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  • 母の住んでいた土地は取得すべきではなかった! 母の涙の原因の一つは?

    認知症を発症した母がよく泣く原因の一つが今住んでいる土地の件だった。
    どうしようもない叔父と土地の譲渡契約をしてしまった。
    やはり、私がもっと前に出て話をすべきだった。
    司法試験を受験しているのを理由に最後まで話をまとめるのを怠ってしまった。

    土地の特定

    正直言って、この話はもう面倒臭かったのだ。
    そうしたら、よりによって母の生家の裏手の沼地を譲ってよこした。
    父も悪かった。
    譲る土地を特定する時に、「どこでもいい」と叔父に言ってしまったらしい。

    どっちもどっちの話だが、当然父は激怒した。
    母に辛く当たった。
    無理もない。
    叔父がここまでずるい奴とは思わなかったのだろう。

    ここの土地は叔父が自分の妹から借りた50万円の借金のかたに担保に入っていた土地だった。
    いわくつきの土地だった訳だ。
    それに何よりも沼地なのだから、土盛りをするのに相当金がかかる。
    土盛りした直後に、地盤が沈下して来る。
    また、土盛りをする。
    この30年間で何回土盛りをして、何百万円かかったことだろう?

    ずる賢い叔父

    そんな土地を100万円で我が家に譲った訳だから、父からしてみれば、
    いいように自分が騙され、利用されたと怒ったのだと思う。
    今更、どうのこうの言っても、もう栓のない話だ。
    しかし、我が家が落ちぶれて叔父の世話でこの田舎で生活が出来ているような話を叔父は隣近所に話していた。

    父は警視庁に奉職して39年間、捜査畑一筋に勤務してきた。
    年金も十分に出ていたし、再就職せずとも贅沢をしなければ楽に暮らしていけた。
    こんな叔父の助けなど全く必要としていなかった。

    仕事一筋だった父と怠け者で酒飲みの叔父とは話が全然噛み合わない。
    付き合いがうまくゆく訳がない。
    ほどなくして、父と叔父はろくに口を利かない仲になってしまった。

    母はそのことを気に病んでいた。
    しかし、母も悪かった。

    自分の生家にええかっこしいで、一度私がこの話をまとめようと叔父の家に出向いた時、横からくちばしを散々はさみ、全く私に肝心な話をさせなかったという経緯がある。

    途中で私も猛烈に腹を立て、帰りの車中で「もう、どうなっても俺は知らんぞ!!」と母に怒鳴りまくった記憶がある。
    女の浅知恵を止められなかった私にも責めはある。

    もう30年以上も前のことになるし、父も叔父もすでに亡くなっている。
    そこの土地と家もすでに売却しており、母も我が家に転居して来ているので、もう何を言っても栓のない話だ。
    しかし、後味の悪さだけは残っている。
    私も亡くなった父に済まなかったという後悔の念が未だに消えない。

    自分の浅はかさを恥じる

    父に、こんな土地を勧めた自分も浅はかだった。
    心筋梗塞を患い、刑事の仕事を辞めざるを得なくなった父の日記をある日、そっと読んだ事があったのだ。

    そこには「埼玉辺りに行って、野良仕事をしたいなぁ~。」と確かに書いてあった。
    しみじみと・・・
    良かれと思って進めたのが、間違いだった。

    私が司法試験を諦め、不動産の仕事に従事する様になってそのことを痛烈に感じた。
    こんな土地はよほどの好き者以外、誰も買わない。
    不動産の事が分かって来るにつれて、その思いは強くなった。

    とんでもない間違いだった。
    父には済まなかったと今でも思う。

    遊ぶこともなく仕事一筋に39年間、身を粉にして働いてきた父に何にも報いてあげられなかった。
    しかし、30年以上前には、野良仕事をしながらのんびり過ごせるような土地を見つけてあげることが出来なかったのも、又事実なのだ。

    今の私なら、父にもっと相応しい土地を見つけてあげられたのにと・・・
    司法試験など早く諦め、不動産関係の仕事に就かなかったことを今でも悔いている。

    母の嘆きなど自業自得であり、今更どうにもならない。
    しかし、繰り返し悔んでいた。

    処分を急いだ所で、クリアしなければならない法律的な問題が、この土地には山積していた。
    何回か役所に出向いて簡単に話が済む様な土地ではなかった。

    父も父で建築課からの指摘を無視してセットバックをせず、家を建てたり自ら問題をこじらせていた。