日村勇紀の16年前の淫行疑惑!フライデーよなぜ今記事にするの?

   

お笑いコンビ・バナナマンの日村勇紀(46)が、21日深夜放送のTBSラジオ『金曜JUNK バナナマンのバナナムーンゴールド』(毎週金曜 深1:00)に生出演した。この日、写真週刊誌『FRIDAY』に報じられた16年前の淫行報道を受けてか、相方の設楽統(45)から「今週はいろいろとありましたね」と促されると「みなさまお騒がせして、申し訳ございません」と謝罪した。しかし、今になって、この週刊誌の行動は本当に許される事なのか?疑問を提示したい。

Sponsored Link
 

今頃になってフライデーの報道は本当に許されるのか?

 

この日発売の写真週刊誌『FRIDAY』が、日村が16年前に16歳の少女と淫行した疑惑を報道した。本人も取材に対応し、所属事務所を通じて謝罪コメントを同誌に送っていた。

番組冒頭で、設楽が「日村さん、今週はいろいろとありましたね」と振ると、日村は「本当にみなさま、お騒がせしてしまいまして申し訳ございません」と神妙なトーンで謝罪した。設楽が「そうですね、しっかりしないとね。お仕事頑張っていきましょう」と続けて、その後はそれぞれにまつわるトークを行っていった。

 

しかし、バナナマンの日村勇紀の行為が「淫行罪」という犯罪になる可能性があるとしても、すでに時効が成立しており、制度的には警察や裁判所で、もう事実の詳細を明らかにして処罰することはできない。有名人はプライバシーが制限されるといわれるがこの様なかなり前の淫行疑惑についてまで、今あえて雑誌で公表することが許されることなのか?はなはだ疑問に思われる。

 

16年前の「淫行疑惑」の報道は許されるのか?
淫行とは、青少年に対する性行為一般を指すのではなく、青少年を誘惑したり、おどすなどする不当な手段による性交または性的類似行為のほか、青少年を単に自己の性欲の対象として扱っているとしか認められないような性交または性交類似行為を意味する」と「最高裁判例」で明示されている。

 

ここで、プライバシーとは何かという事が問題になってくる。
「プライバシー」という言葉はさまざまな文脈で使われていて、とくに最近では自己に関する個人情報の流通に関与する権利として「自己情報コントロール権」という理解が広まっていますが、一般的には「人に知られたくないこと」がプライバシーだといって差し支えない。

 

プライバシーについては、次の2つが問題になる。
第一は、「人に知られたくないこと」の内容は、時代によってかなり流動的だということ。
例えば、少し前ならば、結婚歴や病歴などは「人に知られたくないこと」の典型例だったが、最近では、「バツ1」や「バツ2」といった言葉を本人が進んで公言することも多い。

病歴についても、みずから社会に公表することもよく見聞きするようになっている。しかし、今回問題になっているような「過去の犯罪歴」については、依然として多くの人にとって「人に知られたくないこと」の最たるものだといえる。「犯罪者」という言葉はもっとも厳しいレッテルであり、今は普通の市民として生活し、活動していても、社会的にさまざまな不利益を被るおそれがある。

 

第二に、「人に知られたくないこと」が本人の同意なしに公にされた場合にプライバシー侵害となるわけだが、一般の人々がそれに寄せる関心に理由があり、正当だと評価される場合があるということ。つまり、自己に対する他者の関心を遮断(拒否)することは、すべての人に対して一律に認められるものではなく、その人の社会的地位、活動などによって制限される場合がある。

有名人はどの程度プライバシーの制限が許されるのか?

 

有名人といっても、さまざまなタイプがある。一般には、マスコミなどに登場する人で、広く世間に名前が知られた人のこと。
ただし、その中には、不本意ながらマスコミに取り上げられ有名になった人(たとえば、犯罪や事故の被害者、災害の被災者など)がいるが、それと自発的に自らを世間にさらす人々とでは、当然問題は異なってくる。前者の場合、本人はそっとしておいてほしいと願うのが当然だから、「有名人」という言葉では、後者の人々が問題になる。

 

このような意味での有名人の典型例としては、政治家、芸能人やスポーツ選手などがあげられる。このような人々は、自らの意思で世間に存在をアピールしているわけだから、ある程度はプライバシーを放棄していると考えることができる。又、一般の人々も、彼らの行動について関心をもつことは基本的に正当だと認めることができる。

 

無論、政治家と芸能人では、プライバシーの内容と範囲は異なる。政治的な影響力が大きい首相・閣僚や国会議員、知事などでは、その健康状態、財産状態、交友関係、経歴、あるいは、日々誰と会って、どんな会合に出席したのかなどについてマスコミが詳しく報道する価値があるし、一般の人々にとっても、そのような事柄について関心を寄せることは民主主義に関わる問題として正当だと言える。

 

過去の行為であっても、反倫理的、反道義的、反道徳的な行為はもちろんのこと、すでに時効になった事柄であっても変わりはない。つまり、そのような事柄は、全人格的な資質が問題になる政治家の場合は、個人の私的領域にとどまるものではなく、社会全体の利益に関わるものとして、公共性が認められるものである。

 

それに対して、芸能人の場合は、テレビや映画などに出演すること自体、自らを世間にさらすことであるし、有名になればなるほど、ファンが興味を持つプライベートな事柄(どんな暮らしをし、誰と交際しているのかなど)について、一般の人以上にマスコミで公にされてもやむをえないと言える。

但し、多くの人びとが知りたいと思うことが、ただちにその事実に公共性を裏付けるということにはならない。例えば、美しい女優さんの裸体は、多くの人が見たいと思うだろうが、その裸体に公共性がないのは当然のことである。

 

この様にプライバシーの内容と範囲は、本人の社会的影響力や知名度の大きさ、活動の種類などを手がかりに判断される問題だと言える。一般論として言えば、大衆の好奇心を満たすだけの事柄、公にされた事柄が本人や家族らにとって当惑や恥辱、悲しみのみを与えるような事柄などを暴露することは、いくら有名人だとしても許されないことだということになる。

Sponsored Link
 

今回の「淫行疑惑」をどう捉えるべきなのか?

 

性に関することは基本的にプライベートなことである。しかし、その人がたずさわる社会的活動の性質やこれを通じて社会に及ぼす影響力の程度などの如何によっては、性的な事柄に公共性が認められる場合があり、一般の人びとがそれを知りたいと思うことに正当性が認められる場合がある(「月間」ペン事件」についての最高裁判決)。ましてや、それが犯罪である場合は、それを公にすることには基本的に正当性が認められる。

 

しかし、今回の事件では、確かに愛知県青少年保護育成条例違反(いん行罪)(法定刑は「2年以下の懲役又は100万円以下の罰金」)が問題になっているが、すでに16年前の事件である。公訴時効期間の3年が経過しており、処罰に値するかどうかを判断するために、警察や裁判所で事実の詳細を解明し、審理することが、もうできないケースである。

 

時効制度の意味については諸説があるが、時間の経過とともに証拠が散逸し、事実の解明も難しくなり、社会の処罰感情も弱まることから、行為者の今の社会生活の安定性を処罰より優先させることも理由にはある。

青少年をたんなる性的欲望の対象としてもてあそぶことは、道義的にも非難されるべき行為であるし、犯罪を起訴して、処罰することは公共的な利益にかかわる問題であることはそのとおりだが、性的同意がある点では淫行罪は、強制性交罪(強姦罪)や強制わいせつ罪と比較して軽い犯罪の部類に入る。

 

例え、人気があるとしても制度上刑事法的な問題として扱うことができない一芸人の16年前の淫行疑惑について、その事実を知らないことが社会的に大きな問題かといえば、否定的に考えざるを得ないし、この件をこの様な形で公にすることについて何らかの社会的利益があるのだろうか?
甚だ疑問である。

 

売らんかなという悪しき商業意識が、この週刊写真誌『FRIDAY』の発刊に良く見て取れる。マスコミに携わる人間として一芸人の16年も前の“淫行疑惑”を報道する事自体が、もう恥ずべき行為であると言う自覚はなかったのか?
マスコミも少しは事態をわきまえ隠忍自重すべきではないのか!
こんな事ばかりしていると言論の自由に対する自滅行為になる危険性があることを自覚すべきである。

恥を知りたまえ!『FRIDAY』よ!

 - 未分類