歌手の華原朋美(44)が4日、妊娠6ヶ月で8月に出産予定であることを所属事務所や公式サイトを通じて発表するとともに、優しい表情でふっくらしたお腹をさする写真を公開。子供の父親は外資系会社員で一般人、8月に45歳で出産へ。平成の【お騒がせ歌姫】が令和、早々【母】に なるという。
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華原のお相手は外資系企業勤務の一般男性で、昨秋ごろ知人の紹介で知り合い、すぐに真剣交際に発展したらしい。妊娠判明後も所属事務所をはじめ周囲へ交際報告していなかったが、おなかのふくらみとともにステージ衣装などにも影響が出たことから、先月中旬には親しい関係者に妊娠を報告したという。結婚予定は明らかにせず。
サイトでは、「突然ではございますが、この度、弊社所属の華原朋美が現在妊娠6カ月に入りましたことをご報告致します。8月に出産予定です。お相手は外資系企業にお勤めの一般の方ですので、これ以上の詳細は控えさせていただきます。高齢の妊娠出産ですのでいろいろ心配なこともございますが、温かく見守っていただければ幸いです。今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます」と事務所社長の尾木徹氏の署名で掲載。
続けて「華原朋美コメント」とし「いつも応援してくださってありがとうございます。楽しく穏やかに、お腹の赤ちゃんの事を一番に考えて毎日過ごしています。新しい家族と新時代を迎えられる事もとても幸せに思います。今まで経験したことに感謝しながら、新しい命に力をもらってこれからも歌い続けていきたいです」と記した。
平成の「お騒がせ歌姫」のことだから、また病気か、薬の過剰摂取か何かで激太りしたのかと思ったら、何と妊娠中であることが判明。これは正直言って驚き!45歳で出産か!?根性ある。見直した。いざとなると女性の方が肝が座っているようだ。
関係者によると、赤ちゃんの父親は外資系の企業に勤める一般男性。「昨秋ごろ、知人の紹介で知り合ったそうです」といい、知り合って間もなく子宝に恵まれたようだ。事務所幹部にも妊娠の事実を長らく伝えていなかったという。
発覚したのは4月中旬に参加したイベント。衣装合わせの際、おなか周りや履き物について普段とは異なるリクエストが華原から入ったことで、スタッフが妊娠に感づいたという。
華原は1991年に遠峯(とうみね)ありさの芸名でデビュー。1995年に改名し、昨年引退した音楽プロデューサーの小室哲哉氏(60)に見初められ、彼のプロデュースで歌手として再デビュー。
「I BELIEVE」「I’m proud」などミリオンヒットを連発し、その年の日本レコード大賞など新人賞を総ナメ。96年からの3年連続を含め、紅白歌合戦にも5度出場。
小室氏とはプライベートでも親密交際に発展したが、破局が伝えられた99年5月に芸能活動を休止。度重なる騒動を経て2000年に再び休養。
07年には所属事務所から契約解除され、12年12月に復帰するまで5年の歳月を要した。近年は馬術選手としての活躍も話題を呼んでいた。
いろいろ調べてみたが、父親は外資系の企業に勤める一般男性と言うだけで現在までのところ 、詳細は分からず仕舞い。分かり次第、追記する様にします。
引退がささやかれ、ファンから心配の声が上がっていた華原朋美だったが、2019年4月には、ソフトバンクのウェブ動画の楽曲『おもいでのアルバム』を担当。
もしも平成元年に僕らがいたら
2019年5月に行われたイベント『東京ストリートコレクション』など、さまざまなイベントに参加予定だったが、すべてキャンセル。これからの高齢出産に備えて万全の態勢で臨むらしい。
出産を終え一段落したら、きっとまた精力的に歌い始めるのではないか?
華原朋美には、やはり歌しかあるまい。本人も、それは充分自覚しているはず。
シングルマザーになる様だが、新しい命の誕生に力を得て、きっと今以上に力強く歌い続けることになるだろう。
今後の公私共に渡る動向に注目!
本 名:下河原 朋美
生年月日:1974年8月17日(44歳)
出身地:東京都江東区生まれ、千葉県浦安市育ち。
身 長:156㎝
体 重:42kg
スリーサイズ:B86 ・W58・H84
愛 称:朋ちゃん
血液型:O型
特 技:乗馬
職 業:歌手、タレント、ミュージカル女優
活動期間:1993年 – 2007年、2012年 – 現在に至る。
所属事務所:プロダクション尾木(1995 – 1998,1999 – 2007、2012 -現在に至る)(1992 – 1995:アバンギャルド所属)
兄2人と弟の4人兄弟の娘として生まれる。千葉県の昭和学院小学校卒業後、私立松蔭中学校・高等学校を卒業する。3歳頃、「あれに乗りたい!」の一言で始めた趣味の乗馬は、高校3年生の時に出場した1992年山形べにばな国体で4位入賞という好成績を修めた。
その後20年以上のブランクがあったが、2016年の馬術の日本国内大会『ジャパンオープン』で優勝している。実家は千葉県内で鉄鋼関連会社や老人福祉施設などを経営している。母親や兄弟も全員経営者という裕福な家庭に生まれ育つ。
中山美穂や工藤静香に憧れ、高校1年(1990年)の時に全日本国民的美少女コンテストに応募。本戦の事前親子面接にて母親が「娘の芸能界入りには反対」と発言したために、本戦には出場できなかった。
それから自宅に他の事務所からのスカウトの電話が入ってくるようになり、芸能界入りを強く意識するようになる。高校3年の時、渋谷の吉野家で当時の事務所アバンギャルドにスカウトされ芸能界入り。
高校卒業後は、美容師を目指し山野美容専門学校に入るも、芸能界入りを決意し退学した。
当初は三浦彩香(みうらあやか)という芸名でタレントとして活躍。1994年からは遠峯(とうみね)ありさに改名し、グラビアアイドルとして活動していた。
翌年、小室哲哉にその声を見初められてシングル『keep yourself alive』で歌手デビュー。2ndシングル『I BELIEVE』で新人賞を総なめに。その後、体調不良などを理由に休業・復帰を繰り返しながらも、歌手やタレントとして活動を継続。現在に至っていた。
歌手として育ての親である小室哲哉は、歌手としての華原朋美に何よりも、「声質の素晴らしさ」に惹かれたという。「倍音を沢山含んだ豊かな響きを持つ声。滅多にいない声で、その声で生まれて良かったと思って欲しい」と評している。
「上手い下手以前に、愛情や優しさといった、より広い世界観を声で表現できる」。
肺活量を初めとした基礎体力も申し分なく、滑舌も良い。
1990年代の小室氏の楽曲は譜割が非常に細かかったが、華原朋美は短い音符でも滑舌よく、息の音も、きちんと混ぜて発声することに長けていた。そのため小室氏は楽曲製作の際に制約を考えずにすんだという。
小室哲哉にとっても、「I’m proud」、アルバム「LOVE BRACE」のような作品を製作できたことは【奇跡】であったという。
1995年6月、事務所を移籍し、小室のイニシャルと同じT. Kで、なおかつ本名に近い華原朋美に改名。由来は小室の「僕と君は心のユニット」という意向であり、プロデュースのイメージは「円山町のクラブ前のコンビニでしゃがんでいる女性」を表現しようとした。
8月には小室が音楽を担当したイメージビデオ『PARADOX』を発売し、フジテレビビジュアルクイーン・オブ・ザ・イヤー’95に選出。
そして9月、パイオニアLDC内の小室が立ち上げた新レーベル・ORUMOK RECORDSの第一弾アーティストとして、シングル「keep yourself alive」で歌手デビュー。オリコン・シングルチャート最高8位を記録した。
翌10月には、2枚目のシングル「I BELIEVE」を発売し、オリコン最高4位を記録。同曲で年末の新人賞を総なめにした。
1999年1月30日、自宅で料理中にガス中毒で倒れ緊急入院。この時、初めて年明けから休養していたことと小室との破局が報じられ、翌1月31日には退院するも、一時は意識不明の重体であったことなどからテレビや週刊誌等で連日報道されるようになる。
翌2月、休養中に初のベストアルバム『kahala compilation』を発売し、首位を獲得。
5月、芸能事務所をプロダクション尾木に移籍し、新聞社向け限定の復帰会見を行うが、わずか一週間後に自宅マンションのロビーで貧血で倒れ再入院。
翌6月17日、静岡県御殿場市の乗馬クラブ「アルカディア」で不完全なまま2度目の復帰会見を行った。
年末の気管支炎の影響から2007年年明けから4月いっぱいまで自宅療養し、3度目の休養に入る。5月に仕事再開、翌6月から本格復帰していたが、6月29日、所属事務所のプロダクション尾木が6月28日付で専属契約の解除を発表。
事務所側は「突然の仕事キャンセル等が続き予想以上に心身ともに健康の回復状況が思わしくなく、これ以上芸能活動を支えることは不可能」と判断。公式ファンクラブも6月29日付で解散し、事務所の意向を受け所属レコード会社のユニバーサルミュージックとの契約も28日付で終了。
3ヶ月後の同年9月20日にはファン向けに自身のブログを開設し、その中で仕事キャンセルについて謝罪の文を掲載。理由について、自身の健康管理が悪く精神的にもダウンしたこと、さらに尾骨を骨折していたことも告白し、今は完全に完治し健康である事を綴っていた。しかし、マスコミで報道された直後の9月29日に、わずか9日間でブログは突然閉鎖。
翌2008年7月10日、東京ミッドタウンで開かれたパーティに出席。「年内には復帰したい」と語ったものの、それから約半年後の2009年1月17日、急性薬物中毒で倒れ病院に緊急搬送されてしまう。医師から処方された精神安定剤を多く所持しており、「大量服用による薬物中毒」と報道。
翌2010年8月29日にも、新宿・歌舞伎町でタクシー乗車中に意識もうろうとなり、救急車で病院に搬送されたと報道された。薬物依存が続いて日常生活も破綻し、見かねた家族の判断で閉鎖病棟に入院していた時期もあった。退院後は父親の住むフィリピンに渡り、NPOを運営する父親の勧めでボランティア活動に従事。現地の孤児院で子供の世話などをした。『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。
平成の【お騒がせ歌姫】が令和、早々【母】に なる。
小室哲哉との破局が、精神的に相当なダメージとなったのは間違いあるまい。
突然、視界から消え去った男の気持ちなど、全然理解できなったはずだ。
可哀想に・・・しかし、小室哲哉も今となってみれば当然の報いを受けている。
彼が引退したのは才能が枯渇し、芸能界に居場所がなくなったからにすぎない。
かってのファンからみたら、どの曲を聴いても同じ曲にしか聞こえなくなった。
そう、完全に飽きられたのだ。新たに新鮮な楽曲を生み出せていたら、引退などあり得ない。
それが出来なくなったからこそ、消え去るしかなかったのだ。
一時代を築き、音楽界を席巻した「小室ファミリー」など幻想にすぎなかった。
どんな世界でも起こり得る現象だ。
何十年も感動を与え続けられるアーティストなど、まず稀だ。何処かで気づかねばいけないのだけれど、それが出来ないのが人間の性。
彼女が立ち直るまでには、相当の時間が必要だった。
でも、彼女には、天性の歌声がまだ残っている。
シングルマザーとして、もう一花咲かす予感がする。
母となることで、彼女はきっと変身するだろう。
女性には、元々そういう環境の変化を受け入れる「柔軟さ」がある。
失敗を引きずり続ける男とは違うのだ。
出産は、きっと良いきっかけになるのではないか?
結婚できるに越したことはないが・・・結婚出来なくとも失敗ではない。
子育ては必ず、人間として、また歌手として成長するためにプラスになるはず。
頑張れ!
母子ともに元気に・・・無事健康に子供が生まれることを祈る。
そして、また、一皮むけた歌声が聞きたい。
平成の歌姫は、令和になっても健在なはずだ。