茹でた後、つるんと一皮剥ける様な爽快感をお届けしたいです。

母の入・退院は一体いつまで続くのか?

 
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当初は、訪問診療、訪問看護をしてもらい私の負担は減った様に感じられた。

しかし、この状態が長く続いてくると今度は人の訪問自体が非常に煩わしく感じられてきた。

 

何よりも、その時間は絶対的に外出できない。

自由になれる時間がないのだ!

 

母一人では応対さえ出来ない。

人が来るときには必ず在宅していなければならない。

 

そして、在宅介護を充実させようとすると様々な事を手配しなければならなくなる。

 

部屋内で簡易便器を使うのを嫌がる様になると、今度はトイレの中に手をついて立ち上がれるような特別な器具の設置が必要となる。

玄関の上り框にはつかまり棒を設置しなければならなくなる。

これらはリ-ス契約で済んだ。

 

トイレの中と外につかまり棒を設置しなければならなくなる。

これは区役所からの補助が出るので、その申請もしなければならない。

そうしないと結構な費用が自腹となり負担が大きくなってしまう。

 

入れ替わり、立ち代わりで人の出入りが多くなる。

段々、これが私の苦痛の種となって来た。

 

不眠と鬱症状の無くならない私には時として、人と会うことさえ拒否したくなるときがある。

要するに気分が優れないのである。

 

贅沢病と言ってしまえば、それだけのことなのだが・・・

非常に苦痛に感じることが多くなった。

 

月一度、ケアマネージャーと会うのさえ面倒に思える日々が続いていた。

いろいろアドバイスを貰って大部助けてもらっている人だったが、気分の優れないときは会うのが苦痛だった。

 

重度の腎臓病になっている母の食べる物を作ることも苦痛の種の一つだった。

塩分とタンパク質を制限した物を作らねばならない。

作れるものは限られてくる。

 

塩分やたんぱく質を制限した食品を掲載してある本をディサービスに行ってる施設の人からもらい、何も作れないときに備えてそれらをFAXで注文した。

私は料理が苦手なので、作るものはどうしても同じ様なものばかりになってしまう。

 

米などは特注品ですごく割高で高価なものだった。

そんな物ばかり使って料理をしなければならない。

 

この頃の母はもうディサービスにも行かなくなり、通所入浴に週1回施設の車で出かけるだけで在宅している日々が多くなっていた。

 

必然的に私が食事を作ったり、食事を出したりの日々が多く続き、ストレスも溜まってゆく一方だった。

 

唯一救いだったのは母がトイレに一人でまだ何とか行けている事だった。

これに排便の世話まで入れば、私は完全に鬱病になっていたと思う。

 

私の老々介護のやり方は決して十分なものではなかった。

妻の助けなしでは到底続けられなかったと思う。

 

母は時々紙おむつに便を漏らし、それをそっとゴミ箱に隠す様な事をした。

私に知られるのが恥ずかしかったのだから、私が黙って掃除をしていれば良かったのかもしれない。

 

しかし、度重なると非常に不衛生である。

暑い時は嫌でも臭いで気づいてしまう。

 

きちんとポリ袋に包んで外の大きなゴミ箱に入れないと室内に置いておくのは無理なのだ。

 

後で、気づいて片付ける時、便が室内のゴミ箱にこびりついてしまい、ゴミ箱ごと洗わないとどうにもならない時があった。

 

そんな事が続くとさすがに黙っていられなくなる。

ちょっと注意をすると黙り込んでしまう。

 

歳を取れば仕方のない事なのだから、こちらも怒ったりはしない。

しかし、黙って変な隠し方をされると後で余計な手間をかけさせられる事になる。

 

なぜ、もっと素直になれないのか?

注意をすれば、又、「早くあの世に逝っちまいたい」「生きていても仕方がない」が始まる。

厄介な女だなと一人で舌打ちしたこともある。

 

500円で入れる通所入浴は母にとって広い風呂に入れるので良い気分転換になっていた。

ただ、暑くなってきたので週1回の通所入浴だけでは気持ちが悪かろうと訪問看護の回数を1回増やすことにした。

自宅に来てもらい母を自宅で入浴させてもらうことにした。

 

しかし、この年の夏頃には、母は起きてくる時に「ヒーヒーゼェーゼェー」と苦しがる様になった。

トイレに行く回数も尋常な回数ではなくなった。

 

訪問診療の先生が来た時に変調を告げればいいのに帰った後に、気持ちが悪いなどと言い出す。

 

仕方がなく訪問診療部に電話をかけ再度の往診を依頼する。

間もなく来てくれたが、医師は又、脱水症状かと思い点滴の準備などをして帰って行った。

 

点滴の針は私たちには外せない。

終わる頃を見計らって訪問看護の人が来て点滴の針を外して帰って行く。

しかし、一向に良くなる気配がない。

予断を許さない事態になって来た。

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