め裁判で争わず、執行猶予を狙ったのなら、世間の反発はなくて済んだことでしょう。しかし、無理を承知で、無罪主張したのですから…相応の非難は甘んじて受けるべきかと、推定無罪の原則は分かった上での世間の非難です。
うまくゆけば禁固刑ぐらいで済むかも…懲役刑を食らうことはないと踏んでのことだったら、世間の反発も当然でしょう。裁判を長引かせれば、刑務所に行かずに天寿を全うできるかも…と踏んでいるのなら、なかなか強かですね。
加害者家族へのバッシングはどうかと思いますが、これだけ頭脳明晰ならば、家族が非難されても仕方がないでしょう。今頃になって、加害者家族を擁護する記事には違和感しか感じません。説得して免許を返上させられなかったことを悔やむしかありません。
被害者側に一片の非もないのですから、重大事故を引き起こした加害者側が非難されるのは当然です。また、自分に非がなく、飽くまで『車が異常だった』と主張するなら、とことんまで飯塚被告はやるべきでしょう。
決して、被害者側に中途半端な謝罪などするべきではなく、どこまでも車のせい、他社のせいだ…と主張すべきです。問題を中途半端に終わらせないために…。自分は悪くないのですから…責任転嫁などではないと主張すべきかと。
そして、自分が引き起こした重大事故をもっと際立たせるべきなのです。ブレーキ痕がないという証拠など、覆せばよい。旧通産省工業技術院の元院長・飯塚幸三被告(89)なら、大いなるプライドをかけてやるべきなのです。
輝かしい経歴に恥じない行動を晩年に展開すべきかと…。元クボタの副社長なら…。勲章まで頂いた人なのですから、断固、裁判で争う、戦うべきかと…。世の中の矛盾を明らかにすべきなのだ。