投稿者: yamazaki5632

  • 訪問診療!訪問看護!老々介護とは?


    平成28年11月24日(木)、母が退院した。

    本格的な在宅介護が始まった。

    老々介護の始まりである。

     

    月2回、訪問診療がある。

    医者が自宅まで来て診察してくれる。

    いざという時は、点滴や注射もしてもらえる。

    勿論、脈拍や血圧などを測ってくれる。

     

    今回、入院した病院ではそういう制度を採用していた。

    これで急坂を息を切らせ、かかりつけ医のクリニックまで行かなくて済む。

     

    ディサービスに行く回数は減ったが、また行くことになった。

    在宅看護も週1回来てもらうようにした。

     

    医師ほどの医療行為はもちろんできないが、脈拍、血圧までは計ってもらえる。

    手足のマッサージや爪を切って行ってくれるのでこちらも助かる。

    マッサージも母が気持ちが良いと言っていたので随分と助かった。

     

    薬も近所の薬局の薬剤師が来て、医者から指示のあった薬を持って来てもらえるので私の負担は大分軽減した。

     

    しかし、困ったことに母が時々ディサービスに行くのを嫌がる様になった。

    理由は良く分からない。

    体がもう大儀になって来ていたのかもしれない。

     

    医者からは運動のために少しは散歩をしなさい、動きなさい、水分をもっと取りなさいと具体的な指示が出るのだが、母は言われないとやろうとしない。

     

    二言目には、又「早く逝きたい」「生きていても仕方がない」との愚痴が多く出る様になった。

     

    負けん気と体力だけが自慢で生きて来た人間には思い通りにならない体など何の意味も持たないのだろう。

     

    入院中にも鬱症状が出ているので、腎臓にはあまり良くないのだが抗うつ薬が処方されていた。

     

    抗うつ薬が手放せなくなっているのは私の方なのだが・・・

     

    ディサービスに行く回数も時間も短くなった。

    しかし、何とか行けていたし、当初は私の負担も減ってホッとしていた。

    食事を出す事と便器の清掃ぐらいで済んでいた。

     

    これだけ在宅看護の体制を整えて母をサポートしていたのに、年が明けて平成29年1月下旬には又、母が入院する騒ぎとなった。

    又、脱水症状が起きたのである。

    どうしようもない・・・手がつけられない。

     

    訪問診療してくれていた医師から、母の左大腿骨骨折の手術をした病院に電話をしてもらい入院させようとしたが、又もやんわりと断られた。

     

    仕方がなく訪問診療してくれていた港区の病院に又、入院することになった。

     

    悩みの種は差額ベッド代だ!

    しかも今回は母が相部屋を嫌がった。

     

    隣の人がうるさくて眠れない。

    落ち着かないなどと言って同室を拒んだ。

     

    始めてのケースだった。

    母がこんな事を言う様になったのは・・・

    何が気にいらなかったのかは今もって良く分からない。

     

    これで一日27,000円がかかる。

    2週間以上入院していたので差額ベッド代だけで486,000円かかった。

    認知症の時と違い、母の意識ははっきりしていたので入院費用は母の預金通帳から支払った。

     

    私達の懐が減った訳ではないので、あまり気にしなければいいのだが・・・

    母が田舎の家屋を売却し、幾ばくか残っていたお金は羽が生えた様に消えてなくなって行った。

     

    平成29年2月14日(火)、母が退院した。

    しかし、これでもまだ終わった訳ではなかった。

  • 退院直後に又入院!一体母はどうなるのだろう?


    平成28年10月21日(金)かかりつけ医から紹介状をもらい、その病院を訪ねたが、看取りの患者ばかりで入院費用も結構高額と聞きその場で入院を断った。

     

    そんな経緯だったが、職員は親切にも近くの他の病院を紹介してくれた。

    しかも、その病院の前まで案内してくれた。

    今どきこんな事までしてくれる職員は珍しい。

     

    丁重に礼を述べて別れ、その紹介先の病院を訪ねた。

    院長には会えなかったが、ソーシャルワーカーの人に病室まで案内してもらった。

     

    お世辞にもあまり新しい病院ではなかったが、先程の看取り患者ばかりがいた病院よりは遥かにましだ!

     

    午後には、この○○病院から電話がかかってくることになり、入院の目途が付いた。

    翌日、○○病院に出向き、担当医と話をし、10月24日(月)には入院することになった。

     

    五反田のリハビリ専門病院を退院して、また13日しか経っていなかった。

    この○○病院の担当医から、左大腿骨骨折の手術をした病院の担当医に念のため電話をしてくれたみたいだ。

    案の定やんわりと断られ、そちらの○○病院に入院させてあげて下さいと言われたらしい。

     

    事実上の診療拒否だ!

    しかし、母自ら招いた行為だ!

     

    延命治療は要らない。

    本人は、治療も薬も食事も拒否した。

    これでは手術先の病院で断られても仕方がない。

     

    まず手数のかかる母だ!

    当日はディサービスに行っている施設の介護車を手配してもらい、診察に出向いた。

     

    レントゲン、採血をしただけで即入院となった。

    身の周りの物を持ってきて置いてよかった。

     

    入院先で必要となるものは各病院で違っているので、これも面倒な事の一つだ。

    担当医の話ではかなりの脱水症状がみられると言われた。

     

    もう10月で汗も大してかかない時期に来ているのに脱水症状とは・・・

    やはり、腎機能がかなり低下していることの影響らしい。

     

    北本の病院で手術せずに10日間も痛み止めの薬や注射をしたせいだ!

    左大腿骨骨折が高齢者には命取りの状態になるという典型例だ。

     

    担当医からは相当腎臓が悪化しているし、脱水症状を招いている。

    まず、点滴をして様子を見るしかないと言われた。

     

    一日置いて、母の様子を見に行ったが点滴をしていてもあまり元気がない。

    何日かして担当医に単刀直入に聞いた。

    母は後、どのくらい生きられるのか?と・・・

     

    在宅介護をしても今のままなら長くて1年・・・短ければ半年と言われた。

    あまりの短さに正直驚いた。

     

    そして、又驚かされるのは差額ベッド代だ!

    1人部屋では3万円近くかかると言う・・・相部屋が空くのがいつになるか、まだ分からないと言う。

     

    仕方がないと腹をくくる。

    ソーシャルワーカーの担当者に相部屋に早く移れる様に依頼する。

     

    11月中旬には長男が豊田市から帰省して来た。

    翌日には長男、長女を連れて4人で母の見舞いに行った。

    母は長男の事が殊の外お気に入りで顔を見せるだけで喜ぶ。

    久しぶりに笑顔を見た。

     

    母を見舞った翌日には長男が彼女を家に連れて来た。

    大人しい感じの良い子で早く結婚してくれないかなぁと心底思った。

     

    母は点滴と投薬で大部元気になった。

    丁度、1ヵ月余りで退院できた。

    11月24日になっていた。

  • 又、リハビリ病院へ戻った!今度のリハビリの効果は?


    平成28年8月2日(火)又五反田のリハビリ専門病院に転院した。

    まず、差額ベッド代に驚かされる。

    1週間ぐらいで4人部屋に移れたのでホッとする。

     

    今度は少し、まともなリハビリが出来る様になった。

    しかし、歩けるのはほんの7~8mぐらいだ!

     

    しかも脇に看護師が付いていないと危ない。

    これを1日に何度か繰り返す。

     

    病院側も貧血と腎機能の低下を恐れてか、母にはあまり負荷のかからないリハビリしかしない。

    2~3日に1回は見舞いに行き、リハビリの様子と効果を見てくるのだが、目立った効果は現れてきていない。

     

    本当にこれでまともに一人で歩けるようになるのか?

    不安がよぎる。

     

    月に2回は医師と看護師を交えて面談を行った。

    医師ははっきりと言う。

    普通の人と同じ様な負荷をかけてまだリハビリはできない。

     

    貧血状態と腎機能の働きを見ながらリハビリを続けるしかない。

    前回よりは状態が良くなっているので当院でも再入院を受け入れた。

    徐々に機能回復訓練を続けて行くしかないと・・・

     

    兄夫婦の子供たちが見舞いに来てくれた。

    私達の子供も見舞いに行く。

     

    親戚や近所の人はもう来てくれない。

    リハビリ専門の病院などあまり知らない人が多い。

    第一電車に乗らなければ無理な場所だ!

    前の病院の様に気軽に歩いて来れる場所ではない。

     

    おまけに、これだけ何度も入・退院を繰り返していれば見舞いに来てくれる人も回数も減ってくる。

     

    リハビリ担当の人達が優しいのが何よりの救いだ。

    母も今度は嫌がらずに訓練に臨んでいる。

    前回は全く効果の出ない内に手術先の病院に逆戻りしてしまっていたから・・・

     

    1ヶ月以上入院し、訓練を続けやっと12~13mぐらいは1人で歩ける様になったかな?

    退院の日取りなどが話に出る様になった。

     

    10月11日(火)退院!

    自宅に戻る。

     

    自宅ではトイレまで歩いて行くのがまだ危ないというので、病院側から室内で簡易トイレで用を足す様に勧められた。

    便器の清掃などは当然の様に私の担当となった。

     

    左大腿骨骨折をする前に通っていたディサービスの施設に漸く退院できた旨を伝えた。

    ケアマネージャーが来てディサービスをいつからにするか、などの話をする。

    まずは紙おむつの手配をお願いした。

     

    これまた、普通の後期高齢者より高い料金となる。

    去年、田舎の家屋を売却し収入があったためだ!

     

    仕方がないとあきらめるしかない。

    こんな時に限って左大腿骨骨折などと余計な事故を引き起こしてくれる。

     

    しかし、程なくして母の容態が又、おかしくなった。

    ディサービスに行くどころの話ではなくなってしまった。

     

    胸の苦しさを訴えてくるようになった。

    すぐにかかりつけ医に往診を依頼する。

     

    ちょっと診察しただけで直ちに入院を勧められた。

    入院先の紹介状を書いてもらい下見に出かけた。

     

    紹介先の病院はすぐに見つかったが、かなり古い建物で陰気臭い。

    頼み込んで院内を見学させてもらった。

     

    不気味なほど静かで良く見ると、何人もベッドに横たわっている。

    職員から話を聞くと、ほとんど看取りの患者ばかりだと言う。

     

    これでは母に気の毒だ!

    認知症が治癒してからは母の意識ははっきりしている。

     

    まだ看取りの段階ではない。

    しかも値段を聞いて、又驚いた。

     

    ただ、寝たきりの状態で月々40万円近くの出費が必要となるらしい。

    これではとても我が家の収入では無理だ!

    いつまで介護が続くか、はっきり断定できない。

    事情を話し、はっきり断って他の病院を紹介してもらった。

  • リハビリ専門病院へ転院!差額ベット代・輸血・延命措置の確認しかし、母の容態は?

    リハビリ専門病院へ転院!差額ベット代・輸血・延命措置の確認しかし、母の容態は?

    頭の痛い話ばかりが続く。
    平成28年6月22日、手術後の病院からそのまま介護タクシーに乗り、五反田のリハビリ専門病院に転院。検査の後、面談した担当医からは腎機能の悪化と貧血が酷い状態なので初日からのリハビリはまず無理である旨告げられた。
    手術した病院からの診察データを渡していたので、容易にその事態は推測出来たが…。
    しかし、それは仕方がないとして、まず頭を抱えたのは差額ベッド代だった。

    リハビリ専門病院へ転院!差額ベッド代の高い事!

    1人部屋なので極めて高い。1日で3万円以上かかる。 
    1ヶ月も居たら90万円以上か!

     

    これにはため息と共に頭を抱えた。
    そして、この差額ベッド代にはこの後、何回も入・退院を繰り返したので本当に大変な負担額に。

     

    去年、田舎の家屋を売却し、幾ばくかの収入があったので一時所得申告をしていた。
    そのため治療費の負担額割合も後期高齢者なのに1割から2割に上がっていた。

     

    ほんの1割上がっただけなのに何度も入・退院を繰り返すと結構な負担増となる。
    その後の在宅介護でも医療器具を自宅に備える時に通常より高い負担となった。

     

    それよりも何よりも差額ベッド代の負担が大きい。
    後期高齢者の保険料負担が2割に上がった事とは無関係に家計に響いてくる。
    幸い、1週間ぐらいで4人部屋に転室できたので、取り敢えずその憂いは無くなったが…。

     

    しかし、リハビリの効果は容易に上がらない。
    何回か、担当医とリハビリ担当者を交え面談を行った。
    そして、母の経過状況は極めて悪いとの報告を受ける。

     

    いきなり輸血が始まる

    ある日、見舞いに行ったら鼻に管を入れられ、輸血用の管を腕に刺されていた。
    貧血状態がかなり重篤であると告げられた。

     

    この病院での貧血の治療と腎機能の治療は限界があり、このままでは無理なので、手術先の病院への転院を又、勧められた。

     

    大したリハビリもできない内に3週間余りで手術先の病院に戻ることに。
    又、介護タクシーである。
    日記を見ると7月12日だった!

     

    暑い盛りである。
    入・退院を繰り返すだけで結構な身の回りの物を運ばねばならない。

     

    入・退院の手続きは何度やっても慣れない。
    第一に手続きが非常に面倒臭い。

     

    そして、必ず付き添いは私である。
    正直言って辛い、本当に体がしんどい。

     

    結局、逆戻りだ!
    先が思いやられる。

     

    そして、入院当初は必ず差額ベッド代で始まる!
    頭の痛い話ばかりが続く。

    延命措置をどうするか

    転院してすぐに、担当医師に又尋ねられる。
    延命措置をどうするか?

     

    腎臓透析はしない。
    これは再確認した。

     

    危篤状態に陥った時は心臓マッサージはする。
    説得をして輸血もする。

     

    しかし、母は又、元の病院に戻った事で半ば投げやりな状態になっていた。
    治療拒否に近い態度を取った。

     

    食事を受け付けない。
    薬も飲まない。

     

    医師も看護師も母を持て余す。
    私達の説得にも耳を貸さない。

     

    私は抗うつ薬を飲まないともう眠れない状態に逆戻りしていた。
    親戚の者が見舞いに駆けつける。

     

    兄夫婦が見舞いに来る。
    近所の人達も来てくれた。

     

    いろいろな人の説得が功を奏し、漸く少しだがやっと食事をする様になった。
    薬も飲むようになってきた。
    自分でも餓死する覚悟などはできていなかったと思う。

     

    3週間余り入院して、又、五反田のリハビリ専門病院に戻れるまでに回復した。
    しかし、この時母の取った態度が、この病院への入院を以後事実上断られる羽目になった。

     

    はっきりと診療拒否された訳ではない。
    医師法上、それは出来ないはずだ!

     

    しかし、やんわりと他の病院への入院を勧められた。
    以後、この病院へは入院していない。

     

    この後、母は入・退院を何度も繰り返すこととなる。
    しかし、この病院での受け入れを事実上、拒否されることになったことへの自覚がまるでなかった。

     

    港区の病院へ何度も入院することになるのだが、「こんな知らない病院じゃなくて、なんで家の近くのあの病院へ入院しないの?」と聞いてくる。

     

    あまりの無頓着さに呆れて返す言葉が見つからない。
    一度、認知症を発症すると、ここまで鈍感になってくるのか。
    先が思いやられる。

     

  • 長い闘病生活が始まった!老々介護できるのか?


    5月10日(火)2時間に及んだ手術も終わった。

    その間、私は座っていられず、ベンチで横になって終了するまで待っていた。

    体調は相変わらず良くない。

     

    手術が終わりやっと面会が許された。

    私と兄嫁が集中治療室に入った。

    母に問いかけたが、返事はただ「痛い!」「痛い!」と繰り返すだけ・・・

     

    とても会話ができる状態などではなかった。

    痛み止めの注射などでは治まらない程の痛みがあるらしい。

    しばらく母を見つめていたが、話すことは諦めた。

    私と兄嫁は程なくして退室した。

     

    私は兄嫁に手術に立ち会ってくれた事に謝礼を言い、別れ自宅に戻った。

    戻って暫くはじっと横になって休んでいた。

     

    妻が仕事から戻ってくるまで横になっていた。

    疲れて何もする気力が湧いてこない。

    手術の経緯を妻に話すのがやっとの状態だった。

     

    入院する時と手術の前に医師の方から色々説明を受けていた。

    やはり手術まで10日も間を置いた事がかなり良くなかった様だ。

    痛み止めの薬や注射で腎機能がかなりダメージを受けていると告げられた。

     

    貧血もかなり酷い状態であり、手術には輸血も行われた。

    もっと若ければ腎臓透析の処置が必要なぐらい腎機能が悪化しているとの旨。

    腎臓透析が出来る様な手術をするか、どうかの判断を迫られた。

     

    母の意識の回復を待って、その気持ちを聞いた。

    「延命措置は望まない」とはっきりと答えた。

    私達も同意見だった。

    兄夫婦にも聞いたが同意見だった。

     

    医師にその事を告げるとあっさりと承知した。

    もう94歳になる母の年齢からして、腎臓透析が出来る様な手術をする事自体、かなり危険が伴うと認識していたらしい。

    認知症が劇的に治った後も母の日頃の言動からして延命措置は望まないだろうと推測は出来ていた。

     

    執刀医の説明は早口で専門用語ばかり駆使して喋るので容易に理解出来なかった。

    私一人の頭では無理なので、出来るだけ妻に同席してもらい説明を受けた。

    結局、術後はリハビリ専門科がないので、経過を見てリハビリ専門の病院への転院を勧められた。

     

    6月22日に五反田のリハビリ専門病院に転院するまで1か月以上入院していた。

    転院するまでは入院先のソーシャルワーカーに随分と相談した。

    親身になって相談には乗ってくれたのは幸いだった。

     

    手術後、暫くして母の痛みは治まっていった。

    しかし、私の体中の痛みは治まっておらず、すぐ近くの入院先なのに見舞いに行くのがかなり苦痛であった。

    毎日の様に見舞いに行ったが、近所の人の見舞いが何よりの励ましになった。

     

    兄夫婦も、兄夫婦の子供達も見舞いに来てくれた。

    親戚の者も来てくれた。

    私達の子供も当然に見舞いに行き励ました。

    この頃の母はまだ足を治そうとの意欲を見せていた。

  • 母が田舎の駅で転倒!左大腿骨骨折!…どうなる一体?


    平成28年4月27日(水)昼頃

    母、北本駅にて転倒!左大腿骨骨折!

    搬送先の救急病院から電話が自宅に入った。

    またか!

    思わず声が出る。

     

    とうとう最悪の事態が起きてしまった。

    埼玉の自宅を売却したのに母の田舎通いが終わることがなかった。

    足腰が大部衰えてきて手押し車を押してやっと歩いている様な状態だったのに・・・

     

    生まれ育った土地がそんなに良いものなのか?

    私には到底理解出来なかった。

    何の魅力も感じていない土地だったから・・・

     

    私はもう66歳になっていた。

    体調はまだ最悪の状態だ。

    これで、又母の面倒を見なければならないのか!

     

    正直言って勘弁して欲しかった。

    老々介護とは高齢者を65歳以上の高齢者が介護している状態を指す。

     

    老々介護にも二種類ある。

    高齢者の妻が高齢者の夫を介護する。

    65歳以上の子供がさらに高齢の親を介護する。

     

    私の場合は言わずもがな・・・

    体調が良い時でもしんどい事なのに、この状態で介護しなければならないのか!

    本当に絶望感に襲われた。

     

    母は一人で妹の家に遊びに行き、東京に帰る途中、北本駅で転倒し救急車で○○病院に緊急搬送された。

    長い、長い老々介護の始まりだった!

     

    高齢者が何かの拍子で転倒し足などを骨折すると大体命取りになる。

    近所ではそんな人が何人もいた。

    重々、分かっていたはずなのに何でこんな事になるのか?

     

    又、私が母を迎えに行かねばならなくなった。

    本当に辛い。

    体調が全く優れない。

     

    とにかく金や保険証を持って駆けつけた。

    しかし、医師の説明をまたも落ち着いて聞いていられない。

    立ったり座ったり、椅子に長く腰かけていられない。

     

    説明の半分は聞き流していた。

    聞いていられないのだ!

    ちょっと難しい話になると油汗が出てくる。

     

    辛かった。

    理解しようとするのだが、頭が働かない。

    こんな状態で母の介護を又しなければならないのか?

     

    困ったことに母は○○病院での手術を嫌がった。

    早く手術しないと手遅れになるのだが・・・

    今度ばかりは認知症再発の危険云々を言っていられないのだ。

     

    結局、10日間入院して東京の病院で手術することになった。

    入院先を決めるだけでも大変なのに、もう10日間も経ってしまっている。

     

    しかも普通の搬送はできない。

    介護タクシーで寝たまま東京の○○病院に搬送することになる。

     

    それには早朝にこの田舎の病院に来て母を介護タクシーに乗せねばならない。

    その自信が私にはない。

    不眠症から早起きなどできないのだ!

     

    仕方がなく妻に代わって行ってもらう事になった。

    又も妻の力を借りないと何もできない。

    私は転送先の病院で母と妻の乗る介護タクシーが到着するのを待つことにした。

     

    後で、妻から言われ「しまった!又やってしまった!」と感ずる事があった。

    私は母の健康保険証を持って行ったが、後期高齢者の手続きをしていなかった。

    そのため退院する時、40万円以上の治療費を請求される羽目になった。

     

    私の頭の働きはそのぐらい鈍っていた。

    手続きをし直し、10数万の支払いで済んだとの事だった。

    妻からは一瞬頭が真っ白になったと聞かされた。

    赤面の思いだ!!

     

    しかも、この10日間の遅れがあとで決定的に重篤な事態を引き起こす事となった。

    左大腿骨骨折の手術はこの3日後だった。

    9時から始まり、11時までかかった。

  • 平成26年~27年!私の体調最悪!…一体どうなる?


    年が明けても私の体調は一向に良くならなかった。

    不眠と過眠を繰り返し、朝起きるときは体中が痛い。

    どこの病院に行っても治らない。

    もっともらしい病名ばかりが告げられるが治療の効果は一向に現れない。

     

    2月9日(日)積雪27cm!

    何十年振りだろう?

    こんなに積もるなんて!

    家の前の道路で外人さんのベンツが立ち往生!

     

    通りがかりの人達5~6人で助け出してやった。

    体の調子が良い時はこんな事も出来た。

     

    しかし、2月下旬、朝、起きるのが辛い。

    体のあっちこっちが痛い。

    特に肩が・・・腰が・・・首の後ろ・・・股関節の痛み・・・服が着づらい。

    体操も出来ない。

     

    風呂に入りづらい。

    右手のマヒが治らない。

    左手の小指まで痛み出した。

    右手、左手の強張りが治らない。

     

    左手もよく握れなくなった。

    悩みに悩む。

    入院して治るものなら入院したい。

    精神病院しか入る所はあるまい。

     

    去年は夏の暑さが体にこたえた。

    今年は冬の寒さがこたえる。

     

    運動不足で便秘に悩まされる。

    睡眠薬が効きすぎて午前中、フラフラしている。

     

    過眠と不眠を繰り返している。

    そして過食が止まらない。

     

    絶不調! 寝不足! 関節の痛み!

    誰か何とかしてくれ! 体中が痛い!

    1人で心の中で叫んでいた。

     

    うまくしゃがむ事さえできない!

    どうなってしまったんだ!

    自分の心と体は?

     

    5月で傷病手当金も切れる。

    先々の不安に駆られる。

     

    4月7日、親指が痛く、字が書きづらい

    こんな訳の分からない状態は生まれて初めての事だ!

     

    4月18日(金)長男の入社試験・・・名古屋にゆくという。

    トヨタ自動車の試験だ。

    何にも力になってやれない。

     

    不安と焦りにかられる。

    玄関先にて見送る。

    頑張れとしか言えない。

    もどかしい気持ちを抑えきれない。

     

    4月22日(水)トヨタ内定

    ホッとする。

     

    自分の方は歩いてフワフワしている。

    足に力が入らない。

    無気力、虚しさ・・・生きている事の虚しささえ感じる事がある。

     

    4月24日 どうしようもなく気分が落ち込む。

    何もする気が起きてこない。

    新聞が読めない、スポーツ記事もダメ・・・

    長谷川、山中世界タイトルボクシング記事も落ち着いて読めない。

     

    4月26日 二日続いて寝不足 すっかりおかしい。

    ・長い・・・長い・・・低迷状態が続く。

    8月28日(木)昼頃、とうとう救急車で広尾病院へ運ばれる。

    小便が止まらない様な感覚で猛烈な吐気とめまいに襲われた。

     

    発作が起きた。

    一旦、発作は治まり自宅に戻った。

    しかし、夕方再び発作が起こりタクシーで同病院へ駆けつけ、診察してもらった。

     

    精神科医の質問にまともに答えられない。

    立ったり、座ったり、横になったり、とにかく尋常な状態でなかった。

    辛くて、苦しくてジッとしていられない。

     

    2本立て続けに注射を打ってもらい漸く発作が治まった。

    注射の成分は何だったのだろう?

    聞いたが、もう忘れてしまった。

     

    そんなに大した注射ではなかったはずだ!

    でも完全に心のバランスを欠いている。

     

    9月に彼岸で父の墓参りに行ったが、帰りに又発作に襲われた。

    途中下車をしてトイレに駆け込む。

    小便垂れ流しの感覚!

    8月に救急車で運ばれた時と同じ感覚!

     

    この後も発作は何度も起きた。

     

    10月・・・母の印鑑証明書を作成するのに一人でできなかった。

    妻に一緒に行ってもらった。

    人前に出るとおどおどして落ち着きがなくなる。

    発作に何度も襲われるようになった。

     

    私が最悪の状態の時、11月19日(水)母、田舎で自宅内で転倒。

    右の鎖骨を折ってしまったらしいと、伯母より電話があった。

    翌日、やっとの思いで母を北本の北里病院へ連れて行く。

     

    本当に疲れを感ずる。

    医師の説明も座って聞いていられない。

    立ったり座ったり、とにかく自分に落ち着きがない。

    人の話を大人しく聞いていられない。

     

    私は入院してもらった方が助かる。

    入院しなければ、また自分が面倒を見なければならなくなる。

    もう今の自分では母の面倒を見きれない。

    車を手放していて田舎に行くだけで一苦労している。

     

    又、医者が手術を嫌がっているのが良く分かった。

    認知症が再発する危険性が極めて高いのを医者は恐れている。

    ほぼ確率として100%に近いと医者は思っているらしい。

     

    しかし、こんな田舎では車がないと通院もできない。

    この頃の私は母を迎えに行くだけで非常に苦痛を感じていた。

    とにかく疲れる。

    とても体がもたない。

     

    結局、3~4日後、東京に連れ帰ることにした。

    都内の病院で診てもらい、自宅近くの大病院に通院させることにした。

     

    すぐにリハビリが必要と言われた。

    幸いな事に、骨折後10日ぐらいしてディサービスにも行けるぐらいに回復した。

    症状は比較的に軽かった。

    救われた!

     

    リハビリはしばらく続けていたが、大した事がなくて良かった。

    しかし、自分まで母と同様に病院通いか!

    情けない!

     

    体調は一進一退だ!

    へバーデン結節・・・右手の中指が少しは曲がる様になった。

     

    太ももの痛み、大地に引きずり込まれるような辛さ・・・。

    何と形容してよいか分からない。

     

    休養が必要なのは分かっている。

    しかし、あまり休めば足腰が衰えてしまう。

    完全にジレンマに陥った。

     

    平成26年は平成25年と同様に酷い年で終わった。

    平成27年には声もかすれ、良くしゃべれなくなってしまった。

     

    H27年、3月頃、母親が田舎の土地売却を決意する。

    助かる!!

    これで、この忌まわしい土地の事でもう悩まなくて済む。

     

    契約はスムーズに終わった。

    しかし、引き渡し、決済までに一人悶着、二悶着があった。

    母が妻に「あんたに実印は渡してあった」と言いひと騒動!

    結局、母の勘違いで実印は自分で持っていた。

    妻は怒鳴られたことで、すっかり気分を害していた。

     

    白アリが出たことで追加の費用が発生!

    町役場と交渉に当たった不動産屋は7~8回役場に出向いたと言っていた。

    農地を売却して利益を取得すると見られて大部てこずったらしい。

    私だったら、町役場に泊りがけで7~8回も行っていられなかった。

     

    最後には本当に母が実印を失くしてしまい、三文判を実印に変更。

    印鑑登録変更、印鑑証明書を発行、受領でやっと決済を終えた。

    ホッとする。

    これで母が田舎に行く回数も減る事だろう。

     

    3月17日(火)母埼玉から帰る。

    不動産屋に車で送ってもらって帰って来た。

    現金なもんだ!

    こういう事だけはしっかりしている。

     

    平成27年3月25日:長男の卒業式

    3月26日には豊田市へ巣立って行った。

    自分は何にもして上げられなかったが、良く素直に育ってくれたと思う。

    みな妻のおかげだ!

     

    6月には妻が税理士に聞きながら、土地を売却した税の申告を全部行った。

    これで問題がひとつ解決した。

     

    しかし、母の田舎通いが終わった訳ではなかった。

    それが最後には命に係るような事態を引き起こした。

     

     

  • 平成25年3月末、会社退職!認知症が治った母の生活は?


    私は結局、平成253月末に退職した。

    苦労して手にした職だったが、命には代えられない。

     

    我慢して仕事を続けていれば、いずれ自殺願望に襲われる気がしていた。

    そこまで苦労して仕事を続ける意味はないと思った。

     

    母の認知症が劇的に治っただけで充分だ!!

    今は自分の心と体を休め、再起を期すべきと決心した。

     

    母は多い時では週4回もディサービスに通う様になっていた。

    1人で電車に乗り、一人で田舎に帰れる様になった。

    1人で田舎でしばらくは暮らせるようになった。

    もう、これで充分だ!!

     

    後は焦らずに自分の心と体を治そう。

    一度だけ母に聞いた事がある。

     

    「昼間から、俺が仕事にも行かずに家にいるのが気にならないのか?」と・・・

    母、曰く「干渉しないようにしている」とだけ答えた。

     

    私は何も言う気力がおきなかった。

    一つ屋根の下に暮らしているのに、干渉するもしないもないだろう。

    無関心でいられる神経が分からなかった。

     

    母の道楽みたいな父の墓参りにはもう同行すまいと誓った。

    以来、母とはますます口を利かないようになった。

    世帯は同じだが、赤の他人と大差ないなと感じた。

     

    これがここまで心と体をおかしくし、介護した人間に言える言葉なのか?

    母の態度には以前から失望していたが、この時からその思いが一層募った。

     

    昨夜は完全におかしくなった。

    脳みそがグルグルと回っている様な感覚になった。

     

    原因は良く分からないが、かなり、おかしい。

    無職となり、僅かばかりの年金生活になってしまった。

    子供に小遣い銭もやれなくなったのが情けない。

     

    妻が色々と調べてきて、どうやら自立支援医療制度を受けられる事が分かった。

    この認定が通れば心療内科でかかる費用が無料になる。

    随分と助かる。

     

    信頼していた医師ではないが、この制度の適用が受けられるまで治療に通うことにした。

    睡眠薬を貰うだけの事だ!

    この医師に多くの事は期待していない。

     

    診断書を書いてもらうために、今ここで医者を代える訳にはいかなかった。

    自立支援が受けられるまでの辛抱だ!と我慢した。

     

    認定には2~3ヶ月かかる様だ。

    自立支援の書類は油汗を流しながら書き上げた。

    たいした書類でもないのに・・・

     

    この頃はちょっと面倒な書面を見るだけで、頭がクラクラしていた。

    そして何もしなくても腹だけは減る。

    恨めしい話だ!

     

    だが、食欲があるだけ、まだましなのだろう?

    本当におかしい時は食欲も無くなり、考えが支離滅裂になる。

    自殺願望の危険性さえ出てくる。

     

    失業保険の受給延長申請や自立支援医療制度の申請も終わった。

    パニック障害というやつか?

    おかしい・・・何かおかしい・・それが良く分からない。

    言葉にならない、できない。

     

    精神安定剤を飲んでやり過ごす。

    それでもダメな時は抗うつ薬を・・・しかし治まらない。

    苦しい・・・

     

    ひと頃の母みたいではないが、一人で頭の中で童謡を歌っている時があった。

    完全におかしい。

     

    娘が妻と出かけスマホを購入してきた。

    自分だけ時流に取り残されている気がした。

    私だけまだガラ携だ!

    アイフォン、スマートフォン、アイパッドの違いなどが良く分からない。

     

    過眠と不眠を繰り返している。

    朝、起きると腕、腕の付け根、太もも、腰骨の付け根が痛い。

    6月の中旬だというのに窓から吹き込む風に足が冷える。

    かなりの冷え症だ。

     

    7月に入ると訳も分からず、1人でのたうち回る時があった。

    抗うつ薬も精神安定剤も効かない。

     

    ダメだ!

    人前に出ると胸苦しくなる。

    気持ちが悪くなるほど気分が落ち込んでしまう。

     

    やり過ごすしかない。

    やはり、鬱病なのか?

     

    このまま消え去りたい様な衝動に襲われる。

    自分で自分の気持ちに説明がつかない。

     

    どうしようもなく気が滅入ってゆく。

    耐えられず、たった一人の友人宅に電車に乗って出かける。

    世間話をして帰って来ただけ・・・自分の心と体の事は話せない。

    しかし、少しは胸のつかえが下りる。

     

    線維筋痛症治験のチラシをみて思わず電話を入れる。

    自殺を図った事があるか、と聞かれ思わず笑ってしまった。

     

    後で、ネットで調べて分かった。

    死にたくなるほどの激痛に襲われる病気らしい。

    私の体中の痛みはそこまで深刻ではなかった。

     

    しかし、体中が痛い。

    幾つもの整形外科病院へ行くも原因が分からない。

    投薬と湿布薬だけ貰って終わり・・・。

     

    この頃は病院通いばかりだった。

    レントゲン代もバカにならない。

    MR検査に至っては・・・もうため息しかでない。

     

    病名を告げられても対症療法だけ・・・

    根本的解決にならない、治らない!

     

    夏の暑さは図書館に行くことなどで乗り切った。

    何か、資格でも取ってまた、再就職を目指そうか、などと考え本を開くが全く頭に入ってこない。

    無理をするとまた鬱状態が酷くなってしまう。

     

    途中で断念した。

    今度は右手が良く握れなくなった。

    また、頭を鷲づかみされるような不快感に襲われることがある。

     

    何かを考えようとするが、まとまらない。

    悲観的な方にばかり考えが行ってしまう。

     

    116日(水)、妻の父親が亡くなった。

    弘前での葬式には出席できなかった。

     

    頭を鷲づかみされるような不快感が去らず、眠れず長距離の移動が困難な時期だった。

    済まないと思いながら、妻には一人で葬式に行ってもらった。

    私はとても泊まり込みで、外出できる様な状態ではなくなっていた。

     

    妻が葬式に出席するために弘前に出かけた翌日に、母は「田舎に行って来ますからね。行って来ます!」と大きな声をだして元気に出かけて行った。

    正直、助かる。

    私は母の食事の世話をするのも面倒な状態になっていた。

     

    右手のマヒは「へバーデン結節」と診断された。

    診断結果は出ても治療法はないとの事。

    病名ばかりを知っていても頼りにならない。

     

    ネットで調べるが確かに原因、治療法も良く分かっていないらしい。

    中年の女性に多いらしいが、病名などどうでもいいから早く治してほしい。

    切なる願いだ!

     

    途方に暮れる。

    自然治癒力に頼るしかないか。

     

    こうして平成25年は散々な結果のまま終わった。

    母の認知症が劇的に治っただけでも良しとせねばなるまい。

    どうやら自分の心と体は自分の力で治すしかないらしい。

     

    医者や薬も真に頼りにはならない。

    根本的解決にならない。

    自分の力を信じるしかない。

  • 私は4月1日から会社へ勤務!母の介護は誰が見る?大丈夫か?


    私は4月1日から不動産関係の会社へ就職した。

    嘱託だから正社員ほどの待遇ではない。

     

    しかし、アルバイトよりは遥かにましだ!

    もう、母の介護だけやってる訳にはいかない。

     

    2~3日だが研修もあった。

    私にはやっとこれで新生活が始まったという気がした。

     

    4月の中旬には妻が母を連れて田舎に行ってくれた。

    本当に助かる。

    妻には感謝してもしきれない。

     

    私が週末の土曜日に車で2人を迎えに行き、荷物を積み自宅に戻って来た。

    母は5月に、田舎の妹の家に行くと妻に言ったらしい。

     

    妻が「今度は送って行けないよ」言うと、「いいよ。大丈夫だよ。」と答えたらしい。

    どれまで頑固で強情なのか、底が知れない。

     

    また、「研究して行く気らしい」・・・

    呆れる。

    ちょっと良くなるともうこれだものなぁ・・・

     

     

    新しい仕事は結構忙しく慣れるのに苦労する。

    もう、母の事だけに構っていられない状況になって来た。

    ・この間の1年間はもうあまり記憶にない。

    幸いにも母が認知症発症から9ヵ月を過ぎた頃から次第に落ち着いて来ていた。

    ディサービスは週3~4回行き出していたし、田舎へも一人で行ける様になった。

     

    愚痴っぽいのと二言目には「生きていても仕方がない。」「早くあの世に逝きたい。」との口癖は治らなかったが、1人で田舎に帰れる様になったのは正直驚きだった。

     

    母を強制退去させた病院の院長は、母が1人で田舎に来れる様になったのを見て心底驚いたらしい。

    一人で歩いていたのを見て信じられなかったそうだ。

     

    やぶ医者め!

    高齢者に不必要な投薬や治療ばかりして病人をかえって作り出している。

    ふざけた奴だ!

     

    金の亡者だな。

    医者を何年やっても認知症の何たるかも分からない出来損ないだ。

     

     

    母の様に急激に発症した認知症は初期に適切に対応すれば劇的に良くなることが有るという実に稀なケースだった。

    医者も驚いたぐらいだから・・・

     

    しかし、それと引き換えに、私の方は極度の不眠症から鬱状態を発症し、今でも不眠症は完治していない。

    何よりもこの状態が新しい仕事に慣れさせることの妨げとなってしまった。

     

    毎日のように来るクレーム処理とパソコンのスキルがあまりない私には激しいストレスを感じると共に入金処理ができない焦りから、すっかり仕事に自信を失ってしまった。

     

    仕事は落ちこぼれの状態になってしまい・・・休みがちになってしまった。

    予期せぬ出来事だった。

     

    極度の不眠症で疲れの取れぬまま仕事に出かけていたので、新しいことが良く覚えられない状態になってしまった。

     

    それと賃貸物件を現地調査に行くこと自体がかなり体力を消耗することで、不眠症で疲れの取れていない私にはかなりの負担となってのしかかってきた。

     

    夏の暑い盛りにはフラフラになって現地にたどり着くのがやっという様な状態になってしまった。

    又、冬の寒さも体にこたえた。

     

    すべてに渡って仕事を続けるのが困難となってきた。

     

    車の運転が苦手な私には急を要する漏水事故などで現地にすぐ駆けつけるということも出来ない。

    道も覚えられない。

     

    結果、せっかく手にした仕事も3年ほどで退職を余儀なくされた。

    これは予想外のショックな出来事で私は完全な鬱病となってしまった。

     

    この状態は母の介護から解放される2017年(平成29年)の10月頃まで続いた。

    いや、解放された後も正直、3か月間ぐらいはおかしかった。

     

    ようやく社会復帰できたのは2018年(平成30年)の1月頃からだ。

    今から数えても、まだやっと数か月しか経っていない。

  • 2000匹以上のヒアリ発見!NZだけなぜ絶滅に成功したのか?

    ★2000匹以上のヒアリ発見!

    火蟻と漢字では書く。南米大陸原産の毒アリ。

    6月12日、大阪港に陸揚げされたコンテナから2000匹以上のヒアリが見つかりました。
    環境省によると、このコンテナは中国から運ばれてきたもので、作業員ら2人がヒアリに刺されているが症状は軽いものらしいです。

    世界の外来種ワースト100選定種で、特定外来生物にも指定されています。
    英語名は“Red imported fire ant”

    人間が刺されても死ぬことはまれで、痛み・かゆみ等の軽度の症状や、体質によりアレルギー反応や蕁麻疹(じんましん)等の重い症状が出る場合もあります。命の危険があるのは、アレルギー症状の中でも特にアナフィラキシーショックが起きる場合で死亡することもあります。そのため殺人アリと呼ばれることもあります。

    ヒアリが天敵アリクイのいない日本で繁殖!?

    大阪で発見されたヒアリには女王アリが確認されており、周辺で繁殖している可能性は拭えません。でも、ヒアリは亜熱帯から温暖帯を好んで生息しています。
    日本の寒い冬は、ヒアリにとって越せないのでは?

    ヒアリが日本に上陸したのは中国広東省広州市のコンテナです。
    中国広東省といえば、冬は10℃を下回ることもある地域です。
    そんな場所で生息できるということは、活動が鈍ることがあっても、
    日本の冬は越せるということなのではないでしょうか?

    去年、国内で初めて確認された強い毒を持つ「ヒアリ」の対策について、環境省は関係省庁と会議を開きました。
    強い毒を持つヒアリは去年6月に国内で初めて確認されて以降、各地で見つかっています。
    夏を迎えるにあたり、今年もヒアリの確認が予想されることから、環境省や国土交通省、農林水産省など各省庁の担当者が集まって会議を開きました。
    会議では、今年もヒアリの生息地からの定期航路を持つ全国68の港の調査を実施することや国民向けに周知するパンフレットの内容を大幅に改定することなどを確認しました。

    〇東京都の調査

    一方、東京都は去年、強毒のヒアリが見つかった東京港周辺にある18の公園などで、来月から目視による確認調査を行うことを決定しました。
    調査は東京港の3つの埠頭(ふとう)から約2キロの範囲にあり、人が多く集まる17カ所の公園と中央防波堤埋立処分場で行われます。

    ヒアリの定着を調べるため、アリがいそうな場所に餌(えさ)をまき、時間をおいて目で確認するということです。
    ヒアリは去年6月から全国各地で発見が相次ぎ、東京港の大井ふ頭では7月に陸揚げされたコンテナの中から見つかりました。
    また、青海埠頭では舗装された地面の亀裂で「アカカミアリ」が発見されています。
    公園などの調査は、10月から11月にかけて再度行われます。
    都は、ヒアリに似たアリを発見した場合は手で触れずに自治体などに連絡するよう呼び掛けています。
    去年、国内で初めて確認されて以降、各地で見つかった強毒のヒアリについて、環境省は「国内では定着していない」との見解を示しています。
    強い毒を持つヒアリは去年6月に国内で初めて確認されて以降、これまでに東京都や大阪府、福岡県など12の都府県で合わせて26例見つかっています。

    〇環境省の対策

    環境省は対策として、去年7月からヒアリの発見場所から周辺2キロ圏内でトラップを仕掛けるなどし、生息調査をしてきました。
    その結果、「国内でヒアリは定着していない」との見解を示しました。
    環境省は今後も、ヒアリ生息地からの定期コンテナ航路を持つ港などで調査をする方針との旨。

    〇この程度の対策で本当に大丈夫なのでしょうか?
    ・アカカミアリ           ・ヒアリ
    ・体長3~5ミリ        ・体長2.5ミリ~6ミリ
    ・脚 お腹 胸に毛が多い   ・お尻が暗色
    ・素人がみてもその違いは良く分かりません。
    〇攻撃性や毒性は強くありません。しかし、刺されると?刺された時の症状!
    ・激しい痛み ・水泡上の腫れ ・じんましん
    ・アナフィラキシーショック
    怖いのがアナフィラキシーショックですね・・・でも、今のところこのアカカミアリに刺されて亡くなった方はいないようです!

    〇刺された時の対処法?

    まず痛みの感じるとこに針など刺さっていれば抜きます!
    無理に抜いたりはかえって危険なので気を付けてください。
    アナフィラキシーショックなどの症状が現れ動けない時はすぐに救急車を呼びましょう! 動けるなら医療機関へすぐに受診をして下さい!

    〇刺される前にアリを駆除する方法は?!
    ・熱湯をかける
    ・スプレーでの駆除
    アリの巣ころりとかは効果が薄いそうですね
    環境省もスプレーでの駆除をオススメしています。
    家の近くでもし発見したら市役所や公共機関に連絡することが大事ですね!
    応急対処として殺虫スプレーもいいかもしれません!
    アカカミアリは攻撃性は弱い。毒はあるがヒアリよりは弱い。亡くなった例はない。 ヒアリは強毒!!

    〇初期対応が大事

    ヒアリは1930年代にアメリカに侵入・定着したあと、カリブ海、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、中国などにも侵入・定着するようになりました。
    その中でもアメリカはもっともヒアリへの対応を誤ってしまった国だそうです。

    まずアメリカはヒアリの繁殖力や生命力などを知らずに、初期対応を怠ってしまいました。
    そして当時はヒアリの確かな駆除方法が確立されていなかったということも、ヒアリ定着のひとつとして挙げられるみたいです。
    初期対応を日本が誤らなければヒアリを日本に定着させないようにすることも可能みたいです。

    〇なぜ、ニュージーランドだけ絶滅に成功したか?

    世界の中でヒアリを根絶させた国がありました。その国はNZ:ニュージーランド!!
    しかもニュージーランドでは何度もヒアリの侵入を許しているのに、その度に根絶させることに成功しているそうです。

    ニュージーランドのヒアリへの対応はめちゃくちゃ徹底されているそうで、ヒアリの発見された場所から1キロ圏内をハイリスク定着エリアと定め徹底的にモニタリングした、さらにその5キロ圏内を要注意エリアと定め調査を徹底しているそうです。
    そしてヒアリのコロニーを発見するとヒアリ対策チームを設置し、薬剤でコロニーを駆除するなど、迅速に対応しているそうです。
    そのヒアリ侵入から根絶までに要した時間が2年、使った予算が1億強ほどだということです。
    ニュージーランドの成功に日本は学ぶべきですね。

    まあ、それでも今のところはそれ程神経質になる状態ではないみたいです。
    でも、夏にかけて繁殖する可能性は高いみたいです。
    用心するに越したことはないです・・・なにせ2000匹という数はかなり脅威的です。