安田純平:外国人記者の感じた違和感と疑問、なぜ謝罪したのか?

   

 

 内戦下のシリアで2015年に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平氏(44)が11月9日(金)、日本外国人特派員協会(東京都千代田区)で会見した。

 

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外国人記者から、「なぜ謝罪の必要性があったのか?」との質問がなされた。

会場に入るや大きな拍手で迎えられた安田氏。最初に質問にした新月通信社、マイケル・ペン記者:「危険な現場に行き、そこで何が起きているか取材して、政府にコントロールされずに表現し、伝えることこそが記者の仕事です。ジャーナリストとして、あなたは謝罪するべきだと本当に思いますか。帰国したことで歓迎をされるべきではないでしょうか」と疑問を投げかけた。

 

質問した記者は、国境なき記者団が声明で、「安田氏は謝罪する必要がない。ジャーナリストとして戦地取材を試みたことや、耐え抜いて解放されたことはむしろ歓迎されるべきだ」などと指摘したことを紹介。批判や自己責任論が噴出した日本社会と、海外報道の世界には乖離があると述べた上で、謝罪が必要だったのか、見解を尋ねた訳である。

 

ジャーナリスト安田純平氏の答え

安田氏は言葉を選びながら「ジャーナリストが権力に縛られることはあってはならないと思います。今回、私自身の行動にミスがあったのは間違いないので、その点についてみなさまの批判をいただいて今後に生かしていくために、まずおわびを申し上げております」と答えた。

会見に参加していた米紙の記者に日刊ゲンダイの記者が話しかけると、「危険な取材をしたジャーナリストが謝罪をするなんてあり得ない。日本の民主主義はおかしいよ」とこぼした。

外国人記者の目から見ると、やはり「不思議の国ニッポン」と写ったようだ。違和感は拭えないらしい。

ジャーナリスト世界の常識が、日本では通用しないのだ。

 

さらに、安田氏は「今後も戦場の取材を続けるか」を聞かれると「白紙です」と答えている。

 

こんな答えでいい訳ない。ジャーナリストとしての矜持があるなら、少なくとも自分の体験をもっと人に伝えるべきだろう。公演するとか、本を出版するとか何らかの義務を果たすべきだ。真実は絶対に究明すべきだ。

 

彼は疲れ、恐れているはずだ!帰国時に数日入院しているし、懲りているのだ。まず、謝らないと・・・2004年の拘束時に、自分への自己批判・自己責任論だけでなく、その批判は家族に迄及んでいる。

 

許さない雰囲気が日本中に漂っている。
まず、謝罪!これが日本社会の現実なのだ。
日本政府、カタール、トルコにまで迷惑をかけた。
謝るべきだ!これが日本の常識なのだ。

 

日本にジャーナリズムがどうあるべきなのかの議論など介在する余地などないのだ。
政府の言ったことを信じていれば良い・・・これが日本の姿なのだ。日本政府など何の行動もしていない。

 

2004年11月、新潟で講演した安田は、「どういう事情であれ、邦人保護は政府の責務だ」とした一方で、フリーのジャーナリストというものは、紛争地域であっても事態の真相を見極めるためにリスクを負って取材に行くものだとし、「常に『死』という自己責任を負う覚悟はできている」と話している。

 

また、「冬山の遭難者やキノコ採りのお年寄りも、自己責任ということか。政府に従わない奴はどうなってもいいという風潮が、国民の側から起こり始めている」として、政府を無条件に信用する国民が増えてしまい「民主主義の危機」を痛切に感じていると話している。

 

何時か、どこかで、何かで自分の体験を語るべきである。
それも、あまり日を置かずにすべきである。
そうでなければ、カタール、トルコ政府にまで動いてもらっている。黙っていて言い訳がない。

 

しかし、そうはさせない自己責任論や批判が日本中に充満しているのだ。危険を承知で内戦地に勝手に行ったのだから同情に値しない。そんな考えに同調した日本政府の態度には、ただ冷徹さしかを感じない。

安田純平氏のプロフィール

 

名前   安田純平(やすだ じゅんぺい)
生年月日 1974年3月16日(44歳)
国籍   日本
出身地  埼玉県入間市
出身高校 埼玉県立川越高等学校
最終学歴 一橋大学社会学部(湊博昭ゼミ)
職業   フリージャーナリスト
特技   少林寺拳法二段
嫁    ヒーリンシンガーのmyu(深結)

受賞   山本美香記念国際ジャーナリスト賞

経歴

1997年3月  一橋大学社会学部卒業
1997年4月  信濃毎日新聞入社。松本本社配属
2003年1月  信濃毎日新聞社を退社
       その後はフリージャーナリストとして活動
2009年に、歌手のmyuと結婚する。

シリアで拘束されている安田純平氏の動画。

イラク戦争の最中、現地で反戦デモを行う日本人グループを取材する安田純平さん(写真右)。

 

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安田純平氏は、中東で何回拘束されているのか?

 

安田純平氏がシリアでヌスラ戦線に拘束されていたという情報が入っているが、中東で拘束されるのは今回で一体何回目になるのか? 

あまりに不用意で、軽率な行動を取ったのではないか?
何度もシリアに行き、危険性は百も承知のはずなのに会うべきはずの人物にも会えず、誘われるままに氏・素性の分からぬ人物に付いて行くなど軽率のそしりを免れぬのではないか?

 

恐らくそんな考えが批判の根底にあるのだろう。
2004年の拘束時に、自身への自己責任論・批判だけで済んだ訳ではなく、家族まで巻き込んで批判が起きた事を憂慮したのだと思う。

 

安田氏は、そんな過去を踏まえ外国人特派員協会での会見でまず「謝罪」の言葉を発せざるを得なかったと思われる。そう、批判の対象は本人だけでなく家族まで巻き込んでしまうのが日本の社会の現状なのだ。

 

安田純平氏の1回目の拘束
2003年2月からイラクに滞在しナジャフ県、バグーダード、サマーワなどを取材。

 

イラク戦戦争中に当時のイラク政府が行った「人間の盾」作戦に他のジャーナリスト等と共に自ら参加したが、米軍の攻撃を抑止する効果が無かった為、招待客待遇も中止になった。

 

イラク軍に拘束された後解放、その後もイラク軍やイラク警察に数回拘束されるが、あのフセイン政権崩壊後まで滞在し、中部ナジャフなどを重点的に取材して帰国している。

 

安田純平氏の2回目の拘束
2004年4月14日、先に拘束されていた日本人3人の人質(イラク日本人人質事件)の消息を摑むためファルージャに向かう途中、武装勢力に渡辺修孝とともにスパイ容疑で拘束されたが、4月17日に解放された。

拘束したのは地元住民の武装農民で、昼間は農民として働き、夜はムジャヒディンとして活動していた。4か所を転々としたが、縛られることはなく、部屋の中を歩いたり、屋外のトイレを使うことも出来た。

 

日本への帰国費用は、自分が持っていた格安航空チケットや自己負担のホテルを利用しており、日本国政府からの資金を使っていないと説明していた。

しかし、翌月に実際には外務省がイラクからヨルダンまでの航空運賃など計約五百ドルを拠出しており、返還請求されていることが明らかになった。

安田純平氏の3度目の拘束
2015年6月、シリア人ブローカーと共にトルコ南部からシリア北西部のイドリブに密入国後、21日のツイートを最後に行方不明となる。

アル=ヌスラ戦線により拘束されたともされるが、犯人は明確ではない。2015年7月10日、外務大臣会見にてシリアで拘束の疑いのある事案としてフジTV、テレビ東京の記者より質問があった。
当時外務大臣の岸田文雄は「少なくとも今現在邦人が拘束されたという情報には接してはおりません」と回答している。この程度の認識なのだ。

その後、安田純平さんを拘束していると主張する犯行グループが・・・そして日本政府と接触を試みたとする犯行グループが安田純平氏の映像を公開し、日本政府に交渉に応じるよう要求してきた。

ジャーナリストの安田純平さんがシリアで消息を絶ってから、すでにもう3年が経過していた。
邦人の誘拐・拘束期間としては、2001年にコロンビアで人質となった矢崎総業現地副社長の2年9ヶ月を超え、過去40年で最長となっていた。

安田純平氏の後に拘束されたスペインやドイツの記者は、政府が動いて10カ月で解放された。単純な身代金交渉ではなく、人質が引き渡されるトルコや、シリア反体制組織に影響力を持つアラブ・湾岸諸国と連携して、人質解放が実現した。なぜ日本政府は邦人保護に動かないのか?

10月24日、帰国の航空機内で複数のメディアの取材に応じ、安田氏は、監禁され独房にいたという拘束生活に関して「地獄ですよ。身体的なものもありますけど、精神的なものも、きょうも帰されないと考えるだけで、日々だんだんと自分をコントロールできなくなってくる」と告白。
また「24時間、身動きひとつしてはいけない。水浴びも一切いけないという状態が8カ月続いた。殺されはしないと思っていたけど、いつまで続くのかという恐怖感はずっとあった」と詳細を生々しく語った。

解放時の状況に関しては、武装組織に車で国境まで運ばれ、トルコ側に受け入れられたことを明らかにした上で、「トルコ政府に引き渡されると、日本大使館に引き渡される。そうなると、日本政府が動いて、解放されたと思う人もいるかもしれないので、それだけは避けたかった」と3年間、手をこまねいていただけの政府を暗に批判している。

 

23日深夜、解放情報を発表した菅官房長官は「官邸を司令塔とする国際テロ情報収集ユニットを中心にカタールやトルコに働き掛けた結果だ」と自慢げだったが、実は安田氏が解放されたのは会見の4日も前。情報入手が遅すぎる上、菅の「寝耳に水」のような表情は、到底「司令塔」には見えなかった。

 

「国際テロ情報収集ユニット」は、外務省や警察庁などの職員が、中東やアフリカなどの現地に赴任し、情報収集を行う組織だ。15年12月に20人規模でスタートしたが、現在の人員は80人。今年度は4.3億円の予算がついたが、外務省は来年度に6.9億円への増額を要求している。立派な組織とはいえ、菅が胸を張るように、安田氏解放に向け、どんな活躍したかは疑問符だらけだ。

 

こんな日本政府の態度に、ジャーナリズムの世界からは大きな疑問と批判がなされている。しかし、まったく馬耳東風といった所だ。

 

こんな状況を許していると、日本のジャーナリズムは政治家にぶら下がった「ヨイショ」だけの囲み取材だけで終わってしまう。

 

真実の報道は日本人が知らされないままで終わってしまう危険性が大である。日本政府には、日本人を保護すべき義務があるのだ。安易な自己責任論・批判だけで終わってはいけないのだ!

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