チキンラーメンのスープは全部飲んでも大丈夫なの?脂肪肝には?

   

日清食品は、世界初の即席麺「チキンラーメン」の2018年度の売上高が過去最高になったと発表した。同社創業者、故安藤百福氏によるチキンラーメン開発の苦労話を紹介するNHK連続テレビ小説「まんぷく」が放送されており、改めて商品が注目されたらしい。

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チキンラーメンのスープは全部飲んでも大丈夫なの?脂肪肝にはならないのか?

 日清食品のチキンラーメンが売上高過去最高になったというけれど・・・
売上高が過去最高を塗り替えるのは、麺に卵を入れるくぼみを付けた03年度以来15年ぶりという。具体的な売上高は非公表。

 

どうして、なぜ?売上高が非公表なの?分からない。不思議な感じ!
公表すると何か差しさわりがあるのかな?

 

日清がチキンラーメンを1958年に発売して以来、昨年8月で60年が経過した。「還暦」を迎えたロングセラー商品が意気軒高なのは異例だという。

 

日清は「苦労話への共感が広がり、商品イメージが向上している」と分析。

 

麺容量85グラムの主力商品の他、高齢者に狙いを定め、容量を従来の約3分の1に抑えた「お椀で食べるチキンラーメン 3食パック」の売れ行きも好調だという。

 

しかし、私の学生時代に即席麺を食べ過ぎ、脂肪肝で入院した奴がいたが。
今はどうしているかな?元気になったのかな?
金欠の学生時代だったから、仕方がなかったのだけれど。

 

今は即席麺の油も改善されているのかな?
私は今でも即席麺のスープは全部飲まない。
半分は捨ててしまう。

 

用心するに超したことはないと思っている。
油の取り過ぎは要注意である。
油断大敵である。

売上高最高はNHK朝ドラ『まんぷく』の効果?

やはり、TVの影響力は凄いの一言に尽きる。
一銭の金もかけずに多大に売上高に貢献してくれるなんて。
願ったり、叶ったりの話だ。
日清食品の社員は、NHKに足向けて眠れないな。

 

連日、視聴率20パーセントを超えるNHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』。主人公の福子(安藤サクラ)と、「まんぷくラーメン」を発明した夫・萬平(長谷川博己)の物語。言うまでもなく、モデルは、日清食品創業者の安藤百福氏(1910~2007)と、その妻・仁子さんの成功談。

 

チキンラーメンには発売当初から世話になった。
受験勉強の合間に卵を入れて食べた、懐かしい。
蓋をして3分間・・・待てずに硬いまま食した記憶がある。

 

チキンラーメンも、発売後に様々な所から、色々な種類のラーメンが発売され、影が薄くなった感の時期がある。

 

今は、その栄光の時代を取り戻したというところか?
世界中で1000億食が食されていると言う即席麺。

 

食文化に麺が定着しているアジアはもちろん、欧米やアフリカなどでも地域性にあった味わいの即席麺が浸透している。

 

日清食品:世界即席麺市場をけん引する企業。
故・安藤百福氏は宇宙で食べられる即席麺開発にも取り組んだという努力は買うが・・・

 

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チキンラーメンって本当に発明品と呼べるのか?

どうにも解せない。
そう思っていたら、同じような疑問を呈している人がいた。

 

安藤氏の自伝『魔法のラーメン発明物語』(日本経済新聞出版社)などによると、安藤氏は1957年、経営していた信用組合の破綻で無一文になった。そこで自宅に研究小屋を建て、即席麺の開発に打ち込む。

 

苦心するなか、妻が天ぷらを揚げる姿にインスピレーションを受け、油で揚げる「瞬間油熱乾燥法」にたどりついた。これが安藤氏の言う「発明」だ。『まんぷく』も、このストーリーをなぞっている。

 

だが、これに疑問を呈するのは、日本と台湾の関わりについて長年取材している、ジャーナリストの野嶋剛氏だ。

 

『まんぷく』ではふれられていないが、安藤氏が生まれ育ったのは、日本統治下の台湾である。前出の自伝にも、当時の思い出が書かれている。

 

「安藤氏は、20歳前後までを台湾で過ごしています。じつは台湾南部には、戦前から揚げ麺を食べる文化があった。いちばんチキンラーメンに味が似ているのは、台湾南部で食べられている意麺(イーメン)。

 

さらに、1946年に創業した『清記氷果店』は、極細の麺を揚げ、スープに鶏のダシを使う鶏糸麺(ケーシーメン)の本家といわれました」(野嶋氏)

 

安藤氏は1958年に、油で麺を揚げたチキンラーメンを日本で商品化する。だがそれ以前から、故郷・台湾の人は麺を揚げ、チキンのスープで食べていたのだ。鶏糸麺は台湾全土で人気となった。

 

「戦後の食糧難だった日本にも輸入されました。これは、多くの在日華僑が証言しています。1950年代の日本で、台湾出身者が複数、即席麺を売り出したのは、偶然ではないのです」(同前)

 

その1人が、張國文氏だという。1917年に台湾で生まれ、歯科技工士として日本に渡った張氏は、戦後、大阪・阿倍野で中華料理店を経営しながら、即席麺「長寿麺」を作り上げた。張氏の会社である「東明商行」が「長寿麺」を発売したのは1958年の春のこと。

 

日清食品の社史『食足世平』によると、同社(当時はサンシー殖産)が「チキンラーメン」を発売したのは、同じ1958年の8月だ。チキンラーメンに先駆けて商品化された「長寿麺」とはどのようなものだったのか。

 

張氏の次男で、いまは不動産会社となった「東明」の代表を務める、清川信治氏(73)が証言する。

「安藤さんが即席麺を発明した、というのは、ファンタジーですわ。勝てば官軍。歴史は勝った者が作るものなんでしょうけど。大阪の華僑はみな私に『あんたのとこが先』と言ってくれはるわ」

1945年生まれの清川氏が小学生のころ、父が蓋をしたラーメンの丼を持ってきて、「5分待ちや」と誇らしげに語った記憶がある。のちに改良され、3分で食べられるようになった即席麺、それが長寿麺だった。「初めて食べた即席麺。『おいしいもんやな。こんなものあるんや』と思ったわ。

 

親父は登山が好きでね。私が小学校のとき、一緒に奈良の大峰山に登ったことがある。テントを張って、お湯をかけた即席麺を『食べや』とすすめられた。いまから考えると試作品だったんでしょう」(清川氏、以下同)

 

「長寿麺」は、1950年代に始まった、初期の南極観測隊でも採用されている。「長寿麺がえらく喜ばれて、観測隊の永田隊長から、おみやげに南極の石をいただいた。引っ越したときに、どこかに行ってしまったけど(笑)」

 

清川氏が言う永田隊長とは、第一次(1956年~)から第三次(1958年~)の南極観測隊で隊長を務めた、永田武氏と思われる。1959年秋発売の雑誌『アサヒグラフ臨増』には、「ヒマラヤ遠征隊 南極越冬隊御採用」と書かれた「長寿麺」の広告が掲載されている。

 

どうも人の成功談には眉唾物が多い様だ。
チキンラーメンって登録商標権を取るときももめているし・・・
特許争いも熾烈を極めたらしい。
まさに勝てば官軍と言った所か?

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