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母が家出・第1回目!認知症は本当に厄介な病気だ!その家出先は?

2019/12/14
 
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認知症を発症した母には東京に戻ってから半年以上悩まさせられた。

散々、振り回され翻弄させられた。

世の中には同様な目に合っている人が多いのではないかと思う。

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Contents

母が家出・第1回目!

まぁ、他にもっと深刻な病気を抱えて生きている人ははるかに多いのだから、あまり愚痴ってばかりも言っていられないのだが・・・とにかく手がかかる。

 

まず、当の本人に狂っているという自覚がないのだから・・・手がつけられない。

 

我家では、当初、町会長さんや町内の見守り隊の人々に協力してもらった。
朝晩、心配して見回りにも来て頂いた。

 

しかし、当の母はそんなことなど全く関係がない、自分が人に迷惑をかけているなどという自覚は全く感じられなかった。

 

何を考えているのか、トンとつかめない。
何のためにあの人たちは家に来るのだろう?
そのぐらいにしか考えていなかったと思う。

 

人が自分のためにどれだけ動き回っているのか、など全然理解していなかった。
住民票を移したり、新たに介護・福祉申請をするために区役所に行ったりした。
地域振興センターには何度も電話した。

 

東松山の精神病院からの紹介状を持って、近所のクリニックに連れて行ったり、我家が行きつけの眼科にも紹介状を持って連れて行ったりした。

 

ディサービスはどこの施設がいいか、近所の知り合いに聞いたり・・・
どれだけ苦労させられているか、まるで馬耳東風という感じ・・・。

 

 

認知症は本当に厄介な病気だ!

 

まず、本人に狂っているという自覚が全くない。時計の針も読めない。

 

何月何日かも分からない。
何時何分か、分からない。

 

しかし、夜になると「あんとき、逝っちまえばよかった」と嘆く。
繰り返し繰り返し嘆く。よく泣く。相当女々しい。

 

軽い熱中症ぐらいで死ねるなら誰も苦労しない。
二言目にはこの言葉が出る。

 

「あんとき、逝っちまえばよかった」と・・・耳にタコができる。
埼玉に居たときからそうだった。

 

正直、尽くしてやった甲斐が薄れる。
そんなに生きるのが嫌なら、自殺でもすればいいのに・・・と幾度も思った。

 

その度胸も覚悟もない奴に限って「早く逝っちまいたい」などと口にする。
そんな奴に同情する気はまったく起きて来ない。

 

世の中には、生きたくても生きられない人が多くいる。
予期せぬ事故や病気で無念さのうちに、亡くなってしまう人の事を思えば軽々しく口に出してはいけない愚痴の数々だ。

 

人間、生きている内は天寿を全うすべきなんだ。
その覚悟をすべきなのだ!

 

我と我が身を振り返って、晩年は本当に賢く生きたのか?・・・
と母に問いただしてやりたかった。

軽々しい言葉ばかり発して恥ずかしくないのか?

 

しかし、今は何を言っても通じない。
適当に相槌を打ち、適当にあしらうだけしかない。

 

誰だって嫌でも死んでゆくんだ。
普通は歳の順だ。
焦ることなどないのだ。

 

母の繰り返す愚痴にはほとほと嫌気がさしていた。
なぜ、もっと堂々と生きられないのか。

 

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その家出先は?

昼間、反抗的な態度で突っかかって来るのに夜になると一転して泣く。
感情の起伏が激しく持て余す。

 

東京に戻り、何日かして最初の家出があった。
昼間、急に姿が見えなくなった。

 

町会長さんや見守り隊の人にも協力してもらい捜しまわった。
しかし、どこへ消えたのか夕方になっても皆目分からない。
 

どこそこで見かけたという人も現れない。

 

警察署に届けを出し、各方面に電話をしている時に1本の電話が鳴った。
近所に住む○○からだった。

 

今、母が○○宅に居るという。
そして、○○はしみじみと言う。

 

「どうか、お母さんを大事にして上げて下さい。もう年寄りなのだから・・・どうか、労わってあげてください。私からくれぐれもお願いします」と・・・

 

冗談じゃない!
人がどれだけ心配して捜しまわったと思っているんだ!
お前みたいな奴に何がわかるんだ!

 

まるで、この俺が母親を虐待しているとでも言わんばかりのものの言い様だ。
この3か月間、俺がどれだけ我慢に我慢を重ねて接して来たか、知っているのか!

 

「このくそ婆あ奴が!」と・・・口にしたいところをグッとこらえる。

 

怒鳴りつけたい気持ちを必死にこらえ、「はい、はい」と黙って聞く。
もう余計なことは言わない。

 

言っても、「この婆あ」には通じない。話すだけ時間の無駄だ。
この女も人の言うことには耳を貸さない。

 

この女は子供が二人いるのにどちらとも同居していない。
誰もが持てあますからだ。

 

ただ、頷づいて「はい、はい」とだけ答える。
こんなばか女と話を長引かせたくない。

 

電話器を置く。怒りがこみ上げて来る

 

もっと早く電話をしてくればいいものを・・・暗くなってから、電話をしてくる。
しかも自分からじゃない。

 

どんな作り話をして人の同情を引こうとしたのか?
認知症の患者でも、まだら模様に正気に戻って作り話をする時がある。

 

この○○という女はT生命の保険外交員だった女だ。
亭主は大工だった。
随分と高い手間賃だけは取っていった。
不動産の仕事に就いて、それが良く分かった。

 

バカバカしい程の家の修理代を我が家は払っていた。
そんな奴らを母は相手にしていた。
この女はバブルが弾けて会社が潰れる前に自分の分だけ、さっさと保険の解約をして逃げ出した奴だ。
近所では口も聞かなくなった人が何人もいる。

 

私の入っていた生命保険も外資に吸収合併されて二束三文になった。
当然、私だって快く思っていない。
よりよって、こんな女のところへ家出するとは・・・呆れて言葉が出ない。

 

情けない。
怒りを通り越して情けなくなってくる。
迎えには家内と息子に行ってもらった。自分から迎えに行く気には到底なれなかった。

 

これが1回目の家出!

一緒に捜してもらった人たちに連絡を入れ、見つかった旨を伝える。
やれやれとは思ったが、この先が思いやられる。

 

皆、口々に「見つかって良かった」「無事で良かった」と言ってくれた。
私はお礼を言いながら、「これで済む訳はないな。そんな殊勝な女じゃない。」と感じていた。

 

母は妻と息子には謝っていたが、私には決して謝らなかった。
生来の性分が分かるというものだ。

 

家出までにはいかなかったが、何日か前には朝、突然身支度して家を出て行こうとした。
「どこへ行くんだ?」と聞けば田舎に帰るという。
「一人で帰れる訳がないだろう。どこで乗り換えるんだ!! 分かるのか?帰り道が分かるのか?」と聞けば、人に聞けば分かると言い張る。

 

言い争っているうちに家を出て行った。
仕方なく跡を付ける。

 

案の定、駅に来て切符の買い方も分からない。
路線図を眺めながら、自分の帰る駅を探している。
しかし、母には分からない。でも諦めない。

 

口答えだけは一人前だ。
なだめてもダメで、私は怒って力づくで家に連れ戻した。
昨夜、いくばくかの金を渡したのが失敗だった。

 

朝、又、泣いていたのを私は無視していた。
毎度のことだから・・・ほとんど一日おきに泣く。

 

そう言えば、朝からおかしな事を言っていた。
「箱に入れていた10銭玉が無くなった。埼玉の田舎に行って捜してくる」と・・・
私は本気で聞いてはいなかった。

 

母の頭の中では10銭玉がまだ世の中で使えると思っているらしい。
とても一筋縄ではいかない。
しかし、狂った頭でも脱走する。

 

やはり散歩ではなかったな・・・この頃の母は・・・。徘徊に近い。

 

いつも白いゴムシューズの靴なので、とても外出用の靴ではない。
そこらを徘徊していれば、誰かに見咎められる、不審がられても不思議はないのに、そんな時に限って誰にも発見されずに姿を消す。

家出後の処理・対策

家出の後、親戚の家に電話をかけたり、兄の所へ電話をかけたり、事情を話し我が家に来て、母の話し相手になってほしい旨を伝える。

 

この頃、珍しく妻がイライラしていた。無理もない。疲れたのだろう。
終わりが見えない。介護には・・・

 

私に甲斐性がないために妻に負担がかかっている。
フルタイムで働いて帰って来て、又家事の支度では疲れも溜まってくる。
「済まない」という思いが頭をよぎる。
しかし、今は妻にフルタイムで働いてもらわないと子供を大学まで行かせられない。

 

心の中で「甲斐性なしで御免・・・」と謝る。
母の事で私は妻に愚痴ってばかりいる。

 

私が妻に代わって家事全般をすれば済む事なのだが、それが私にはできない。
妻にばかり負担がのしかかっている。

 

母は相変わらず泣いてばかりいる。
「もう何もかもイヤになった。早く、逝っちまいたい。」と・・・
呪文の様に母は唱えている。

 

「気持ちが悪い。」と言っては夕飯を抜く。
「膝が痛い。」「胸が痛い。」と言っては騒ぎ、横になる。

 

「早く、逝っちまいたいなら、それぐらい我慢しろよ。」言いたいのをグッとこらえる。
翌日には医者に連れて行く。

 

検査の結果は大してどこも悪くない。腎機能が少し劣っているぐらいだ。
「月に一度はその注射をしましょう。」
その程度で終わってしまう。

 

徘徊したり、家出する元気があるのだから当然と言えば当然だ。
ディサービスなどではなく本気で特別養護老人ホームへ入れることも考えていた。
ケアマネージャーに聞けば100人待ちの状態と言う。

 

かといって我が家には母を民間の介護付き老人ホームに入れられる程、金銭的に余裕はない。
取り寄せたパンフレットを眺めながらため息をつく。

 

貧乏人には在宅看護しか残された道はない。
一部の金持ちしか、いい所の老人ホームには入所できない。

 

不合理さを嘆いても始まらない。
世の中はそう出来上がっているのだから。

 

突然、父の墓参りに行きたいと母が言い出した。
東京に戻った当初は、まだ頭がおかしい時の絶好調であったため、仏壇を買いに行くのも一苦労だったのに・・・。

 

どうやら、時には正気に戻ることが有るみたいだ。
しかし、私は極度の不眠症で疲れが全く取れない状態だったので、「悪いが、兄に連れて行ってもらってくれ。」と断った。

 

私の体の状態は決して良くはなかった。
母の願いを受け止めるほどの心の余裕も体力もなかった。

 

こんな状態のまま私は職探しを続けていたのだから、相当無理があった。
私の頭ではまだこの時、認知症の母をどう受け止めていいのか、まだ心の整理ができていなかった。

 

油断もしていた。隣近所へ行き、世間話をして帰って来ていたから・・・。

 

そこへ第1回目の家出

やっぱりやってくれましたね!・・・と言う感じしか受けなかった。

この母は・・・!!これだけで終わるまいと薄々感じていた。

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