上原浩治が涙の引退記者会見!雑草魂を貫いた21年間の今後は?

   

プロ野球界で現役最年長だった44歳の巨人・上原が20日、現役引退を表明。巨人のエースとしてだけではなく、米大リーグ挑戦後は本格的に救援に転向するなどして長年にわたって活躍し、2006年の第一回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の初優勝にも貢献した右腕が、ついにユニホームを脱いだ。

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上原浩治が涙の引退記者会見!

プロ野球・巨人の上原浩治投手(44)が5月20日、記者会見を開き現役引退を表明。
会見中に上原投手は「もうちょっとやりたかったな」と話し落涙するシーンも。
思いをこらえながら流す涙は多くのファンの心を打ったようだった。

さらに上原投手は会見で家族についても触れた。「9年間単身になってしまいましたから、子育てもいっさいしていないですし。
嫁には感謝しています」と妻・美穂さんに感謝。また息子の一真くんに引退を伝えた際、「半分アメリカ人入っているような感じで『Congratulations!』と言われました」と笑いながら明かした。

 

21年間の野球人生を振り返る引退会見で、妻への感謝の気持ちを語った上原投手。
ネットでは《お疲れ様でした。これからは思う存分家族サービスして下さい》《感謝の言葉1つできっと奥様も報われたはず。
引退後は少し休養をとって奥様との時間も大切に!》など、「家族をこれからも大切に」と願う声が上がっている。

 

09年メジャーリーグへと活躍の場を移した上原投手は、一家で渡米。しかしシーズンの最中はホテル暮らしが中心となり、家族といる時間は1年で2カ月ほどだったという。

 

18年巨人軍に復帰した際は、家族をアメリカに置いて単身来日。
上原投手はそんな生活に寂しさを感じつつ、それを糧に野球人生を歩んできたようだ。

 

雑草魂を貫いた21年間

代名詞となった雑草魂を上原は最後まで貫いた。

「手を抜いて投げたことはないし、今年に限っても(手)を抜いて練習したことも自分の中では一切なかった」。語気を強めたその言葉には強い自負心がのぞく。

 

21年間に及ぶ輝かしい球歴は、故障と向かい続けた日々でもあった。
2007年は春季キャンプで脚を痛めて開幕に間に合わず、抑えとして復帰した。
当時は先発へのこだわりが強かったが、「チームのために」と原監督からの要請を引き受け、守護神としてリーグ制覇の立役者となった。

 

この救援での経験が、その後のプロ生活に生きた。
大リーグでの成功も、ここまで長く現役生活を続けられたのも、2007年の【1年があったからだろう。

 

無論、けがを克服するために人一倍の練習量をこなした。
体の手入れに欠ける時間は、他の選手とは比較にならない程。

 

13年にレッドソックスでワールドシリーズを制覇した直後、その余韻に浸ることもなく、「根っからの運動バカなので、間隔が空くとダメなので、早く体を動かしたい」と語っていたほど。

 

「気持ちと体が、なかなか一致しなくなった」と上原は言う。
ここまで長い間、雑草魂を胸に戦い続けた裏には強靭な精神力があった。

 

記者会見の中で、上原は「体はいい調子で投げられる状態だが、二軍戦で通用せず、気持ちが後ろ向きになった」「ケガばかりで中途半端だったかな」と・・・

 

日米通算100勝、100セーブ、100ホールドの【トリプル100】の記録をどう受け止めているかと問われると「一つのポジションを全うした訳ではなく、中途半端に先発、中継ぎ、抑えとやっちゃった感じ」と答えた上原。何とも飄々とした答えだ。

 

「嬉しかったのは優勝した時。
日本では2002年、米国では13年。
苦しかったのは米国に渡った1年目に肘をケガし、野球ができなくなると思ったこと。」

大リーグで先発から中継ぎへの配置転換を受け入れることができた理由を問われると、
「当時の監督から、もう先発では使わないと言われた。メジャーで投げたいというだけだった。3Aとかで投げる気持ちは一切なかった。中継ぎでメジャーに残れるなら、受け入れるのは簡単だった」と答えている。まさに、雑草魂の面目躍如と言った感じ!

 

巨人の後輩に託して、若い選手には一日も早く一軍に上がれるよう頑張ってほしいと語っている。

今後は?

今後について問われると、「正直、まだ何も考えてないです。明日からどうしようかなというぐらいですね」と語っていた上原。愛する家族との時間だけは取り戻すことができそうだ。

 

上原にしか見えない“道”があったのだろう。昨年、左膝のクリーニング手術を受け、巨人から契約解除を告げられた。「膝さえ治って、キャンプでしっかりと調整すれば、まだ現役でやれる自信がある」と現役続行を決意。

 

ところが現役への強い執念をみせながら突然の引退宣言。
近年、上原のように実績を残している大物選手が現役にしがみつく傾向が強いが、あまりにも早すぎる5月途中での引退だった。
賛否両論あるだろう。確かに2軍での成績も思うように上がらなかったが、もともと夏場に強いタイプ。しかも手術明けのシーズンでもあり、何も5月で諦めることはない。

 

しかし「これ以上やっても戻らない。それなら辞めるしかない。調子が上がらないベテランのせいで、若手の出番を奪いたくない」と話していた。全力で突っ走ってきた野球人生だからこそ、本人にしか分からない境地があったのだろう。

 

メジャーリーガーを経て昨年、10年ぶりに巨人に復帰。「巨人に戻ってくることは正直、考えていなかった。そういう状況で取ってくれた鹿取さん(当時GM)、由伸(当時監督で同い年)には感謝しているし、こういう場(会見)を設けてくれた球団には感謝しています」と頭を下げた。

 

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上原選手の今後を親会社の読売新聞はどう考えているか

巨人の監督資格には、いまだに「生え抜きのエースか4番」という不文律がある。
上原にはコーチどころか、巨人監督の資格も十分にあるということになるが、本人はこう言ったという。

 

「監督や指導者のイメージ? プロ野球選手は全員がプロ。正直教えることはない。アマで教えた子がプロに入るのを見てみたいとは思う」と答えたが、「強く思っているのか」と聞かれると、「そこまで強くはないですけど」とアマ指導者転身を慌てて否定する一幕も。

 

本音ではプロの指導者に興味がありそうだ。周辺によれば、良くも悪くも条件次第なところがあるという。以前、テレビで「使われる立場は嫌」と話したこともある。そうなると、いずれは監督に、ということになるが、問題は巨人や親会社の読売新聞がどう考えているか、である。

 

「結論から言うと、球団や読売から、上原が監督候補という話を聞いたことはない。
原監督も『後継者』については一貫して松井秀喜、高橋由伸前監督、阿部慎之助の3人の名前を挙げている。

 

メジャーへ渡る前の巨人時代は、確かに頼りになる絶対エースだったが、年俸更改では、毎年のように球団と揉め、巨人ではNGだった代理人交渉を強行した上、これも球団が認めていないポスティングでのメジャー移籍を執拗に訴えた過去がある。

 

あの時、球団は本当にウンザリしていて、ワガママで厄介というイメージがついている。上原同様、松井もFAでメジャー移籍しているが、こちらは次期監督筆頭候補。はっきり言って立場が全く違います」(チーム関係者)

 

いずれも選手としての権利を正当に主張しただけのことだが、巨人ではそれが「問題児」とされる。「上原監督」が実現するのは、多分他球団であろう。

 

上原浩治のプロフィール

生年月日:1975年4月3日(44歳)

出身地:大阪府寝屋川市

投打:右投右打

ポジション:投手

身長:187cm

体重:87kg

ドラフト:1998年 ドラフト逆指名1位

 

経歴:東海大学付属仰星高等学校⇒ 大阪体育大学⇒ 読売ジャイアンツ⇒ ボルチモア・オリオールズ⇒ テキサス・レンジャーズ⇒ ボストン・レッドソックス⇒ シカゴ・カブス⇒ 読売ジャイアンツ

 

タイトル(NPB)

1999年 最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率

2002年 最多勝、最高勝率

2003年 最多奪三振

2004年 最優秀防御率、最高勝率

 

表彰(NPB)

1999年 新人王、最優秀選手(MVP)、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞

2002年 最優秀選手(MVP)、沢村賞、ベストナイン

2003年 ゴールデングラブ賞

 

上原選手の年度別成績

年 度 所     属 S H 防 御 率
2018 巨    人 0 5 0 14 3.63
2017 カ ブ ス 3 4 2 14 3.98
2016 レッドソックス 2 3 7 18 3.45
2015 レッドソックス 2 4 25 0 2.23
2014 レッドソックス 6 5 26 1 2.52
2013 レッドソックス 4 1 21 13 1.09
2012 レンジャーズ 0 0 1.75
2011 レンジャーズ

オリオールズ

2 3 0 22 2.35
2010 オリオールズ 1 2 13 6 2.86
2009 オリオールズ 2 4 0 0 4.05
2008 巨    人 6 5 1 5 3.81
2007 巨    人 4 3 32 4 1.74
2006 巨    人 8 9 0 0 3.21
2005 巨    人 9 12 0 0 3.31
2004④ 巨    人 13 5 0 2.60
2003③ 巨    人 16 5 0 3.17
2002② 巨    人 17 5 0 2.60
2001 巨    人 10 7 0 4.02
2000 巨    人 9 7 0 3.57
1999① 巨    人 20 4 0 2.09
日 本        計 112 67 33 23 3.02
大リーグ   計 22 26 95 81 2.66

日米通算 134勝、128セーブ、104ホールド→物凄い!輝かしい記録だ。

名球会では、昨年からトリプル100を入界資格に加えるよう本格的に検討に入ったという。当然だろう。これだけの記録!誰にでもできる偉業ではない。

 

※Sはセーブ。Hはホールドで日本では2005年に新設
黄色はタイトル。その他の主な受賞は下記の通り

①沢村賞、新人賞、最高勝率、ベストナイン、最多奪三振、最優勝投手、ゴールデン・グラブ賞 →新人時代にいきなり20勝!主要タイトルを総なめにした。
②沢村賞、最高勝率、ベストナイン、最優秀投手、
③最多奪三振、ゴールデン・グラブ賞
④最高勝率

 

上原選手のNPB年俸総額24億2100万円+契約金(推定)

年度 年俸 差額 所属球団 背番号
2019年(44歳) 5000万円 -1億5000万円 読売ジャイアンツ 19
2018年(43歳) 2億円 読売ジャイアンツ 11
2008年(33歳)

2007年(32歳)

4億円

3億1000万円

+9000万円

-3000万円

読売ジャイアンツ

読売ジャイアンツ

19

19

2006年(31歳) 3億4000万円 -1000万円 読売ジャイアンツ 19
2005年(30歳) 3億5000万円 +5000万円 読売ジャイアンツ 19
2004年(29歳) 3億円 +9000万円 読売ジャイアンツ 19
2003年(28歳) 2億1000万円 +1億400万円 読売ジャイアンツ 19
2002年(27歳) 1億600万円 +3000万円 読売ジャイアンツ 19
2001年(26歳) 7600万円 +1000万円 読売ジャイアンツ 19
2000年(25歳) 6600万円 +5300万円 読売ジャイアンツ 19
1999年(24歳) 1300万円 読売ジャイアンツ 19
1998年(23歳) 契約金1億円 読売ジャイアンツ 19

 

MLB年俸総額5150万ドル(推定51億5000万円※1ドル100円換算)

年度 年俸 差額 所属球団 背番号
2017年(42歳) 600万ドル -300万ドル シカゴ・カブス 19
2016年(41歳)

 

900万ドル

 

0ドル

 

ボストン・レッドソックス 19

 

2015年(40歳) 900万ドル +475万ドル レッドソックス 19
2014年(39歳) 425万ドル 0ドル レッドソックス 19
2013年(38歳) 425万ドル +75万ドル レッドソックス 19
2012年(37歳)

 

350万ドル

 

-200万ドル

 

テキサス・レンジャーズ 19

 

2011年(36歳)

 

550万ドル

 

+50万ドル

 

ボルチモア・オリオールズ/レンジャーズ 19

 

2010年(35歳) 500万ドル 0ドル オリオールズ 19
2009年(34歳) 500万ドル オリオールズ 19

 

日米通算で75億円以上稼いでいる。あくせくしなくても当分休息できるはずだ。

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