山中竜也引退!母思いの元WBO世界チャンピオンの今後は白紙?

   

8月31日、前WBO世界ミニマム級王者の山中竜也(所属:真正)が、神戸市内の所属ジムで引退会見を行った。「最初は自分のことじゃないような感じで受け止められなかったが、徐々に現実なんだなと考えた」と率直な思いを口にした。
23歳の若さでリングに別れを告げざるを得ない事になった前チャンピオン!
ツイッターでも皆に感謝の思いを綴っている。

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山中竜也のプロフィール:母親と家族

本  名:山中竜也(リングネームも同じ)
生年月日:1995年4月11日(23歳)
血液型:?
出  身:大阪府
身  長:162.5cm
体  重:47.6kg(ミニマム級リミット)
スタイル:オーソドックススタイル
所  属:真正ボクシングジム

今まで「山中」と言えば、「山中慎介」選手でしたが、前年引退してしまった。
今度は、新しい「山中竜也」の時代到来かと思わせられたが、彼も結局、引退せざるを得ないことになってしまった。きっかけは7月13日に行われたビック・サルダール(フィリピン)と拳を交えた2度目の防衛戦のため。

7回にダウンを喫するなど0-3の判定負けで王座を失った。試合後の控室では「これで終わるつもりはないです」と再起へ意欲を示していたが、帰り道で激しい頭痛に襲われ、救急車で神戸市内の病院に搬送された。

診断結果は硬膜と脳の間に血腫が形成される「急性硬膜下血腫」!
意識はあったが集中治療室(ICU)に5日間入った。
出血が止まらなければ開頭手術の可能性もあったらしい。
母:理恵さんは医師から「会わせておきたい家族の方がいれば呼んでおいてください」とまで言われ、頭が真っ白になったという。

山中選手は現役時代、母への感謝の念を忘れませんでした。女手一つで6人を育てて上げてくれた母親を「少しでも楽にしてあげたい」という気持ちから闘ってきたボクサーです。深夜のバイトから帰ってきた母親が作る朝食の支度を手伝う思い遣りのある少年でした。母は多い時は三つものバイトを掛け持ちしていたそうです。

毎年、「母の日」と「誕生日」にはプレゼントを欠かさなかったそうです。
世界王座を獲得した時も、真っ先に出た言葉は「お母さんありがとう」でした。
防衛戦後は5人の兄弟と母親を遊園地に連れてゆくなど、非常に心優しい一面をもった選手でした。

山中竜也の経歴:高校に行かず苦しい家計を支える

小学5年生の時に、両親が離婚。山中選手は6人兄弟の長男でした。
小学6年生の時に読んだ漫画「初めの一歩」に影響を受けて、中学2年生になって真正ボクシングジムに入門。ここには憧れのボクサー「長谷川穂積」選手が在籍していたからです。「僕のヒーロー」と尊敬し、食事にも良く連れて行ってもらったそうです。

中学卒業後は、高校にも行かず、アルバイトの掛け持ちで苦しい家計を支える優しい心の持ち主でした。山中選手も多い時は三つのバイトを掛け持ちしていたそうです。中卒で言わば、「究極の叩き上げのボクサー」の誕生だったのです。

プロテスト合格後は、デビュー戦を0-3で判定勝ちしています。ボクサーにとって、最も大事な要素の一つである反射神経が物凄く良く、スピードのある選手でした。そんな選手でも、こんな目に遭ってしまうこともあるボクシングは過酷なスポーツです。

日本ボクシングコミッション(JBC)の規定では「コミッションドクターから頭蓋内出血(硬膜下血腫等)と診断された場合、当該ボクサーのライセンスは自動的に失効する」と定められている。診断が下った瞬間、山中選手が再びリングに上がることは不可能となってしまいました。

母:理恵さんは山中選手が事実を知った時、自殺してしまわないか心配したそうです。山中は山中で母親がショックを受けないか、逆に心配していたそうです。

夜、母親の携帯に電話をして「おっかぁ、俺が自殺すると思ってる?そんなんないから」と告げたそうです。お互いを思いやる以心伝心の絆を彷彿とさせる出来事です。

今後の生活設計は?まだ白紙!

8月23日付のツイッターでは「すみません、少し長いです」と題し、皆に感謝の念を綴っている。一部を抜粋すると・・・

「プロ生活は6年だけでしたが、母親に真正ジムに通わせてもらった中学2年からここまでボクシングに全てを賭けてやってきました!なのであの時こうしとけば良かったな。っていう後悔は無いです。

燃え尽きては無いですけど、ボクシングで僕が子供の頃から勝手に言っていた目標は達成出来なかったけど違うことで達成できるように頑張ります。・・・

以下略・・・

それと、もしまだ僕に期待して下さっていた方がいたとしたら期待に応えられず本当に申し訳ないです。すみません。
ボクシング初めて12年.長谷川さんに憧れて真正ジムに行かせてもらって9年.プロになって9年。
真正ジムの皆さま、応援して下さった皆様、家族、関わって下さった全ての人に方に感謝しています!!」と記している。

女手一つで6人きょうだいを育ててくれた母に家を建てることが夢だったという。
「ボクシングではその夢は叶えられなかったけど、また違うものを見つけてその夢を達成できれば。僕のやりたいことに協力してもらってありがとうございます。でも心配かけてすみません」と、母への感謝と謝罪を語った。

今後については「まだ探しています」と白紙であることを強調した。同門の先輩で元世界3階級王者の長谷川穂積氏からは「やれることを見つけてやってみて、それがやりたいことになればいいな」と言葉を贈られたという。

どういう道を歩むか、とても今すぐには見つけられないだろう。しかし、こんな地道な努力をして来た山中選手の第二の人生に幸多かれと切に、切に願っている。15kgの減量という厳しさ!試合に影響が出ない訳がない。
ボクシングは、どうしてかくも残酷なスポーツなのか!

23歳という若さで第二の人生を歩まなければならない厳しさに己の身が引き締まる思いがする。戴冠からの一年間を「人生で一番濃い一年だった」と語った山中選手!どうか・・・やり甲斐、生き甲斐のある仕事を見つけ、第二の人生を力強く歩んで頂きたい。

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