安倍晋三首相が6日に広島市、9日に長崎市で開かれた平和式典で述べた挨拶文が酷似していると報じられている件を調査してみました。これは本当のことなのか。要する「コピペ」だから心がこもっていないという批判なのですが、ではどうすれば良かったのでしょうか。
新聞各紙そしてネット上でも同じ指摘がなされて、安倍首相のあいさつがまるでダメだと言わんばかりですが、東京新聞の記事では以下のような文面で…。
8月6日と9日に広島市、長崎市の両被爆地でそれぞれ開かれた平和式典での安倍晋三首相のあいさつの文面が酷似しているとして、被爆者から「何のために被爆地まで来たのか。ばかにしている」と怒りの声が上がった。
被爆者の気持ちに寄り添うとしたら、どんな文面にしたら良いのでしょうか。考えてみました。
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首相官邸のホームページにそれぞれの挨拶全文が掲出されていますので、参考までに比較を。
官邸のホームページに掲載された双方の全文を比較すると、
両市の原爆投下からの復興を称賛した一文や、「広島」「長崎」といった地名などは異なるが、その他は段落数や構成、表現が同じ。結びの段落の言葉も「永遠の平和が祈られ続けている」「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」などと完全一致。
「本日ここに、被爆75周年の…」ではじまる約1200文字の挨拶文は、11段落あるが、3段落目までは「広島」と「長崎」の表記以外は同文。 4段落目だけが別文。
(広島)75年前、一発の原子爆弾により廃墟(はいきょ)と化しながらも、先人たちの努力によって見事に復興を遂げたこの美しい街を前にした時、現在の試練を乗り越える決意を新たにするとともに、改めて平和の尊さに思いを致しています。
(長崎)75年前の今日、一木一草もない焦土と化したこの街が、市民の皆様の御努力によりこのように美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる次第です。
5段落目以降は、再び同文となっている。 「コピペ」「使い回し」との批判が集まり、ネット上でも「呆れて開いた口がふさがらなくなる」「完全にコピペ。やる気なし」との投稿が続いていますが…。使いまわしているとの批判は当たっていると思います。
批判や指摘されたことは、確かに的外れではないのですが、日本の立場を考えてみると、まったく違った内容の文章で発表が出来るものなのでしょうか。現実的な問題として、かなり難しいと思われます。
結論はどうしようもないという事です。安倍晋三の国政に対する態度や姿勢にやる気を感じるのは皆無ですから…。フォローのしようがないということです。
被爆者の気持ちに寄り添うとしたら、世界で唯一の被爆国なのですから「核兵器禁止条約」に加盟しました、「核のない平和な理想郷を建設しましょう」と高らかに宣言すれば良いだけなのですが…。
しかし、現実にはアメリカの「核の傘」の下で安全が確保されているのですから、それはできない話です。「核のない平和な理想郷」と「核の抑止力」の前で、板挟みになって一歩も進めないという悲劇!…憲法改正をゴリ押ししたい安倍氏は何の痛痒も感じてはいないでしょうが…。
北朝鮮が自国民に多大な負担と犠牲を強いても、核開発とミサイル実験を続けるのは、核を持っている限り、他国(特に、アメリカ)から侵略されないという歴然とした事実が存在しています。
日本国憲法9条の理念をとことん追求し実現しようとすれば、例えば「中国の天安門事件」の様な事になっても、身に寸鉄を帯びず戦車に立ち向かうしかありません。武器を取って戦うのではなく、日本国民はデモやゼネストで立ち向かうしかありません。日本国憲法は、これしか認めていないのですから。
そして、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して安全と生存を確保」…要するに、他国の軍隊が派遣されてからの救済を待つしかないのです。できるものでしょうか。無理だと思います。
中国や北朝鮮相手に、このような理想論を振りかざしたところで、何の力にもなりません。あっという間に侵略され、奴隷国家となるのがオチです。また、自国民に丸裸で重火器に立ち向かえなどとは誰もその様な号令を掛けられません。また、日本国民の誰もそんな覚悟は出来ていません。
現実の国際社会は武力、究極的には核の論理で均衡が保たれているのです。核に頼らないとしても、それ相応の武力を保有しなければ独立は保てません。アメリカの援助なしで、中国に立ち向かえるでしょうか。
これも無理な話です。アメリカの武力なしでは、中国と対峙できないと思われます。日米を中核として東南アジア各国と連携しなければ中国の南シナ海への進出は阻止できません。
結論を先走って言えば、安倍総理の被爆地でのあいさつ文など変えようがありません。また、変わってしまうのがおかしいのです。世界で唯一の被爆国でありながら「核兵器禁止条約」に加盟する理念はなく、「【核兵器のない世界】を実現する責務があります」と言うのが精一杯なのですから。
共産党とは対場が異なるとしても、確かに使いまわしは貧弱だと思います。
広島人ですが、挨拶が似たようになるのは気になりません。 むしろ広島と長崎で違ってないといけないのかな?と思います。 8月6日は広島人にとってとても大切な日であり、長崎の方にとってはそれが8月9日。
「永遠の平和が祈られ続けている」「核兵器のない世界と恒久平和の実現に向けて力を尽くす」などと完全一致している。
それは一貫して言ってなかったらおかしいだろ。
広島でも長崎でも伝えたい事が必ずしも違うわけじゃないでしょ。
同じ核被害にあったんだから。
日本のメディアは、なぜこんなことばかりしか伝えないのか。
文面チェックや、字面チェックをするのが報道と勘違いしているのではないだろうか。
平和への誓いなどが、そんなにコロコロと表現が変えられるものだろうか。
何故、地元首長は、核保有国を均等に非難しないのか。
2つの被爆地のあいさつなんだから、同じようになるのは当たり前じゃね?
どっちかに肩入れも思い入れもできんだろ。
そいて毎年のように、総理に核廃絶と叫ぶ輩がいますがお門違い。何故、保有国に言わないのか。
日本は核保有国に囲まれているのに、どうやって自国を守るのか。結局は核には核しかなくなる。話しが通じない国に話し合いで解決はできない。
大事なのは3発目を落とされない事。
使い回しは事実の様ですから、批判あるのは仕方がない事かと思います。
しかし、安倍総理がこうした批判を受けるには他にも数々の原因があるためです。
安倍氏には批判に対して誠実に答える姿勢が日頃から、まったく無いこと。
仕方なく質問に答える時は、原稿を早口で読み上げるだけで質問者への丁寧な説明などまったくない。
感情の籠った姿を見せる時は野党を野次るときだけ。
国民はチャンと見ています。
コロナ問題にしても、特措法改正を今検討しなくてはいけないのに、収束してから検討しますとのトンチンカンな回答。民意に沿う姿勢はまったく感じられない。
安倍政権が本当に「国民の安心安全」に寄り添って、政治をしているか、国民は良く見ているのですよ。
誤魔化しきれるものではありません。
国民の視点からかけ離れたコロナ対策をとことん行っているため、何をやってもやる気がないと感じ取られてしまうのです。
被爆者に寄り添う姿勢や気持ちもない事を広島・長崎の市民は敏感に感じ取っているのです。
もう何をやっても批判は避けられないでしょう。
GoToキャンペーンを早く中止しなさい。
リーダーシップをたまには発揮して見せなさい!