福士加代子が6区区間新記録、東京五輪へ今できることをやってゆく 

   

全日本実業団対抗女子駅伝(11月25日・宮城県)の予選会は21日、福岡県の宗像ユリックス発着の6区間、42.195キロで行われ、2時間19分16秒で1位となったワコールなど上位14チームが本大会への出場権を得た。

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ワコール1位で本戦へ

ワコールのアンカーとなった福士 加代子(ふくし かよこ)のプロフィール

生年月日 1982年3月25日生まれ(36歳)
出身地 板柳町
身  長 160 cm

日本の女子陸上競技(主に長距離走・マラソン)の選手。

2010年5月末の時点で、3000mと5000mの日本記録、

ハーフマラソンおよび10km、15kmのアジア記録を有する。

オリンピック(女子陸上競技)には2004年アテネ大会・2008年北京大会・2012年ロンドン大会、2016年リオデジャネイロ大会と、4大会連続して日本代表に選出(アテネ・北京・ロンドンの各3大会は長距離走・リオ大会はマラソン)。

2006年・ドーハアジア競技大会では女子10000mでは金メダル、世界陸上モスクワ大会・女子マラソンでは銅メダルをそれぞれ獲得。
さらに2013年・2016年の大坂国際女子マラソンで2度の優勝を果たしている。

リオ五輪の女子マラソンで日本勢最上位の14位と健闘した福士加代子。しかし、ネット上ではそんな彼女に対して手厳しい声が多かった。

代表選考で揉めたことや、金メダルを期待させる発言があったことなどから、14位ではもの足りないというのが主な意見だ。

ゴールの直後に『金メダル取れなかったあ! ほんとしんどかったあ!』『でも金メダル目指したから最後まで頑張れました』という、いささか能天気とも取れる答え方をしたことにカチンときた人が多かったらしい。福士は天然というかKYというか、明け透けな発言が多く嫌悪感を持たれやすいタイプ。

銀メダルや銅メダルに終わった選手が言うならともかく、14位で終わった福士が言うべき言葉じゃないという声が多い。

しかし、要するに福士はマイペースで周囲を気にしない能天気な性格なのだ。悪気のない開けっ広げな言動が誤解を招きやすい。

 

プリンセス駅伝:優勝を決めるワコールのアンカー(第6区)
福士加代子のゴール直前の姿

対抗予選会の結果

2位は京セラで2時間20分27秒。さらに24秒差の3位に
九電工が入った。15位キヤノンAC九州は14位シスメックスに25秒及ばず、予選を通過できなかった。

三井住友海上は2区を1位で通過したが、3区の岡本の体調不良(脱水症状)で大きくふらつき道路を逆走したり、道路脇の草むらに倒れ込んだ所で途中棄権となった。

ワコールのアンカー、福士加代子は6区を区間新記録で駆け抜け、笑顔でゴールテープを切った。マラソンで2020年東京五輪を視野に入れる36歳のベテランは「最高に気持ちよかった。次へのきっかけになる」と声を弾ませた。

2位京セラに3秒差をつけて福士がたすきを受け、その差を広げていった。沿道からの声援にも手を振って応える余裕の展開だった。

けがの影響で夏まで満足に練習できなかったが、今回のレースは「調子はよかった」。現在は徐々にペースを上げる段階にあり、「できることが増えていくのが楽しい」と好調の要因を自己分析する。

永山監督とともに目標にしている東京五輪については「目指してはいるけど、頭の片隅に置いておいて、今できることをやっていきたい」と福士は語る。まずは、出場権を得た来月の本大会に向けてギアをあげていく積りらしい。

しかし、こんな駅伝で区間新記録を出しただけで、東京五輪を語るには早すぎるだろう。こんな短い距離で!
ワコールに所属しているから、駅伝は避けて通れない道なのだろうが、もっと大きなマラソン大会で新記録を出して優勝するのでなければ、リオの二の舞に終わる結果が目に見えている。ぬか喜びしている場合ではないのだ!

 

アクシデント発生!残り200mを四つんばいで前進

四つん這いリレーに、監督が「やめてくれ」との声、なぜか届かず?その時、選手はすでに骨折していた。

岩谷産業の第2区・飯田怜(19)が残り約200メートルで走ることができなくなり、両膝を付き、四つんばいになって第2中継所の勝浦浜を目指すというアクシデントが発生した。

第3区の今田麻里絵は目に涙を浮かべながら、飯田が必死につなげようとしているタスキを待った。飯田は膝をすりむきながら進み、なんとか今田にタスキをつないだ。

参加27位チーム中最下位となったが、そこから一丸となって盛り返し、チームは21位でフィニッシュした。

これについて、同チームの広瀬永和監督は、レースから一夜明けた22日、大会主催者側に「(レースを)やめてくれ」と伝えていたことを明かした。

広瀬監督はレース当日、各チームの指導者が集まる監督室でライブ映像を確認していた。「残り200メートルで飯田の姿が映らなくなった。それで(飯田が)倒れたのを見て、四つんばいではいつくばっているのを見た。あと何メートルかわからなかったけど、大会役員に『やめてくれ』といいました。あの状況をみたら、どの指導者でも止める」。

しかし広瀬監督の意図が主催者側を通じて、飯田のもとにいくまでにタイムラグが生じた。結局、飯田は両膝をすりむきながら、3区にたすきを渡す形となった。広瀬監督はその後、主催者側から「(監督の意図がコース上の役員に)伝わるのに時間がかかった。(伝わった時に)あと15メートルで選手(飯田)が動いていたから、見守ってしまった」と説明を受けたという。

広瀬監督は「主催者側にはそういう意図(レース中止)がスムーズに伝わる形にしてもらわないといけない」と口にした。

飯田は、右脛骨(けいこつ)の骨折で全治3~4カ月と診断された。レースから一夜明けたこの日も「安静にしておいたほうがいいということだった」(広瀬監督)と、福岡県内の病院に入院している。どのタイミングで骨折したのか、については広瀬監督は「今の段階では、いつ折れたのか、よくわからない」と話している。

駅伝やマラソンには、時々こんなハプニングやドラマが展開される。
だから、人を惹き付けてやまない魅力が尽きないのだ!

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